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複雑系彼女のゲーム  作者: のらふくろう
第一部『物理学の爆弾』

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8話:前半 見学

 学業から解放された若者を歓迎するように、夏休み初日は快晴だった。


 午後一時三十分、日差しの歓迎も少し鬱陶しく感じ始める時刻、三人の高校生はいつもとは違う教育機関に居た。


 白いティーシャツと紺のジーンズ。教室でのイメージと反対の装いは、クラスメイトの春香。


「九ヶ谷君達にとっては見学だけど、さららさんは仕事なの。時間を無駄にしないでね」


 春香が大悟に言った。


「そのさららさんが来てないのにか……」


 嫌みな口調がも少しだけ慣れてきた大悟は皮肉で返した。少なくとも”この春香”に白のワンピースを期待しない程度には、相手のことを知ったのだ。


 初めて見る私服のレア感が、陽光の下で眩しい程度の慣れだが。


「もうすぐ来るはずだから。……もう一度確認する」


 春香は時刻を確認すると、慌てて少し離れて電話をかけ始めた。


「ずいぶんと打ち解けてるじゃん」


 皮肉っぽい言葉が、大悟に刺さった。ホットパンツと明るい縁のブラウスの小柄な少女、綾が彼をジト目で見ている。


「誰かのために特別なクッキーをママに作ってもらった効果かな」

「いや、そういうのとは違うと思うぞ。……母さん、話したのかよ」


 母親と女友達のホットラインに、彼は頭を抱えたくなった。ちなみに、綾と大悟の家族の間のネットワークには、更に彼の妹も加わっている。


 綾に説明する。あれはあくまでお礼だと。


「放課後の個人授業のお礼ねえ……」

「さっきから言葉の選択に悪意を感じる」


 大悟がそう言ったとき、春香が若い女性と一緒に戻ってきた。


「日本の夏は暑いね。中に入ってても良かったのに」


 さららが言った。まるで、地面から出てきたモグラのように、陽光を手で遮っている。もう片方の手には大きめのタブレットを抱えている。


「私たちだけじゃ入れません。急いでください。遅刻なんかしたら、それこそあの男に何を言われるか」


 大悟は視線を背後にある目的地に移した。そこには白くて四角い建物がある。関係者以外立ち入り禁止の看板の赤い文字も、核関係の施設であることを示す黄色のマークも真新しい。


 待ちに待った夏休み、その記念すべき初日に入る場所ではない。


(メンバーだけみたら、クラスの男子の九割にうらやましがられるな)


 今から踏み込む最先端研究所ばしょへの気後れを、大悟はそう誤魔化した。


◇◇


 白い建物の中はひんやりとしていた。埃一つないような磨き上げられた床。そこに白いスーツが映っている。


「はあ、普通は約束の五分は前に到着しているものでしょう。私が部外者を入れる許可を取るためにどれだけ苦労したと思ってるのかしら。ただでさえ、コンピュータの不正侵入への対応がやっと一段落したところなのに」


 さららに嫌みを言っているのはここの責任者である工学部の教授。堂々たる体軀の大男だ。白いスーツという出で立ちはともかく、さららと違って専門家としての威厳が十分すぎるほどある。


 場違いを承知の大悟は緊張する。


「それで、貴方たちが見学の高校生さん達ね」


 大学教授の視線が大悟達に移った。大悟は思わず身を固めた。だが、大場はにこりと笑った。


「私たちの研究に興味を持ってもらえるなんて嬉しいわ」


 大場は三人の顔を順番に見た。春香がふいと顔を逸らした。


「よろしくお願いします。重粒子治療装置の開発の場を見れるなんて、楽しみです」


 綾が言った。この中では一番関心が薄いにもかかわらず、相手のことを下調べしているのは流石だった。


「よ、よろしくお願いします。九ヶ谷大悟です」


 大悟はなんとかそういうのが精一杯だった。


「……よろしくお願いします」


 最後に春香が冷めた声で言った。


「じゃあ、まずは未来ある学生さん達に私達の研究について説明しましょう」


 大場は春香の態度を気にせずに、部屋の中心にある円形の装置に手の平を向けた。


 大場に先導されて装置に近付く。銀色の太いパイプを六角形のつや消し(マッド)の黒い機械が取り巻いている。かなり巨大な装置だ。部屋の中心にあることといい専有面積といい、この部屋そのものが装置のためにあるのだと解る。


「この装置はいわば、リニアモーターカーなの」


 大場は説明する。装置の中心は円形のパイプで、その中心にある細いチューブと、それを取り囲む巨大な磁石で構成されている。チューブの中で、磁力を使って電子や原子核といった電気を帯びた粒子を加速するらしい。


 一般的に加速器という物だ。綾ほどではないだろうが、大悟も一応ここのことは調べたから、加速器を研究していることは知っていた。だが、検索で加速器と入れると、出てきたのはとてもじゃないが建物には収まらない規模の物だ。


 最大は、全長27キロというスイスにある装置。何と山手線一周とほぼ同じ大きさだという。日本にあるものですら全長二キロじゃなかったか。


 目の前にあることの迫力はすごいが、直径十メートルくらいしかないように見える。加速器というのは大きければ大きいほど出力が高く、出力が高ければ高いほど価値があるらしい。最先端という言葉にそぐわないように見える。


「小さいって思ったかしら」

「え、あっ、いえ、そんなことは……」


 内心を見抜かれた大悟は焦った。


「CERNのような巨大な加速器とここにある小型の加速器では役割が違うの」


 大場は気にせずに説明する。この加速器の一番の利点は”小さいこと”だという。装置の目的としては、第一に癌細胞を攻撃するための重粒子の発生。素材の検査や、化学物質の構造を調べる為の高エネルギーの検査針プローブを発生させるという派生的な機能も期待されている。


 癌の放射線治療や物質へのレントゲン調査のすごいバージョンだという。


「病院に何キロって大きさの装置を付けるわけにはいかないでしょ。これが成功すれば今国内に五カ所しかない重粒子癌治療施設を何倍にも増やせる。建設費用もずっと安くなるの。高齢化が進めば、癌の治療、特に侵襲……。えっと手術のように体に対する負担が大きいことね、その侵襲の少ない治療方法が必要になるの。身体に傷をつけず、がんの組織だけを攻撃するこの装置の意義は大きいわ。この分野で日本は世界をリードしているのよ」


 大場はそう言って大悟達にウインクした。癌治療という言葉に、大悟は綾を見た。彼女は涼しい顔で聞いている。


「つまり、小型化することで需要が拡大して費用も安くなるって事ですね。多くの人にとってはレーシングカーよりも軽自動車の改良の方が重要ですね」


 綾が言った。


「そうなの、そういうことね。よく勉強しているわ」


 大場は感心したように綾を見る。大悟がなんとなくその意味を把握したとき、「でも」ともう一人が発言した。


「F1カーの改良が軽自動車の役に立つことはあっても、逆はないんじゃないですか」


 工学部教授に論争を挑むクラスメイトに大悟は戦慄した。


「そうねえ、ありとあらゆる技術は原子、もっと言えば素粒子を基盤にしている。その基本的な理解は必要だわ。でも、人間の知能では素粒子の基本性質と目に見える大きさの物質を連続的に理解することは出来ない。少なくとも現時点ではね。だから、工学と物理学が別れているのじゃないかしら」

「現時点では……そうですね」


 大場は諭すようにいい、春香は渋々といった様子で矛先を納めた。そして、大悟は何を言っているのか解らない。


 一人沈黙している大悟は肩身が狭い。もちろん彼にも知りたいことはある。だがこの雰囲気で事故のことなど口に出すわけにはいかない。


 解ったのは、事故が起こったときに放射能が云々と騒がれる理由。そして、事故で再稼働できない状況というのは思った以上に深刻なのだろうということだ。


 だからこそ、理由が分かると主張するもう一人の科学者さららが呼ばれたのだろう。


「じゃ、そろそろ事故の跡を見せてもらおうかな」


 さららが言った。さっきまで柔和だった大場の顔が一瞬で尖った。大場は黙って装置の後ろに向かった。


「これが事故を起こした8番ユニットで、ここにあるのが事故の跡よ」


 大場は装置の背後にあった三角形の機械を指差した。今まで見ていた装置がホールケーキだとしたら、その12等分くらいのサイズだ。切られたロールケーキの様な断面を晒した装置。大悟にはどこに異常があるのか解らなかった。


 大場の太い指が指す、むき出しの内部にある管の表面を大悟は凝視した。


 金属の筒のごく一部が生クリームのようにねじれ。中心に針の先くらいの穴が空いているのが見えた。


(えっ、これだけ?)

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