3話:中編 網の温度
「自己組織化、ですか?」
「そう、新しい学校の初日の教室を想像してみて。クラスの人数は25人。5掛ける5の正方形に並んでいる。以前からの知り合いは誰も居ない。全員が初対面」
「はい」
大悟は思わず5×5のセルオートマトンを想像した。この話が始まってから、思考が抽象的な方向に向かっていることを思い知る。
「まず隣同士の席で情報交換、つまり会話が始まる。ここまではOK?」
「分かります。えっと……規則的ネットワーク、ですね」
「そう。この場合、クラスの端から端までのネットワーク上の距離は4だよね」
窓側から廊下側までの机の並びを思い浮かべ、大悟は頷いた。
「でも時間が経つと、クラスの中でいくつかの中心が発生する」
「……えっと、分かります。例えば……」
大悟は隣の美少女を見た。
「一学期、僕と春日さんは教室で隣の席だったんですよ。だから、春日さんは僕と会話をした、勿論挨拶くらいだけど。春日さんと僕の間にラインが成立したのは、たまたま隣だったからと言う理由だけ。もし、もう一つ席が向こうだったらこのラインは成立してない」
大悟は昔を思い出す。あの頃は、日に一度程度のそれでも、心が沸き立ったものだった。
「でも、春日さんが挨拶を交わす相手は隣だけじゃなくて、遠く離れた席から春日さんと話そうとやってくる人がいる。その結果、春日さんは多くの人の中心になった」
一学期の初めそんな感じだった。大悟は積極的な他の男子に押されていたくらいだ。その後、春香が男子には事務的にしか相手にしないことが分かってきて、落ち着いたのだ。
春香にそのつもりがあったら、今頃はクラスネットワークの中心として君臨していたはずだ。そして、大悟はそれに繋がる一つのノードに過ぎなかっただろう。ゲームで言えば春香は主人公キャラ、大悟は村人Aなのだ。
「そんなことは…………」
春香は否定しかけて黙った。どうやら思い当たるところがあるらしい。
「相変わらずダイゴは理解が早いね。仮に春香がクラスの全員と交友関係にあるとする。一方、大悟はクラスで数人しか話す相手がいない。この仮定はOK?」
「はい。いいです」
大悟は自嘲的に答えた。微妙にリアリティーがある。
「でも、大丈夫。大悟は春香を経由して、クラスの誰に対してもメッセージを飛ばせる」
「えっと、本来会話するはずもなかった僕と近藤さんが春日さんを通じて会話するようになったようなもの、かな」
大悟は言った。ちなみに、最近の春香と洋子は前より自然に話している感じだ。春香の評価を待つ。春香は「そうね」と短く言った。
「大悟は理解が遅い」
教師の評価は何故か低かった。いや、正解なんだろと大悟は思った。
「……つまり、クラスの誰とでも距離が2になったって事ですか」
「そう。これは規則的じゃないけど、ランダムでもないネットワークの形になる。ごく少数のハブ、つまりネットワークの中心となるノードがリンクの多くを独占して、そして独占しているからこそ、更に多くのノードを獲得していく。これがスモールワールド。そのハブを通じて情報のやり取りの構造化が生じるの。つまり、クラスの人間がばらばらな話題を話すんじゃなくて、流行みたいなものが発生しやすくなる。これは、人間関係だけでなく例えばネットのリンクなんかでも起こる」
「要するにこれですよね」
大悟は自分のスマホを操作した。綾のブログだ。街のカフェやお菓子屋さんの取材記事が掲載されている。ローカルの中で膨大な購読者を誇るものだ。
「誰も知らない店でも、綾のブログに取り上げられれば、何千人って購読者に繋がる。これがインターネット上のハブですよね」
「……そう。例えば検索サイトなんかが典型」
「えっと、ネットワーク……、クラスの人間関係とかインターネットのリンクとか、そこにハブって構造が生じるってことは分かりましたけど、それってノードが人間。つまり、感情とか知性とかあるからでは?」
大悟は疑問を口にした。単なる原子間のネットワークとは違うはずだ。
「ところがそうでもないんだな。持てる者が更に与えられる。その例として、こんなのがある……」
さららがプロジェクターに雪の結晶を映し出した。
「雪の結晶は水分子が集合して出来る。結晶のコアが出来たところから、結晶の成長を追ってみようか」
動画が開始された。小学生の時だったか、教育番組か何かで見たことのある金平糖の成長を映した動画のように、まず小さな種が置かれていて、回転するその種、雪のコア、から枝が伸びていく。その枝からまた枝が伸びる。
結果、雪の結晶は綺麗な規則的な形を作った。
「結晶の材料、つまり水分子はランダムに結晶に衝突する。でも、結晶は丸い、つまり雪だるまのような形になるんじゃなくて、こういった複雑で規則的な構造を作る。どうしてだと思う?」
「……分かりません」
「最初はランダムなの。たまたま、コアのある箇所に水分子がぶつかった。それが例えば二回連続で続く」
大悟は想像した。コイントスで表が二回出るようなものか。
「その結果、そこに回転する中心から延びる小さな突起が出来る。さて、どうなる?」
「えっと…………。あっ、その突起にぶつかる結晶の材料、つまり水分子が増える」
一度出来た突起は、それが偶然だろうと必然的に成長する。偶然出来た突起、先ほどのネットワークで言えば小さなハブが、次にランダムの結果を左右する。この場合、その理由は完全に物理的なものだ。水分子に知性も感情もないのだから。
「そういうこと。その突起の中に、偶然次の突起が出来る。その結果枝分かれが出来る。そんな感じ。だから……」
さららは画像を切り替えた。様々な形の雪の結晶が映し出される。それらは、全て微妙に違う形だが、どれも今言った方法で形成されているという規則性があるのが解る。
ランダムから現れる規則。雪の結晶とクラスの人間関係の間に成立する共通原理がある。そしてそれが、あのデジタルきわまりないセルオートマトンにも繋がる。大悟は恐くなった、最近深淵の頻度が高すぎるのではないか。
「根底にあるのはランダム。水の分子は、氷の結晶の尖った部分を目指してぶつかるわけじゃない。もちろん、こういった綺麗な形を作ってやろうとも思っていない。でも……」
「勝手に結晶の綺麗な形はできあがる。だから、自己組織化ですか」
大悟は思わずそう答えた。それは、本来なら否定したい、春香の言葉が正しいと認めることだ。氷の結晶を見て綺麗だと思ったことはある、こんな形ができあがるのが不思議だと思ったこともある。
だが、まさかそれを作っている原理がクラスのリア充とモブを作り出す原理と同じと想像できるわけがない。
「ネットワークに原理があることは分かったみたいだね。さて、こういったネットワークの構造に大きな影響を与えるパラメータがある。それを温度というの」
さららの説明はついにその言葉にたどり着いた。
「いわば繋がりたい気持ちの強弱だね」
そしてどうも彼の父の理論とは無縁そうな表現をした。
2018/09/23:
来週の投稿は木、日の予定です。




