告白と密告
廊下を一歩進む度汗が吹き出す。1歩1歩がとてつもなく重く感じる。クソッ、朝のシャワーが無駄になったな、などとくだらないことを思っていると。たどり着いた純白の扉の前。さらに、汗が吹き出す。
「失礼します。」
そんな、俺の逡巡も知らず有永は724号室をノックする。扉が空いた。
昨日と同じくサキは俺達に背を向ける形で窓の外を見ている。風に乗って香る匂いに頭がくらくらする。シャンプーだろうか?
いや、いつか嗅いだことのある香り。いつだっただろうか...?
ふとした瞬間に匂いが消えた。
また昨日と同じように有永が声をかける。
「体に不調や、異変などはありませんか?」
昨日ほどではないものの、少し驚いた表情を整いながらも少しあどけなさの残る顔に滲ませ、サキがこちらを向いた。
「...いいえ、ありません。いつも通りです。」
そう、少し俯きがちに答えたサキを、見て思う。
一体サキはこんなやりとりをあの街を離れ何回繰り返したのだろうと。
その、人間らしさはお門違いなのかも知れないと思いつつも思わずにはいられなかったし、願わくば俺が横にいたかったという気持ちもあった。十数年前の俺は口が裂けてもこんなことは言わなかっただろうが。
頭の中で苦笑していると、気づけば有永の審問が終わっている。有永が、行こう。と言って後ろを向いた瞬間、俺の口から昨日は白に吸い込まれるようだった言葉が、ついに流れ出た。
「...サキ...なのか?」
まず目に入ったのは、一体何を言っているんだこいつはという、親友の顔。
次いで目に入ったのは、一瞬大きな迷いや、様々な感情をにじませ、次の瞬間その感情をすぐに壊れそうな氷の冷たい箱に閉じ込めた。幸の冷たい顔だった。
「....言われている意味がよくわからないわ。」
一瞬の、迷いの感情を見ながらも、十数年すがり続けた存在のこの言葉は流石に聞いたのだろう。
固まった俺を見て、サキにすいません。お大事に。と言い、有永が俺を引っ張って病室を出た。
病室を出ると、有永は簡易の休憩スペースに俺を引きずっていくと、
「本当にどうしたんだ...お前?やっぱり疲れてるのか?患者に急に何を言うんだ。」
少し怒ったような表情で問い詰める有永に、どうにでもなれ。と言うふうに俺は事情を話すことにした。
彼女、サキが俺の幼なじみであること。そして、十数年前に俺の前からいなくなり。再開の約束をしたことも、...俺が十数年間頑張ってきた原動力が彼女であることも。
そして話終えた瞬間、有永は一瞬真剣な顔を作ったかと思えば、大笑いし俺に、お前にそんなロマンチストな趣味があるとは思わなかっただのと宣い、あろうことか振られたな、残念。等と言いやがった。許さん。
「いやー、ここ数日でお前のイメージが変わりそうだよ。」
「やかましい。」
「ってことは、なんだ?お前はあの子の病気を治すために医者を志したのか?」
「いや、違う。俺は彼女の病気のことを知らなかった。医者を志したのは...」
いつもそうだった。医者を志した理由。どうしても思い出せない。
「うっ...」
「!?、どうした?」
「す、すまない。少し頭が痛いだけだ。さぁ、次に行こう。」
いつもこうだ。どうしても思い出せない。深く考えると頭が痛む。考えれば考えるほど。
まるで、頭に霧がかかったようだった。
しかし、医者になろうとも、サキに忘れられ、いや、たとえ忘れられていようとも彼女を救いたかった。だが、俺の腕ではもちろん、世界の名医を集めても、サキの病気は治療どころか、原因さえわからない。
無力だ...あれだけ想っていた人間に対して、何も出来ず、何も残せもしていなかった。
それから先のことはあまり覚えていなかったが。フラフラになりながらも、その日の仕事を終え、とてもじゃないが車を運転する気力は無かったので、電車で帰ることにした。
最寄り駅につき、フラフラと家の方向に歩いた。
すると、不意に声がした。
後ろを向くと一人の青年が立っていた。年は同じくらいだろうか?
特徴的なのは白い髪に、白い肌。整った顔と体を全身黒衣に包んでいる。
怪しくないとは言いきれないその格好に、少しだけ身構えると、青年は笑顔を浮かべで馴れ馴れしく近づいてくると、口を耳元に近づけてこんなことを言ってきた。
「君の大事な、サキちゃんの病気の、いや、眠り姫の秘密を教えてあげよっか?」
驚いて青年の顔を見る。驚く俺をよそに、青年はニコニコとしているが、青年の目には、なぜか信じられる光が浮かんでいた。