22話:後半 計算結果
「これから発表するのは、ORZLについての新しいモデルのシミュレーションです。これまでと違うのは、階層数というフラクタルの軸により、疑似的な三次元を作り、その中でORZL平面の折り紙が作られる点です」
春香がプレゼンを開始した。彼のアイデアが取り込まれているらしいが、彼には春香の話が非常に物々しく響く。
「なるほど、フラクタルとゲーム項の繰り込みは相性がよさそうね」
大場の言葉、彼には意味不明、に頷く春香。
彼女の小指がリターンキーを叩いて、側面スクリーンに奇妙な模様が表れた。
ぱっと見には、三角形の大小を組み合わせたようだが、辺一つ一つは湾曲し、その結果生じた側面の突起から、小さな三角形のようなものが出ている。
切り込みを入れた折り紙をらせん状にひねったようなそれは、クリスマスの飾りを連想させる。
「つまり、平面上の情報から立ち上がる現実というホログラムだな」
柏木が言った。順調に彼の理解を超えた事態の進行中だ。
「フラクタル次元という割には、一階層ごとに1を超えるのね。普通は1以下よね」
大場が言った。その横で柏木が髭に手を当てたまま唸っている。どうやら、大変なことらしい。
「マイクロブラックホールの蒸発の時にORZL方程式を書き換えた時に出てきたもう一つの軸、何が対応するかわからなかったんだけど、創発の階層だったなんてね」
さららが補足した。そして大悟を見た。
当の彼にとっては驚愕の事実である。驚愕すぎて、何が驚愕なのか解らないくらいだ。
「次に、根本的な問題について。GMsが作り出したORZL-AとDにより、世界中から集められた情報、つまりエネルギーの問題です。これから示すのは、このフラクタル軸に高密度のエネルギーを注ぎ込んだ結果ですが……」
春香の指先が地球儀上のORZL-AからDへの情報の流れを作り出す。エネルギーが注ぎ込まれるにつれ、ORZL-Dが振動する。
「このように、まるで建物の高さが、そのしなりに対応するように、重力とは直交する方向に振動を発生させます」
「なるほど、鞭みたいなものか」大悟は感心して呟いた。春香が彼を見て額に手をやった。
「シミュレーションからは、九ヶ谷君の思考実験に矛盾しない結果が出たといわざるを得ません。不本意ですが」
あわてて口を閉じた彼を見て、春香は少し悔しそうに言った。
「情報処理の複雑さを示す、半離散的な階層があって、その数そのものが、質量同様に空間に影響を与える。人工知能の話がとんでもないところに飛んだわね」
大場が腕を組んだままあきれたように言った。柏木がその横で「虚数重力とは……」とうなっている。
大悟は何か悪いことをしているような気分だ。何しろ、春香をつり出すために彼がでっち上げた仮説を、大学教授二人が真剣に考えているのだ。
「ハルのシミュレーションで面白いのはこれだけじゃないんだよね」
さららは弟子を見た。
「はい。シミュレーションで新しく解ったことという意味では、これからが本番です。実は、今後のORZLの動きについて面白い可能性が出てきたんです」
春香はスクリーン上で震えてる、別ものと化したピラミッドを止めて、大悟を見た。
「九ヶ谷君はこの後どうなると思いますか」
師譲りの突然の質問に、全員の視線が彼に集まった。大悟は慌てて首を振った。
本編の制作は彼の仕事ではない。ノー残業だ。働き方改革を実践するのだ。彼が何もしないことが生産性アップに貢献するはずだ。
「九ヶ谷君のアイデアではGMsがLczを応用することで、新しい階層を一つ作り出した。でも、それにとどまらないことが示されたんです」
両手を上げた彼を見て、春香は少し得意げにプレゼンを進める。
「ORZL-Dの、つまりGMsの人工知能という情報処理階層は、さらに次の階層を生む可能性が示されました。しかも、そこにとどまる理由はないんです」
春香が画面を進める。クリスマスの樅の木が、螺旋を描くように回転すると、その高さが増した。それは、さらに何度も繰り返される。
「知能爆発に対応するってことかな?」
ルーシアが言った。
「一般的な言葉で言えばそうなります。注目すべきことは、この知能爆発が純粋物理的な階層であり、ほぼ自律的に進みうることです」
春香が答えた。どこら辺が一般的な言葉だったのかはともかく、要するに人間の脳が生じ、それが文明を生み、文明がコンピュータを生んだように、今まさにGMsのコンピュータの中で人工知能が進化しているということだろう。
「さて、ここからは今リアルタイムで計算しているのですが。この知能爆発の結果が空間に与える影響がどうなるかです……。いま、結果が出ました」
春香が画面に飛び出したウインドウをクリックした。
画面にグラフが表れた。樅の木の成長と、その振動の関係だ。
「このように先端が高く、鋭くなるのに対応して……。えっと対応して……」
どんどんとがっていく、先端の動きはドリルのようだ。
「えっ、あ、あれ?」
春香がうろたえた。
大悟たちの見ている前で、樅の木の先端がおかしな動きを始めた。規則正しい回転が、壊れた機械の様にぶれ始めたのだ。
それだけではない、傍に表示されていた数字が赤く点滅を始める。
演者がキーボードから手を離したのに、ピラミッドならぬ樅の木は高さを増していく。
「ど、どうして、計算が突然発散して……?」
「春日さん?」
どうやら予想外の結果らしい。大悟が本番に弱いクラスメイトを心配した時だった。
「これ面白い、面白いけど……」
さららが困った顔で言った。その間にも、空間の樅の木はどんどん高さを増していく。
「まるでブラックホールの形成を上下逆にしたようなだな。無限に落ちていくのに対して、無限に上がっていく」
柏木の言葉が、周囲を凍り付かせた。大悟はきょろきょろと周りを見渡す。だが、専門家たちは画面にくぎ付けだ。
「ねえ、空間の階層の数が振動を与えるって、言ってみれば空間に負担をかけるってことじゃない?」
綾の言葉に、大悟ははっとした。その瞬間、高さを増したピラミッド、というよりも針の様になっていたものが崩壊した。
周囲の空間と一緒に……。
「……これって、どうなったの。春日さん」
自分のシミュレーションに呆然としている春香。大悟は沈黙に耐えられずに聞いた。
「どんどん高くなっていく情報処理階層に、空間が耐えられないって、そういう結果、かな」
春香が彼女らしくない、あいまいな言葉を使う。
「そ、それって。どういう意味に……」
「柏木先生の言ったように、虚数重力の重力崩壊、かな。このシミュレーションのままのことが起こったら、余剰次元空間それ自体が崩壊するってこと」
その声は震えている。
「く、空間が崩壊?」
「ORZLの存在している余剰次元って、言ってみれば宇宙のCPUだよね」
ルーシアが言った。彼女らしい例えだ。ならば、大悟たちが現実だと思っている通常空間はいわばディスプレイだ。
そのディスプレイの表示装置が壊れれば、映っている映像である大悟たちは……。
「余剰次元は折りたたまれているだけで、実際には通常空間とつながってる。これって、空間の編み物に地球の一点を中心に穴が開くようなものだよ」
さららがいった。それはつまり。
「……えっと、これはただのシミュレーションだよね。その、あくまで可能性の一つ……」
大悟が救いを求めるように聞いた。
「そういえば、宇宙背景放射の振動が増している。そういう観測結果が出始めていてな。今日はその話をしようと思っていたのだが……」
柏木がとどめを刺した。口調は一見のんびりしているが、その額に光るものがある。
「仮に、万が一これが起こるとして。空間の破壊が拡大していく速度はどうなるのかしら」
「空間自体の純粋な崩壊ということは、破壊の伝播速度は最大光速に達するだろうな。……銀河が滅びるまでなら十万年ほどかかる」
柏木の言葉は何の慰めにもならなかった。なぜなら、大悟は光の速さなら太陽まで七分だということを知っているからだ。
「地球は一秒も持たないんだよね」
綾が言った。確か光は一秒で地球を七周半するのだ。
「地球が宇宙空間ごと壊れるってことですか。父さんのせいで!?」
大悟は思わず叫んだ。
なるほど、なるほどである。彼の父は息子には到底理解できない目標を追い求める人間である。それは彼がよく知っていることだ。
それでも、いくら何でもこれはひどすぎるのではないか。
彼に背を向けたままの父。その間にある空白に、彼は……。
2019年2月3日:
本日の投稿で、第三部「ゲーム」を完結とさせていただきます。
ここまで読んでいただきありがとうございました。
次の第四部で『複雑系彼女のゲーム』は完結の予定です。
元々の予定では三部で完結のつもりでしたが、もう少しだけ続きます。
四部はこれまでよりも短く、10話くらいで終わる予定です。
投稿開始は11日後、2月14日(木)の予定です。
最後までお付き合いいただけると嬉しいです。
誤字報告機能から多くの誤字脱字のご指摘ありがとうございます。
とても助かっています。




