21話 茶室
大悟は母屋の離れ、春香の部屋とは正反対の、茶室に連れていかれた。ちなみに、春香は大悟からノートパソコンを没収し、もともとラボでは彼女が使っていたものだ、それを抱えたまま祥子を玄関に送っていった。
この狭い茶室に同級生女子の母親と二人で対峙だ。プレゼン後とか関係なく、喉がカラカラになる状況である。
正座する彼の耳に、規則的な茶筅の音がこすりつけられる。
「どうぞ」
大悟の前に、のどに引っかかりそうな濃さの抹茶が置かれた。ちなみに、茶菓子は最中である。嫌がらせだろうか。
「……いただきます」
「まだ高校生のあなたに娘のことを任せるとは言えませんけど。春香のことよろしくお願いしますね」
戦国武将の忠誠心を上げそうな茶碗を手に取ったとき、佳枝がいった。落としたら弁償に一生かかりそうな茶碗を、彼は慌てて両手でつかんだ。
「えっと、なんというか、今回の問題は僕と春日さんがその、一緒にいたから起こったことの気が……」
春香がラボにもどれるなら、彼はラボには出入りしないくらいのことを言われるのかと思っていたのだ。
「そうですね。あなたがここに乗り込んで来ると聞いた時、私の考えていた展開とは少し違いましたね。ただ、娘のことをあそこまで焚きつけた以上、まさか逃げるとは言わないでしょう」
「焚きつけたっていうか、決めたのは春日さんですよ」
大悟の言葉に、佳枝の目からわずかに力が抜けた。
「……そうですね。ああいう春香を見ることができたのは、あなたに感謝しなくてはいけません。私が心配していたのは、あの子にとって科学というのは、逃げなのではないかということです。世間の不条理や不合理を受け流すのが難しい子ですから」
さすがに母親である。要するに、母親は春香を止めていたのではなく、その覚悟を試していたのだろう。ただなんというか、師といい母といい、高校生に容赦しない人間が多すぎる。
わざわざ助けに来た彼を見習ってほしいところだ。当の春香のヘイトも、彼に向いているのはともかく。玄関に向かう前の春香は、彼から奪い取ったPCを親の仇の様に見ていた。
「ちなみに、あなたに対しての心配は、春香の依存先になるのではないかということです。もちろん、あなたにそれを容れるだけの器量があればそれでもいいのですけど」
肩にのしかかる言葉に、大悟は首をぶんぶん振った。
「そう? あの子があそこまで執着するなんて。心を開かせるには苦労したでしょうに」
ここにきてから初めての笑い顔だ。大悟は思わず左右に振っていた頭を上下に切り替えそうになった。
これまで何度攻略不可能にしか思えないゲームを解かされてきたことか、今回のはまた特に難しかった。
「春日さんが心を開いてるかはともかく。えっと、科学が春日さんにとってそういう面、えっと逃げ場っていうか、それは……あったと思います。少なくとも、僕が知ってる最初の春日さんは、確かにそんな感じでした」
大悟は素直にいった。何様のつもりだと思わないでもないが、確かにそういう場面を見たのだ。一番最初に彼に負けた時の春香の様子が思い出される。
この家に最初に入ったときのことだ。それは決して知られてはならないことだ。彼は春香の部屋の位置など知らないし、そのベッドの感触など解るわけがない。
「でも、少なくとも今はもう、それだけではないと思います。なんというか、そのですね……」
大悟は必死に言葉を探す。
「科学の、その完全性っていうか、きちんとしたところ、ですか。それが揺らいでも、春日さんは夢というか、科学のことあきらめたりしませんでしたから。むしろ、向かっていったというか」
「あなたにですね」
「科学にですよ」
「だから、大丈夫だと」
「春日さん次第というしかないですけど。ほら、春日さんはまだ高校生だし。僕もできる……」
そこまで言って大悟は自分が何を言おうとしているのか悟って、あわてて口を閉じた。「頼りになる指導者もいますから」とさららに責任転嫁するところだが、彼の中の天才女性科学者はそういう意味では全く頼りにならない。
結果沈黙となる。
「今回の様に、春香を助けてくれる。そうおっしゃるのですね」
勝手に代弁されてしまった。大悟は慌てて茶碗を口に運んだ。飲み下すには濃いお茶の香りが彼の口をふさいだ。
ラスボスからお姫様を解放した勇者は、その後とても重い責任を負うのが常だ。だが、今回の彼の役割が果たして勇者だろうか。
お姫様は、勝手にラスボスのくびきから飛び出したはずだ。いや、攫われた原因からして、本人の自己責任ではないか。しかもラスボスの方は、実際には見守っていたのだ。
彼は例によって巻き込まれたのだ。なのに、突きつけられた不条理な要求に、いやだといいたくない自分が悔しい。
結局「そのうちまたご挨拶に参りますと、お母様にお伝えください」と怖い予告をされた後、大悟はやっと解放された。
大広間にもどると、パソコンの横にノートを広げてその両者の間を行き来している春香がいた。母親のお見送りしなさいという言葉に、しぶしぶノートを閉じて大悟と一緒に玄関まで向かう。
長い廊下を歩く。春香は黙ったままだ。
だが、彼が靴を履くと、春香も同じようにして玄関から出た。どうやら門まで送ってくれるらしい。いつの間にか月明かりが照らす立派な日本庭園を、二人は無言で歩く。そして、門の横の小さな戸から外に出た。
「あの……、今回のこと、……いろいろ言いたいことはあるけど、その…………」
春香は両手をキュロットスカートの前で組んだまま、もじもじとする。そして、ゆっくりと顔を上げて、彼を見た。月明かりに照らされた彼女の綺麗な顔、頬が染まり、瞳が少しだけうるんでいる。
小さな口が、わずかに開いた。
「来てくれたのは……うれしかった」
ささやくような小声でいうと、春香はすぐに踵を返した。少女の湿った声に耳朶を打たれた大悟は、門の外で固まってしまった。不意打ちの衝撃が収まった彼は夜空を見上げた。
「あそこから来たお姫様でも、無理難題は一人当たり一つだったよな」
まあこちらのお姫様は一緒に冒険してくれるから仕方ないか。そんなことを考えながら、彼は帰途に就いた。
2019年1月27日:
次の投稿は木曜日の予定です。




