20話:前編 春日家訪問
次の日の放課後、大悟はラタンで綾と妹と密談していた。
「というわけで、夏美は祥子にこういう風に吹き込んじゃって」
「了解です。どんな反応するか楽しみ」
妹はノリノリで綾のリクエストに頷いている。ちなみに祥子というのは妹の同級生の名前らしい。
「すると、あの子の性格からして次にこう動きたがる。だから、大悟は例の謝罪のメールにこう返信するの……」
「……それ本当に大丈夫だろうな」
合宿時の出来事。その中でも、特に女の子の母親には知られてはいけないことが、ばれてしまう。
「私は向こうのことをある程度分かってる。まあ、最終的には大悟と春日さん次第だけどね」
「失敗した場合は?」
「大悟もやばいことになるかもね。今回は当事者だから。あの人は必要なことはする」
「……春日さんは?」
おそらくいろいろと困難のある春香の状況を、彼がかき回すことになる。もちろん、前回は彼が巻き込まれたし、夏休み前からこれまでずっと彼女に振り回され続けているともいえるのだが。
「……なんかむかつくけど。……普通に状況は悪化するでしょ。家庭の微妙な問題に突っ込むわけだから、向こうにも影響は残るよ。当たり前に」
「あの人も手段を選ぶ余裕がなくなるかもね」と綾は怖いことを言う。
「……」
大悟は無人のカウンターに目を向けた。あそこに座っていた和服の女性。一度だけあった春香の母を思い出す。綾のシナリオの中でいわばラスボスだ。
問題は、あの女性がラスボスとしての役割をしている理由だ。
「わかったよ。それで行ってくれ」
大悟は覚悟を決めた。
手に持ったプレゼンのシナリオを見る。大悟にとってプレゼンの相手は母親ではなく娘だ。そしてさららの言葉ではないが、その後は春香しだいである。
それはそれで十分難易度が高いゲームだ。だが、このでっちあげを聞いた時の春香の顔を想像すると、楽しくなってくるから不思議だ。
(なるほど、これがSモードってやつか)
「なんかおかしくない?」「ある意味いつも通りでしょ」
ほくそ笑む大悟に、二人の女の子は引いていた。
入るのは二度目の高い壁の向こう。庶民には気後れするお屋敷。
初めて入る畳敷きの大きな部屋は、何も言われずとも正座してしまうくらいの格式があった。ゲームなら「御屋形様」とか呼ばれそうなタイプのキャラクターが出てきそうだ。
もっとも、彼の前に座っているのは表情を動かさない和服の女性。そして、その横には妹と同じ制服の少女がすまし顔で並んでいる。
生意気なだけに見えた女子中学生だが、この場でみるとさすがに良家のお嬢様の雰囲気がある。妹ではこうはいくまい。彼よりも堂々としている。
つまり、少女に謝罪の感情などかけらもないように見えるわけだ。罪悪感が軽減されてちょうどいいという、実に大人げない感想を彼は抱いた。
今から成し遂げなければいけないことの困難さを考えたら、かまっていられないというのが本当のところなのだが。
「さあ、祥子さん」
春香の母が促した。中学生は一度きっと大悟をにらむが、ふっと笑みを浮かべた。
「すいませんでした」
小さく頭を下げた。下げたというよりも、前髪が揺れた程度だ。そしてすぐに、下げた角度よりも大きく顔を上げた。むしろ勝ち誇った表情で大悟を見る。
「でも、私は春香お姉さまが心配だっただけです。私の心配は間違ってません。実際、この男はあの部屋の中でとんでもないことをしていたんです……」
そして、大悟が妹を通じてリークした内容、彼が春香が入浴中に脱衣所に入って出てこなかった、という話を始めた。
困ったように祥子を見ていた春香の母だが、話の内容に表情を変えた。
「この男の身内から聞いた話ですから、間違いありません」
最後にそう付け加えた祥子は自信満々だ。実際語られたことは事実である。
「そのような場所でいったい何をしていたのですか」
大人の女性の厳しい瞳が大悟に突き刺さった。
「が、合宿の本題にかかわる緊急の話があったので、待てませんでした。もちろん、浴室には入っていませんけど」
背中に冷や汗のレースを開催しながら、大悟は言った。実際には春香に無理やり呼ばれたのだが、それは伏せたままだ。
「尋ねているのは、その話の内容です」
「春日さんにとっても大事なことなので僕の一存じゃ話せません」
大悟は視線の圧力に耐えた。ことは知的財産権というかプライオリティー争いにかかわる。ついでに言えば、今日彼が用意しているプレゼンは、春香の仮説をもとにしているので、勝手に話すわけにはいかない。
まあ、そんな感じの建前だ。
「ほら、明らかに言い訳です。叔母様。この男が春香お姉さまにとって有害な存在であることは明らかではないですか。春日家の力で遠ざけるべきです」
祥子が叫ぶようにいった。これまでならたしなめられそうな過激な発言だ。だが、佳枝の視線は大悟から動かない。
「私が娘に確認したら済む話ですね」
「……いま、その時の話の続きを持ってきてます。これを、春日さんに見せれば、春日さんがどうして母親に黙って僕を合宿に呼んだか、それがわかると思いますけど」
眉間に突き刺さった同級生の母親の視線に冷や汗がます。
ちなみに、偉そうに言ったが彼には確証はない。
とにもかくにも、どんな形でも、春香に仮説を聞かせてしまう。後は仮説の出来次第。そして、それを聞いた後の春香しだいだ。
「春香があなたの存在を黙っていた理由がわかると」
佳枝の言葉が微妙に変わった。
「はい」
「もし、あなたの言う通りにならなかった場合は?」
「その時は学校だろうが外だろうが、二度と春日さんに近づきません」
大悟の言葉に祥子の顔がぱっと明るくなった。一方、佳枝は身じろぎもせず考え込む。
無言のまま、じりじりと時間が過ぎる。大悟の頬を汗が伝う。正座した足の感覚は、とうに消えていた。
「そこまで言うのなら、春香を呼びましょう」
その言葉に、大悟は思わず足を崩した。ようやく、囚われのお姫様と対面である。
「……九ヶ谷君、いったい何を」
しばらくして、ふすまが開いた。畳の間に入ってきた春香は、敷居の前で中腰の大悟と畳に座る母親の間で目を泳がせた。
以前彼女の部屋に連れ込まれた時と同じ、シャツとキュロットスカートといういで立ちだ。ここしばらく制服姿しか見ていなかったので、やけに新鮮に映った。
母親に促され指定された畳、佳枝の横に座った。せっかくの私服なのに、余所行きのものにもどった表情がもったいない。
「春日さんのORZL-Dと宇宙背景放射の振動の関係にについて仮説を思いついたから、聞いてほしくてね」
大悟はケーブルの先についたソケットの上下を確認しながら言った。
彼は今、さららのところから借りてきたプロジェクターとノートパソコンをつないでいる途中だ。
「九ヶ谷君の仮説……」
春香の表情が一瞬生気を取り戻しかけたが、隣をはばかるようにすぐにその光を消した。
大悟はプロジェクターの電源を入れた。広間の掛け軸の横に長方形の光が映し出された。
畳の間にプロジェクターは似合わない。戦国大名の軍議シーンにパワポが割り込んだような残念さだ。
「そう、今問題になってるORZL-Dと宇宙背景放射の関係についての。春日さんがさぼってる間に思いついちゃったんだ」
大悟の挑発的な言葉。春香は膝の上に乗せた両手に力を入れた。
「エネルギーの新しい形式を見つけたってこと!! ……ですか」
「それは聞いてから判断してほしいな」
導入でこれなら勝算あり、そう思いながら大悟はマウスをクリックした。画面には、ビルならぬピラミッドが表示された。
2019年1月17日:
今週は日曜日も投稿します。




