7話
早朝、授業開始二十分前に学生寮を出た俺は、出発して早々、学園の玄関で立ち尽くしていた。いつもなら広いスペースでスムーズに移動できる場所のはずなのだが、今日に限って人の波が前方で詰まっている。平均以下の身長なため人間の頭部でまともに先が見えない。
疑問に思い、原因究明のために俺はジャンプしてみる。晴れた視界で原因らしきものが見えた。俳優見たさに集まる野次馬のように、一つの張り紙に注目する生徒たち。なぜだか見るだけでなくメモをしているようだった。
「ジューダス、こっちだこっち」
名前を呼ばれて声の方向、群衆の後方に見知った顔を覚えた。手を振るグリンと仁王立ちしたアージがいる。俺は二人に駆け寄って訊ねた。
「この人だかりは何?」
「どうやら前期試験の内容がついに発表されたようだぜ。だからみんな一字一句漏らさないようにメモしてるってところだ。この人だかりで張り紙に全く近づけない」
「おお、それは一大事だ。あと、テオは?」
「足の腫れが引いてない。先に教室に行かせた」
アージが簡潔に教えてくれた。前日は結局侵入者を見つけて先生への引き渡しなどでテオとアージとは会えずじまい。夕食の時間も過ぎてしまったため、ビュッフェにはありつけなかった。おかげで鳴り続ける腹を抑えながら寝る事になった。
「早く治ってくれればいいが……」
「試験日までには回復できるみたいだし、そこまで心配する必要はないぞ。ところで、ジューダス、お前目はいいよな?」
「孤児院で一番遠くのものを見ることが出来たのは俺だ、自信はあるぞ」
「アージ、頼んだ」
言われるがままアージは膝を曲げ、俺を肩車して立ち上がる。おおっ、高い。俺は左右に揺れながらバランスを取ろうとする。
「向こうにテスト範囲が書かれている。さっさと読み上げてくれ、メモするから」
グリンの人差し指が伸びる方向を見る。列の最前列、鬼の形相で手帳に書き込んでいる生徒たちのさらに前、まるで将軍が腰に手を当てているかのようにデカデカと自己主張する張り紙があった。俺は目を細め、凝視する。それにしてもみんなを見下ろせる風景とは、新鮮だ。
「いくぞ。理論は教科書の最初から今週やる範囲魔法の基礎まで、実技はバレット魔法の正確性、威力、あと発動までのスピードと範囲。…それから一対一の模擬戦を三回。各自努力されたし、だそうだ」
俺の耳に数多の忌憚なき悲鳴が流れ込んでくる。 思わず視線を下げると、メモ帳片手に群がる一年の面々……いつの間に。
必死の形相すぎて思わずのけぞりそうになる俺に、後続の生徒から声が飛んでくる。
「聞き逃したから、もっかい!」
「わかったよ」
安易に乗ってしまったことを軽く後悔することになる。
一度応じてしまうと、同じ注文を幾度もされ、時間を食ってしまった。
「というか、隣のメモした同級生たちに聞けといえばよかったのでは……」
アージが低い声でボソリと呟く。
「それに気がついてたならさっさと言ってくれよ、そうすればアージだって肩車し続ける必要なかったのに」
「すまない……」
突っ込むと即座に謝罪が返ってきた。すっごい律儀。
「謝るなって、別に怒ってるわけじゃないんだから」
「ありがとう」
今度は感謝か。
「アージ、お前不器用だな。生き方が不器用だ。もっと肩の力抜いていいんだぞ」
「うん、でも無理してるわけじゃないし、変わらないよ」
苦笑して頬をかくこの男。俺はこいつの背中をバンバンとたたきながら言ってやった。
「そうか、でもそこがお前のいいところでもあると俺は思うぞ」
チャイムが鳴るまで俺はアージの上から降りられなかった。群がってきていた同級生たちは、鐘の音とともにメモをあきらめ、軍隊アリのように各々の教室に戻っていった。あまりの数に、廊下からの進行をあきらめ、俺達連絡係は外へ出て教室窓から中へと入った。
○
じいちゃん先生と特訓した森の広場は今日もそよ風に吹かれ、木々はゆっくりと葉を散らしてゆく。
俺、グリン、アージ、テオの四人は放課後決まってここにいる。アージの土魔法やテオの植物魔法を使うには校舎グラウンドではほかに迷惑がかかるためできないからだ。
みんな実践派なのでとにかく体を動かしたいのだ。
「ハイみんな注目!」
グリンが手を挙げて言う。
「テスト対策はばっちりかな?といっても今朝発表されたばっかりだし、みんなまだだよな~?」
無論だ。
「グリンは自信ありそうだけど、何かあるんだね?」
テオの質問に大きくうなずくグリン。
「ふっふー、愚門ですなテオドシウス君。俺が昼飯もそこそこに、右へ左へと走っていたのには訳があったのだよ。アージにも手伝ってもらってな」
アージが頷く。
「なんだよ、誘ってくれればよかったのに」
「お前が飯をあきらめるわけがないのは明白だろうが! なにより上級生に聞いて回ってたんだよ去年とか一昨年の内容」
「なるほど、コネクションのないジューダスじゃ無理だ~」
テオが両手を上げて水中の雑草みたいにくねくねと揺らしながら言った。なんかちょっと悔しい。
「っく、確かに俺では力になれないか」
「こんなところでも敗北王だとは……」
「どんまいだよ、ジューダス。他でポイント稼ごう」
グリンも一言余計だし、アージは相変わらずなんか一本ずれてる。
「で、俺のことはどうでもいいから、グリン先生は一体何を教えてくれるんですかね」
「いい質問だ。まずは筆記テストから教えてしんぜよう」
メガネなどしていないのに、目元で中指を上げる動作。いちいち芝居がかっている。
「毎年全く同じというわけではないが似た問題は結構出るみたいだ。過去問も戴いたし、なんとかなるだろう。夕飯の時に渡す。油断さえしなければ下のクラスに落ちることはないはずだ」
「助かる~。今日だけはグリンが英雄に見えるよ。光り輝いているよ」
テオの持ち上げにグリンは気分を良くしている様子。
「さらにさらに、実技! なんと例年同じ内容らしい。どうやら測定機能がある魔具に対して魔法を使うとのこと。バレット魔法だから離れて使うのはもちろんだ」
なるほど、グリンのサンダーアローみたいなのだな。
「で、ジューダスはどうするの? 魔法のテスト」
みんながこっちの顔をのぞいてくる。俺はきっぱり言ってやった。
「うむ、わからん!」
「わからんってお前……」
「わからないよねー」
「でも、放っておくわけにもいかないよ……」
三人とも心配してくれているようだ。だが、まったく思いつかない。
「何とかひねり出してみるからさ……。みんなの練習見てれば思いつくかもしれないし、ポジティブに行こう。他で稼ぐって手もあるし」
「おう、でも摸擬戦で当たっても容赦しないからな」
グリンの発言にほかの二人も頷く。
「当たり前だ。強敵に勝ってこそ評価は上がるものだ」
アージとテオは苦笑した。
「確かに……」
「まぁね。僕たちは強敵だもんね」
俺達は喋りもそこそこに、特訓を始めた。俺以外の三人はカットした木の幹を的にしてバレット魔法を放っていた。それを座ってみながら一言。
「とは言っても、まったく思いつかん。そもそも魔法を使えないってのに、どうしろと――」
「どうした小僧、しかめっ面じゃな」
振り返ればじいちゃん先生がいた。
「おお、ちょうどよかった。ちょっと行き詰ってて……」
「一年の前期試験のことか。どうせ魔法が使えないってのがネックなんじゃろ?」
ごわごわとした白髭をかき上げ、にやにやと言ってくれる……。
「う、図星……」
「ふむ、解答を教えてやるもの面白くない。ヒントだけで自分で思いつけ」
「オッケー」
我思うがゆえに我在り。突破口は自分で考え、こじ開けなければいけない。
厳しくとも優しい先生だ。本当に助かる。
「良くも悪くもここは実力主義じゃ。魔法が使えなくても合格にたどり着いた者もいる、以上!」
端的に伝えてくれたじいちゃん先生は、のそのそと去っていった。
入れ違いでグリン達が近づいてきた。
「先生はなんだって?」
俺は気楽に返事する。
「無能は無能なりに方法はあるって言ってた。自分で探せってさ」
まだ解決の糸口すらつかめていないのに、困難を前にして俺の顔が自然と笑みの表情を浮かべる。難題だが、突破して見せようこの試練。
当然だが試験は実技だけではないのだから、もう片方にも力を入れないといけない。みんなが協力してくれているんだ、筆記の方で落第になるわけにはいかない。風呂上がりに髪を拭いたタオルを勉強机の椅子へ、机上のオイルランプに明かりを灯す。分厚いプリントの束を上から数枚拾い上げる。豪華な家紋と家名が羅列されていた。
「まさか一般常識として貴族の家紋すら覚えておかないといけないとはね」
紋章学というのがあるらしい。俺は部屋を歩き回りながらデザインと文字を頭の中に入れる。防音の部屋に俺の声だけが響く。
「ノトリノ家、ジック家、クラ―家……」
三百を超える自国の家紋すべてを覚える必要はない。上位の一五%程度でいいとのアドヴァイスがあった。学年が上がると他国のまで覚えないといけないらしい。恐ろしいことだ。
「クラスメイトどもの家紋がたくさんだ、間違えるわけにはいかないっか」
古い家ほどシンプルなデザインが多い。それと、色彩にも意味があるんだってさ。例えばグリンのような武勇で名を上げた家は赤、宗教家の貴族は白や銀といったものらしい。
「っく、ははは」
ページをめくった俺は、その内容から、ベットに飛び込んで笑い転げた。
「金属装飾と金貸しのエイレンのうちの家紋は、やっぱり金ピカのゴテゴテなものかー。覚えやすくて助かる」
根の詰まる勉強の合間に笑みを提供してくれるとは、高慢な縦髪ロールのお嬢様も役に立つもんだ。本人のあずかり知らぬところで、だが……。
傲慢不遜のクラスメイトに感謝しながらも、睡魔に負けるまで勉強は続いた。