6話:前半 仮説と分業
いつもと少し違うラテン系の打鍵音が地下室に響いている。壁のスクリーンに映し出されたのは、小さな台風とその周囲の無数のバツ印、そしてそこに向かって延びる赤と青の線束だった。
「DAIGO達の知りたい情報はこれでいいかな。ちなみに協力S.I.S.だよ」
指の動きを止めたルーシアが言った。
大悟の理解するところ、実際にはルーシアと春香の説明を聞いてだが、CGで示された地球のあちこちに発生している台風は、さららの理論を元に算出された情報重心。局所的空間改変《Lcz》で周囲の物理法則を歪めている。
その周囲に散らばるバツ印はその結果として、生じているネットワーク上の通信障害だ。
赤と青の二色の線の内、赤は情報が抜き取られている通信。そして、青が……。
「なるほど、流石にこの規模になると放っては置かれないわけね」
白いスーツの大男が言った。先核研から駆けつけた大場だ。
「流石は世界規模のテクノロジー企業の人材とコンピューティングパワーだね。見えてなくてもこれだけ的確に対応するなんて」
さららがいった。
「単純な計算量だったらGMsを4桁は上回るだろうって言うのがS.I.S.の判断」
ルーシアが言った。ちなみに青い線はシアトルから1カ所、サンフランシスコの3カ所からでている。大悟も知っている世界的企業。綾曰くの時価総額の合計が500兆円という最先端企業が手を組んで、通信障害を解決しようとしているのだ。
彼らには情報重心は見えていないはずだが、通信障害の状況から異常の生じる進路を予測して、通信の経路を変えることで回避しようとしているらしい。情報という餌がなくなれば情報重心の成長も止まる。自ずとLczの影響も減るということだ。
ちなみに赤い線が情報重心に吸い込まれていく情報だ。
青い線が攻勢を強めると、画面上のLczが縮小し、その周囲のバツが次々と消えていく。結果としてLczにより分断されていた世界のネットワークは平穏を取り戻していく。
「これ、ボクたちが何かやる必要がないってことじゃ」
大悟は少しほっとしながら言った。もちろんこの結果として、彼の父が何らかの犯罪の容疑者として国際ニュースに載る可能性を考えると安心は出来ないが。
「物理法則を変えちゃいけないって法律はないから大丈夫じゃない?」
「……その分超法規的に対処されたらどうするんだよ。家族含めて」
大悟と綾が軽口を交す。今の時点では冗談だ。何しろ、GMsのつい先頃までの共犯者がルーシアの背後、比喩だが、で活動中だ。
「それで、これで問題解決ですか?」
綾がさららに聞いた。
「あっちが現状のままならね? でも多分、二日後には違う光景が見えているんじゃないかな」
さららは意味ありげに言った。その横で大場も苦々しげに頷いた。二人の目はルーシアが表示したグラフに向かっている。単純な棒グラフだ。通信障害が顕在化してから対処されるまでの時間らしい。高い棒がほぼまっすぐ並んでいる様に見えるが、注意深く見ると微かに右肩下がりだろうか。
「で、講師はどう動くのかしら」
「私の方はORZLの数式上の独立問題がプライオリティー。折角、世界的企業が実験サンプルを提供してくれてるわけでしょ。となると、その間に……」
さららは画面上にORZLの方程式を提示した。そして、大悟たちの方を見た。
「今回のレポートの提出待ってるからね」
さららはしれっと言った。大場はあきれたような表情になる。
「分かりました。今度こそ……」
そして春香が決意のこもった瞳で大悟を見て言った。
「時間もないし。まずは、私の方針を聞いてもらえるかしら」
大場が戻り、さららがホワイトボードに暗号を並べては消す作業を始めた。それを背後に春香が大悟たちを見る。大悟、綾、ルーシアの三人は頷いた。というか、春香以外に方針など持っている人間がいるだろうか。少なくとも彼にはない。
「コンピューティング、つまり情報処理の速度を上げるようなORZLの形状が候補だと思うの」
「木で鼻をくくったみたいな話だね」
ルーシアが器用に慣用表現を使いこなしていった。
「分かってるわ。想定するのは平面コンピューティング。つまり……虚数ビットを用いて人工知能アルゴリズムをブーストできるような物理法則の改変」
春香は虚数ビットの所で大悟を、人工知能の所でルーシアを見た。
「…………」
「深層学習でいいの?」
大悟は沈黙。ルーシアは当たり前のように反応した。
「少なくともテストサンプルはそういうことになるわ。ORZLと連動して、物理的な情報処理の限界を打ち破るのがGMsの狙いだろうから。ちなみに九ヶ谷君の意見は?」
「情報処理の物理的限界って何ですか?」
意見なんかない、という意見を伝えるべく大悟は質問した。
「そうね、一番根本的なのはc、つまり光速とブラックホール」
「ごめん意味が分からないです」
大悟は言った。隣で綾が頷く。
「情報処理の速度は情報をどれだけの早さと密度で送れるかに依存する。だから光速については簡単。如何なる情報も光速を超えては伝達できない。もっとも、これの意味するところは……」
例えば春香から大悟に1ビットの情報を伝えるとする。離れた場所に情報を送るにはその為の手段が必要だ。もし春香が手紙を自分の足で運ぶなら時速10キロ。声なら秒速340メートル。そして光なら秒速30万キロ。そして、それがこの宇宙の限界。これはなんとか分かった。
「次は情報の密度。光の波に情報を載せることを考えるの」
春香は画面上に2つの波計を出した。1つは赤色でのんびりとした海の波のような波形。もう一つは青色で歯ブラシの要にぎざぎざの波形だ。
「どちらも光の波長という意味では一緒。速度は光速。でも、上の波長の長い波よりも下の短い波の方が単位時間あたりに伝えることが出来る情報の量は多い。ちなみに、可視光だったら上が赤色、下が青色に当たるわ。そして、波長の短い光の方が高いエネルギーを持つ。つまり情報の少ない赤い光を発信するよりも情報の多い青い光を出す方が、発信源は多くのエネルギーを持つことになる。そして、エネルギーは質量と等価。もう分かるんじゃない?」
「……つまり、一度に沢山の情報を発信する為にエネルギーを高めていったら。発信源は最後にはブラックホールになる」
大悟は答えた。春香は頷く。
「つまり、この宇宙で最大の情報密度はブラックホールになるの」
「でも、ブラックホールって光を出さないんじゃ……。いや、蒸発するんだっけ」
「そうよ。つまり、ブラックホールの表面がこの宇宙で最大の情報処理が行なわれている場所ということになるわね」
質量とエネルギーの等価性、ブラックホールとその蒸発、コンピュータの話をしていたはずなのに、遙か遠いところまで連れてこられる。
「流石に話がそれたわね。私の仮説である平面コンピューティングによる深層学習のブースト速度を考えると、ORZLの候補は前回の虚数ビットを発生させていたLczの進化形になる」
ようやっと分かるところに来た。つまり、彼の父の属するGMsが前回の実験を元に進化させたコンピュータ用の物理法則を探り出すと言うことだ。
「理屈は分かった。で私は何を?」
「私がORZLの形を計算する。現在地球上で発生している情報重心の情報から、なるべく虚数ビットに適したORZLを選別するわ。そして、ルーシアさんにはその条件で深層学習アルゴリズムの計算速度をシミュレーションして欲しいの。出来るかしら」
「当然可能。S.I.S.の力も借りるけど良いよね」
ルーシアが頷いた。
「さっぱりだけど、私は何をすれば良い?」
「小笠原さんには、情報重心の進路についての情報を集めて欲しいの」
「了解。やり方と形式の指定をお願いね」
二人は春香の方針に同意のようだ。勿論、大悟もそうなのだが……。
「えっとボクはなにを手伝えば……」
「九ヶ谷君は手伝いじゃなくて、私の仮説に勝つ方法を考える。ブラックホールの蒸発も虚数ビットもお手の物でしょ」
春香は口を尖らせて言った。
「むちゃくちゃ言ってるよ。分かった、いつも通り雑用してるから何か用事があったら遠慮なくどうぞ」
大悟はそう言うと、まずはお湯を沸かす準備の為にラボのシンクに向かった。
(今度こそボクは何も出来ないな)
壁のスクリーンに映った情報の天気図に示された複数の台風。その向こうに父の顔が透けて見えるのを、大悟は頭を振って消し去った。
2018/10/14:
来週の投稿は木、日の予定です。




