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複雑系彼女のゲーム  作者: のらふくろう
第三部『ゲーム』

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5話:後半 情報の観察

 情報は読み取ると消えてしまう。つまり、元々あった情報は失われる。例によって直感から外れる話だ。それを否定する為に、大悟はグラスを持った。


 向かいの春香がしたのと同じようにテーブルに水滴を並べた後、おもむろにもう片方の手をそれに向けた。


パシャ


 音と共に、テーブルに光が反射した。手に持ったスマホの画面には、今水で描いた情報ビットが写っている。つまり、写真として情報を写し取ったのだ。もちろん、テーブルの水滴はそのままだ。


「机の上の情報は消えないし、この画像は世界中にコピーしてばらまけるよね?」


 白地に水滴が並んでるだけの画像は”栄え”ないので、誰も興味を持たないだろうが、いくらでも複製することは出来る。コピーできるのだ。綾も横で頷いている。


 だが、春香は首を振った。


「この場合も水滴から情報は失われているの。まず、この水滴は最終的には蒸発してしまうでしょ。つまり、情報は失われる。ううん、今も失われているの。最大の理由は光が当たるから。写真を撮るとフラッシュの光でその過程は速度を増す。ほんのわずかだけど情報がより早く失われる。その写真はそうやって失われた情報を代償に存在しているといっていいわ」

「つまり、光もさっきの指も同じってこと?」


 綾が聞いた。


「そうなの。それを認識できないのは、この情報が多くの冗長性を持っているから。もしも、個々に並べたのが1ビット当たり、たった一つの水分子ならどうなるか考えてみて」


 春香はそう言うと取り出したノートにさらさらと数字を書いた。



     1            0

11111111111  00000000000



「要するに、本来なら2ビットで良いのに22ビット使ってるから、少々情報が壊されても平気ってこと? 文字の線が太ければ太いほど、光でかすれても読めるっていうのはわかるよ。水滴を指で探るときも、もっと大きかったら形を保つかも。でも、コピーは?」


 大悟はスマホを操作して綾に今の写真を送った。綾が大悟のスマホの横に彼女のを並べる。


「今の過程を情報理論の言葉にするとこういうことになるわ。まず、九ヶ谷君のスマートフォンの中でメモリー上の珍しいパターンとして存在しているビット列が、読み取られる。ビットが電気的に読み取られる時に情報が失われるから、電気を使ってそれを補う。つまり、エネルギーを使って元の情報を保持しつつ、それを複製しているの。でも、その代りに……」

「別の場所、例えば発電所とかで情報、つまり珍しさが失われている?」

「そういうこと。今のを前提に今回の情報通信の話に戻るわね。通信の場合は光ファイバーを情報が行き来する。つまり、光子の数が文字の太さに当たる。ノイズなんかで多少の光子が欠けても大丈夫なように、大量の光子、強い光で伝えているの。仮に光子が1つあったら1、光子が0なら0という通信があったとしたら、光子が1つ吸収されたり迷い込んだだけで通信内容はめちゃくちゃになる。でも、光子100個以上なら1、10個以下なら0としておけば、多少のノイズでは内容は失われないでしょ」

「と言うことは件の通信障害は……」

「光ファイバーの中の情報がLczによって吸い取られている。ノイズになったのはその結果。私たちが送ったSNSの情報がLczに移っている。そういうことね」


 春香は結論をいった。大悟としては一応なんとなくは理解できた。だが、大悟達のメッセージなどの情報を大量に集めて、何をしようというのだろうか。そもそも、Lczを操るGMsの目的は神のごとき知性を作ることではなかったのか。


 3人寄れば文殊の知恵と言うが、大悟達のメッセージをどれだけ集めてもそんな物が作れるとは思えないのだが。


 ただ、今の話にはもう一つ疑問がある。


「一つ解らないんだけど。今もこの水滴から情報が読み取られて、その分壊れてるんだよね。その情報はどこに行くの? もし、ここに誰もいなかったら?」


 大悟は水滴を指差した。大悟が写真を撮らず、それどころか水滴に目も向けていなければ、情報はむなしく失われるだけだ。


「実は情報を読み取るというのは人間の認識とは関係ないの。九ヶ谷君の言ったとおり、今もこの水滴に光が当たっている。水滴じゃ分かりにくいからこれにしましょう」


 春香はグラスを掲げると席の壁に近づけた。


「グラスに当たった光は、そのパターンをある程度保持したまま、壁に当たる。これにより原理的には僅かに壁の光による退色に違いが出ると言うことでしょ」

「……つまり、画面じゃなくて壁に写真が撮られてるのと一緒ってこと?」

「そういうこと。情報を読み取るというのは結局全て相互作用なの。例えば光自身も……」


 春香は次に頭上の照明を指差した。


「テーブルのお客さんを照らすようにパターンを決められている。つまり、情報を持っているの。その情報は水滴に当たると、水滴にその情報、つまり光がどの角度から当たったかを伝えながら失われる」


 それでは世の中のありとあらゆる事が、情報の相互交換と言うことになる。それじゃまるでコンピュータだ。コンピュータの計算だけの無機質な世界。だが、大悟はそれだけでないことを知っている。


 その中からライフゲーム、セルオートマトンの疑似生命が生まれる。アレもまた、ある法則に基づいた0《死》と1《生》という情報の相互作用だ。そしてそれは、クラスの中で人間関係が作られるのとも同じ……。


 水滴の写真を撮るだけの話で、世界がどんどんゲームに近づいていく。


「つまり、これは計算コンピューティングの――」

「水滴は世界のすべてを観察してて、世界のすべても水滴を観察してるってこと?」


 大悟は思わず春香の言葉を遮った。


「それはちが……、そうとも言えるかもしれないけど。まって。ううん、そういう情緒的な言い方よりも計算、例えばかけ算と言った方が……。あっ、でも、非可換性と積分を……。でも、そうした経路積分と同じ……」


 春香はぶつぶつと意味のわからない暗号を並べると、大悟をじっと見た。大悟も春香を見る。


「ま、まあそう理解しても良いわ」

「でも、それだとなんか……」


 自分で言っておきながら、大悟は何かが足りない気がする。それでは逆に何もない、世界には何もないことに……。


「えっと、二人だけの世界に入られると困るんですけど」


 綾の言葉で二人はやっと自分たちがにらみ合うように挑戦的な視線を交わしているのに気がついた。


「そういうんじゃない」


 大悟は慌てて否定した。春香もぷいと顔を背けた。綾は肩をすくめた。


「話を戻していいよね。世界中のネットワークから読み取られた情報は結局何に使われるの」


 綾はあくまで現実を重視する。


「そうね、世界その物を理解する為のアルゴリズムを生み出すアルゴリズム。つまり、スーパーアルゴリズムを生み出す為に使われるんだと思う」

「「スーパーアルゴリズム?」」


 大悟と綾は思わずハモった。


「ええ、アルゴリズムを生み出すアルゴリズム。簡単に言えば人間の知能なんかがそれに当たる。例えば、今みたいな考え方もまた、この世界をあるアルゴリズムとして理解するために人間の脳、つまりスーパーアルゴリズムコンピュータが生み出したもの。例えば単純な意味でのコンピュータは与えられた数式を計算するのは人間よりも早いけれど、数式そのものを作り出すことは出来ないでしょ。数式じゃなくても、そうね……」


 春香は綾を見た。


「文字だってそう。世界を記述するためのアルゴリズム。それに、ゲームは現実のある状況を模式化、つまりモデルにしたような物でしょ」


 そして大悟に言った。大悟の脳裏に海戦ゲームやインターンで最初に経験したMMORPGが浮ぶ。確かにあれは世界のモデルの一つだ。だけど、それだけか……。


「ただし、Lczを操ってる側のスーパーアルゴリズムは人間とは桁が違う。これはコンピュータだから計算速度が違うという意味じゃなくて、本質的に違うの」

「それも不思議なんだけど、どうしてそう言えるのか、その根拠は?」

「向こうの力の一片が既に示されてるから。この前のMAPKの細胞内ネットワークと関わるところなんだけど。例えば人間はスーパーアルゴリズムだけど、大きな限界があるの。1対()、あるいは()対1の関係しか理解できない。だから特に生物学的実験は困難で……」


 MAPKの機能を明らかにする場合、MAPKという1つの遺伝子を壊したら、MAPKに関わる多くの機能に影響が出る。これが原因が1つで結果が多数という解析のやり方らしい。なるほど、原因が1つなのだからその結果は全て原因に繋がる。


「逆に、多くの現象に共通にMAPKが活性化していると言うことが分かれば、MAPKがどんな性質か分かる」


 これがN対1か。


「それに対して、例えば複数の要素が複数の要素と関わってる様な場合、つまり現実の殆ど全てがそうだけど、関係が複雑すぎて人間には理解できない」


 なるほど、ゲームのバグやチート技なども複数の循環的なコンボで生まれたりする。つまり、制作者スーパーアルゴリズムが予期できぬ、少なくともしにくいと言うことだ。それが、膨大な数のプレイヤーが一つ一つ試すことで、突然明らかになる。


「そして、現在ではコンピュータの計算能力を生かして、スーパーアルゴリズムを生み出す為の技術が開発されていて。そうね、これに関してはおそらくルーシアさんの方が詳しいと思うけどDeep……ちょっと待って」


 テーブルに置かれた彼女のスマホが震えた。春香はそれを見て、レジの前のラウンジに言った。口元を抑えて誰かと話している。


「……家から迎えが来るみたい。申し訳ないけど、続きはまた今度でいい」


 戻ってきた春香が言った。大悟と綾も一緒にファミレスと出た。しばらくして、ラタンの前に黒塗りの高級車が止まった。


「何というか、それこそこんがらがる話だね」

「ああ」


 春香を見送って大悟と綾はそう言って顔を見合わせた。大悟の脳裏に絡まり合ったネットのイメージが浮かぶ。


 なるほど、今回の事件は今まで以上に大変そうだということだ。

2018/10/07:

来週の投稿ですが日曜だけになります。

再来週は木、日の投稿に戻せると思います。

よろしくお願いします。

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