鍵
頬を汗が流れる。妙に信用したいと思ってしまう目と目が合い、昼間の披露と重なり、今にも倒れそうだ。
目からは妙な真実味と共に今まで感じたことのない重圧のようなものを感じる。
逃げた方がいいか...いや、しかしサキのことは聞きたい。というのが本音だ。とりあえず、目を合わせたまま、出来るだけ警戒心を表に出さず、笑みを浮かべこう問う。
「サキ?眠り姫?なぜ、お前がそんなことを知っている?そもそも、眠り姫の原因を知っているならばもっと早く、俺の他にも伝える人がいただろう。そうすれば、サキは苦しまずにすんだのに。」
途中から、少し俯き気味に、自重気味に早口でまくし立て、顔を上げた瞬間、ゾッとした。
さっきまでの友好的な笑みはまったく無く。向けられていたのは、真一文字に結ばれた唇と、ただ底冷えするような冷たい視線だった。
そして、ひどく冷たいため息を吐き、こういった。
「....十数年経ってこれですか。興ざめです。いくつか教えておいてあげましょう。なぜ、眠り姫を治す方法を知っているか。それはまだ答えられませんね。そして、サキちゃんが苦しまずにすんだのに、か。....サキは苦しんでなんかいないよ。むしろ幸せだ。」
「はぁ!?そんな訳がないだろう!理不尽に、一日の半分しか生きられず、原因も治す方法もわからない。そんな暗闇の中で苦しくないはずがないだろう。」
青年は少し沈黙すると...少し俺から離れ、冷たい表情のまま、口を開いた。
「君だけはそれを言ってはいけない。これ以上何も言うなよ。あと、当初の話に戻る。」
冷たい視線に射抜かれ、口を閉ざした俺を見て、男は少し息を吸いこんで、真っ直ぐこちらを見据えて言った。
「眠り姫を治す方法。それを僕は知っている。だが、それには、代償を伴う。」
俺はすがりつく勢いで聞いた。
「代償?なんだっていい!サキを治せるんだな!」
「それは保証する。ただし、代償は、君の最も大事なものを僕に渡すこと。それだけだ。それで、サキは治る。」
頭が今日何度目か分からないほどに真っ白になる。
「なっ!?なぜサキの病気を治すために、俺が関係してくる!それに、一番大事なものだと?そんなものを渡してどうなる!?病が治るわけないだろう。」
男は無表情を崩さず続ける。
「...その固定概念を捨てない限り、君はたどり着けない。それに、僕も今の君にはガッカリしてるから、少しヒントをあげるよ。君はまだ自分の一番大事なものがわかってないから。」
「一度しか言いません。なぜ、他の人に言わなかったか。眠り姫を起こすのは王子の役目です。それに、サキちゃんは、治すことを望んでいないから。それに...今の君には王子の役割なんて出来ません。」
呆然と立ち尽くしていると、男が踵を返し立ち去っていく。
「ま、まて。まだ何も終わってない。」
その手を振り払い、男は言った。
「これでも、僕は君に期待してるんだよ。だから、ちゃんと一番大事なものを見つけてね。鍵は渡した。」
再びフリーズした俺に向かって男は去り際に言った。
「...確かに姫を救うのは王子だ。でも、姫を眠らせたのも王子なんだよ。」
訳が分からぬまま、どれ位の時間立ち尽くしていたのかわからない。
ようやく歩けるようになってから、ふらつきながら家に戻ると、靴を脱ぐとすぐベッドに飛び込んだ。すると、すぐ眠りの妖精が、俺のまぶたをそっと閉じるのを感じた。
また、まただ。聞きなれた音で目を覚ます。
昨日の服のまま、起き上がると、即刻シャワーを浴びに浴室に向かった。
シャワーを、浴びながら考えた。昨日の男が、言っていたことが本当だとすると。こういうことになる。
サキの病気を治すためには代償に、俺の最も大事なものを差し出す必要がある。そして、今の俺にはその最も大事なものがなにか分かっていない。
そして極めつけには、サキは病気を治すことを望んでいない。
一体どういうことだ...?あいつは、サキのことを知っている。そして、恐らくは彼女の味方である。しかし、サキが望んでいないと言いながらも俺に病気を治す方法を提示してきた。
「鍵は渡した...か。固定概念を捨てなければたどり着けない。」
考えれば考えるほどわからない。今日が休みでなければまちがいなく、人生で初めて仕事を休んでいただろう。
今日は、何をしても手に付きそうになかった。
眠り姫を救うのも王子、眠り姫を眠らせたのも王子。
言葉を信じるなら、救うというのは病を治すということ。
つまり、王子が俺だと仮定すると、サキの病気の根源には俺が関わっているということになる。
しかし、彼女が病気であることも知らなかった俺がどうやって...そう考えてふと思う。
知らなかった...いや、もしかして知っていたのかもしれない。固定概念を捨てろとあいつは言った。
もし、知っていたとすると、俺が忘れているということになる。しかし、十数年前の約束のことを覚えていて、そんな重要なことを忘れるだろうか。
それに、サキは約束の時に、病気を治したら等とは一言も言わなかった。つまりはその時点で俺はサキの病気のことは知らなかったし、サキも教えるつもりはなかった。
もう一つ考えられる理由は、俺が何らかの理由によって、すでにその時にサキの病気のことを忘れていた。いや、記憶の奥に封じ込んだ可能性。
どちらにせよ...一度戻る必要があるかな...
俺は携帯電話を開くと静かに、メールを開き、メールを打った。
「久々の休みだから今から、そっちに帰ります。」
懐かしき実家に。...俺とサキの思い出の場所に。