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複雑系彼女のゲーム  作者: のらふくろう
第三部『ゲーム』

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7話 インタビューⅠ

「暇だね」

「そうだな。暇だな」


 スクリーンの上を進む情報台風の予想円を見ながら、大悟と綾は言葉をそろえた。情報重心はかなり大きくなっており、もはや勝手に周囲の情報が吸い込まれていくようにすら見える。


 ちなみに、昨日アメリカではCIAだかのサーバーが一斉にダウンさせられたというニュースが入ってきた。テロリストの攻撃だとか内部告発だとか、色々言われているが原因不明らしい。


 ちなみに、そのニュースの数時間前にアメリカの各所に情報重心が同時に発生して、しばらくして消えたのをさっき綾から見せて貰った。


 人間側の抵抗が終わったので、綾のやることは限られているのだ。情報を吸い込むことが巧みになったらしく、通信障害は殆ど起こっていない。春香曰く弱い観測が云々らしい。


 一旦落ち込んだ世界中の情報通信量も回復している。つまり多くの人が自分の情報が盗み見られているのも知らず、通常通りにSNSその他を使用しているということだ。もしも、完全に防ぎたければネット自体を止めるしかなく、それは世界経済の破滅を意味する。


「経済って言うのは人、物、金の流れの量とスピードだからね」

「なるほど、それを仲介するのが情報のスピードって事か」

「狭義のだけどね」


 解っていてもどうすることも出来ない。むなしいというよりも現実感がない。何しろ、こんな事をしてどうするつもりかという、根本的疑問が未解決なのだ。


「なあ」

「なに?」

「科学者って何だと思う?」


 大悟の口からその質問が出た。


「周りにいま何人も居るでしょ。科学者とその卵」

「そうだけどさ……」


 大悟はホワイトボードの前の若い女性を見た。さららの目的はいわゆる万物理論だ。宇宙の全てを一つの方程式に納めるというもの。だが、彼女の本質であるORZL理論には未だ触れることさえ出来ていない。その空白のスケールと種類は彼の求める空白、つまり父のとぴったり重なるように見える。


「空白に空白を重ねてもな……」


 大悟の視線が黒髪と金髪の少女のペア、ノートパソコンを二台並べて作業している春香とルーシアに移動した。卵の方はどうか。人工知能について詳しく聞くなら、それこそルーシアかもしれない。だが、大悟の疑問は人工ではない知能だ。


 一方、春香に聞けばどちらも情報処理だと言うだろう。空白は埋まらない。


「HARUKAの試算したORZLの図形には共通したPROBLEMがある。吸い込んだデータがMISSINGLINK」

「そこは今検討中で、必ず解決するから」

「そもそも仮説の基本が情報量が保存されるって事でしょ。そこが満たされないんじゃ意味がない」

「理論上、平面計算を許す構造はこの枝の先にしかないの。確かに、実際のネットワークの状況から想定されるLczと数値がかみ合わないけど。多分さららさんの独立問題と相関していて……」


 しかも、折り悪く二人は、Lczの解析について議論を始めた。情報の台風が吸い込んだ情報の行き先、それが解らないらしい。詳細は一切わからないが、この二日間何度も同じ話が出ている。


「うーん。要するにもっと普通の科学者ってこと? じゃあインタビューと行きますか」


 綾が地下室のドアを指差した。


◇◇


「アポもなしにすいません」


 先核研の二階にある所長室で、綾と大悟は白衣ではなく白いスーツの大男と向かい合っていた。


「小笠原さんのインタビューなら歓迎よ。それに、私の新作の感想も聞きたいし」


 大場は大悟達に白いレアチーズケーキを出していった。ご丁寧に紅茶まで付けてくれる。セカンドフラッシュの良い葉らしい。相変わらず玄人はだしの腕前である。そう言えば実験家は料理が得意だというのが大場の持論だったか。


 綾と大場がレシピや盛り付けについて話しているのを大悟は聞いていた。会話が途切れたときに、綾が机の下で大悟の靴を足でつついた。


「すいません。その僕も一つ質問良いですか。えっと、大場教授はどうしてその科学者になろうと思ったんですか……」

「まあ、まるで三年生が研究室選択の為に訪問してくる時みたいな質問ね。ふふ、将来はウチに来る?」

「とんでもありません。ボクの成績じゃあこの大学は無理です。ってからかわないでください」


 大悟は両手を振った。


「別にからかってはいないけど。まあいいわ。私が科学者になった理由ね。そうね、子供の頃はケーキ屋さんになりたかったのよ」


 目の前の厳つい大男には似合わないメルヘンチックな夢だが、食べたばかりの手作りのお菓子から冗談と笑うことも出来ない。もちろん体力仕事でもあるプロのパティシエは男性の方が多い。もし大場がパティシエになった世界があるなら、母の店の近くには開店して欲しくない。


「レシピって言うのは予測不可能なの。ほんのちょっと材料の比率を変えただけで、味ががらりと変る。均衡とそこからほんの僅か顔を出した個性。そのバランスが面白いの。解りにくい? そうね、じゃあこういうのはどうかしら……」


 大場は紅茶の茶葉をフィルターに取ると、水道から汲んできた水を垂らした。そして、水出しされた薄い琥珀色の液体を小皿に取った。


 大悟達の前に置くと、指先で唇をなぞった。大悟と綾は指を付けて恐る恐る。そして、口の中に予想もしない味が広がるのが分かった。


「どう?」

「なんかブドウみたいな甘い味。これって、確か……」

「マスカテルフレーバーですね」


 綾が答えを言った。


「正解ね、このお茶の葉をみて、ほら部分的にいろが変わってるでしょ」

「確か虫が噛んだ後なんですよね」


 大場が缶から蓋に移して見せた茶葉には、部分的に変色している。見た目は悪いが、実はダージリンの高級茶葉の特徴である。虫が噛んだことにより、マスカットのような甘い香りが立つのだ。ただし、微かに。意識してないとそうと解らない程度。


 だが、今舐めたお味ははっきり甘ったるくて、特徴的な葡萄の香気がある。


「紅茶の渋み成分とマスカテルフレーバーの成分は温度による抽出されやすさが違うの。だから水を使うとマスカットの香り成分が目立つ。つまり渋みと香りのバランスは入れる時間、お湯の温度で大きく変る。特に、マスカテルフレーバーは渋みの中に微かに香る程度だから、ほんのちょっとの条件の変化で消えてしまう。ね、紅茶一つ入れるのも化学実験なのよ」

「お菓子作りは科学だって言葉、初めて実感した気がします」


 大悟は思わずそう言った。


「でも、お菓子作りに答えはない。もちろん、科学にしろ工学にしろ答えはないのだけど。その答えがない中で人の役に立つバランスに条件を整える。それが工学の役割といって良いわ。そこを突き詰める為の工夫が楽しいのね。例えば私たちのあの子も……」


 大場は一階にある加速器を手の平で示した。そういったことを考えていたら、いつの間にかこんな大きな研究所で巨大な機械を作っていた、そういうことらしい。頭の出来が根本的に違うというのはこういうことだろう。


「この世界にまだない物を作り出す。この世界にある物を上手に組み合わせてね。これが工学の醍醐味といった所かしら」


 大場はそう言って笑った。その笑顔にレシピを決めた時の母が重なったのは偶然ではないのだろう。大場の空白はこれまでにないもの、今後生み出されるものだ。それは、宇宙の真理を追究する、つまり最初から存在しているが人間にとっては空白である万物理論とは対照的な空白だ。


「じゃあ、その。もし、お菓子のレシピを人間よりも上手く作る人工知能なんかが出来たら、どう思いますか?」


 気がついたらそう聞いていた。本題とは少しずれている。だが、それは彼と春香の論争に関わるような気がした。大場は少し考えた。


「そうね、私は科学者だから、それが出来たなら認めるわ。少しさみしく感じるかもしれないけど。ただ……」


 大場はそこで言葉を切ると、紅茶に口を付けた。


「少なくともコンピュータの進歩だけでそれが出来るという考え、それに対しては否定的かしら」

「それはどうしてですか?」


 綾が聞いた。


「レイヤーが違うってこと。まあ、勘のようなものだけどね」


 大場はそう言って生徒二人にウインクをした。

2018/10/21:

来週の投稿は木、日の予定です。

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