17話 決意
「あの春日さん。今日は……」
「ごめんね、今日も用事があって」
翌日の放課後、大悟は再び春香に振られていた。周囲の目が同情から、彼に対する非難に変わっている。要するに、未練がましい男というわけだ。
春香の隣では、洋子が困った顔になっている。
大悟は仕方なく、綾とルーシアと一緒にラボに向かった。
一学期、春香の姿を追って地下室にたどり着いた時とはえらい違いだなと思いながら、地下室のドアを開ける。
さららは相変わらずホワイトボードに向かっている。学生たちが来ても、ほとんど反応しない。その集中力はたいしたものなのだろう。
綾とルーシアは情報重心の監視とGMsの人工知能が行う情報処理の回路の想定。よく見ると情報重心に吸い込まれる世界中の情報処理の流れが色分けされている。
大悟にはやることがない。何となく、情報重心を示す側面のスクリーンを見る。その上には、宇宙背景放射の振動のグラフが加わっている。
確かに、振動は春香が見つけ出した日本の関東に固定された情報重心と連動しているように見える。
「いよいよダイゴの仮説が聞けるのかな?」
いつの間にかホワイトボードから離れていたさららから声をかけられる。
「……春日さんの仮説だと、地球の情報重心が宇宙から来る電波ですか、それを振動させる理由ってどう考えられるんですか?」
「仮説なんてあるわけない」という言葉を飲み込んで、大悟は質問した。
「ORZL-Dが電磁場に作用するようなLczを作り出すっていうのが一番単純な考え」
「つまり、それじゃないってことですよね」
「もちろんそうだね。まず面白くない。それに、もしそうならシミュレーションで容易に計算できる。もっとも電磁相互作用、つまり電波と弱い力は比較的簡単な数学上の操作で統一可能だし、そこら辺まで考え始めると一筋縄じゃ行かないけどね」
要するに電波と本当は同じである弱い力の作用を通じて、間接的に電波に影響を与える。そういう可能性があるらしい。
「でも、それだと距離が足りない」
「距離ですか?」
「そう、電子相互作用は距離の二乗に反比例して弱くなっていくけど、原理的には無限大の距離まで届く。でも、弱い力を媒介する中間子は質量を持ってるから、ずっと短い距離にしか届かない」
要するに、空のかなたを回っている観測衛星までLczの作用が届かない、そういうことらしい。力を媒介する粒子の質量が電磁相互作用、つまり光子だと重さゼロ。弱い相互作用だと重さがある。
重さのない粒子なら薄まりながらもどこまでも届くが、重さがあるとそれに応じて途中で止まるということらしい。わかりやすいといえばわかりやすい話だ。
「ダイゴは次にどう考える?」
そして解るわけがない質問。それでも、大悟は今の話から空白を探る。
「さららさんが見つけようとしている未知の力ですか? それを媒介する粒子の質量は0と弱い力の……ウィークボソンでしたっけ、その中間のどこかくらいにある。ですか?」
「正解」
さららは答えた。そう、こんな答えは専門家にとっては自明だろう。春香でも同じことを考えるはずだ。ならばこの方向性が正解か?
(そんな当たり前のが父さんの空白……)
大悟はすぐに首を振った。さららのいう空白が正解なら、彼にわかることではない。春香をここに連れてくる手を考えた方が実質的だ。
(じゃあ別の空白が……)
何かが引っかかった気がした。
「何か見えた?」
「見えません。空白は見えないんです」
何かが垣間見えたとしても、彼にできることではない。他人が何と言おうと、これまでの空白も彼一人では決して届かなかったのだ。
「というわけで、やっぱり春日さんにもどってきてもらうしかないと思うんだよ」
「けっひょく、ほれなの?」
大悟は休憩中の綾に話しかけた。ちなみに彼女は今、彼の差し入れのクッキーを口に入れている。
「ああごめん。口の中片付けてからでいいから。ほら、綾なら向こうのことも少しは知ってるだろ」
「そりゃ、大悟よりはね」
綾の返事は気のない肯定。その証拠に、手は次のクッキーに延びている。
「元凶の僕が何しても無駄ってことか?」
大悟は洋子の言葉を思い出していった。綾はため息をつくと、手についたクッキーの粉を掃った。
「私も、それにさららさんもそんな話なんかしてないでしょ。その話だと大悟は当事者じゃないって話」
「あくまで春日さん自身が、その気にならないとってことか?」
「方向性の一つはね」
「その方向性でいいから、じゃあどうしろと……」
「これに関しちゃ大悟は適役でしょう。ほら、まだ二勝一敗で勝ってるわけだし。あの負けず嫌いに」
「あと百回勝負したら、二勝百一敗になる自信があるんだけど……」
「今後の戦績に関しては関係ないからね。ちなみにその勝率についてもノーコメント。大体、春日さんが試合放棄してるんだからやりたい放題でしょ」
綾の評価にはうなずけないが、春香を挑発するというのならそれっぽいことはして失敗済みだ。だが、それを言っても綾は「挑発が足りなかったんでしょ」とにべもない。
「じゃあ、僕が当事者になるっていうのは?」
もう一つの方向性。確かに、今回の事件が彼の父のことであるなら、彼は当事者に近い。だが、だからといって……。
「例えば春日家に突撃して、春香さんを僕に下さいをやることだね。これなら当事者でしょ」
「聞けよ。って、絶対違う話だろ、それ」
とんでもない案が出てきた、それでは事態が悪化するだけだ。
「違わない。春日さんの気持ちが一番大事かもしれないけど、大悟の行動にとって一番大事なのは大悟の気持ちでしょ。大悟が、春日さんのこと必要だって決めたら、そのために動けばいい。はい、この話は終わり。ねえ、ルーシア、こっちの結果なんだけど……」
綾はそういうと話は終わりとばかりにルーシアの方に行ってしまった。
「どっちも無理ゲーだって」
大悟は途方に暮れた。前者の難易度は高すぎる。後者は論外だ。
となると、どっちつかずの彼にできることは……。
「両方の合わせ技とか、か?」
春香自身がいま彼女の前にある障害を蹴飛ばすほどやる気になり、そしてそれが彼にとって必要なことになる。彼と彼女の間にあるあり得ない空白。
それはつまりこれまでの様に……。
「それらしい仮説で、春日さんをつり出せってことか……」
大悟は目の前のスクリーンに映った地球儀と、そこにある二種類の情報重心。そして、宇宙背景放射の振動パターンを見た。
地上のコンピュータによる人工知能の計算と、宇宙のかなたから飛んでくる電波の関連性?
「それこそ無理ゲーだろ……」
そうつぶやいた大悟だが、その瞳はスクリーンから離れない。今自分が進んでいるシナリオが気に食わないのだ。ならば、たとえ無理に見えても、その新しい道に向かって方向キーを倒すしかないということだ。
「要するに、こっちが三勝目を挙げたふりだけできればいいんだからな」
それだって無理、という内心の声を押し殺して、大悟は空白の周囲を固める方法を考え始めた。
2018年12月27日:
本日が2018年最後の投稿になります。
ここまで読んでいただきありがとうございます。
それでは皆さんよいお年を。
次の投稿は来週の木曜日です。




