6話
「まだ保健室開いているか?」
「閉まってたら寮の備品を使おう」
すっかり日も落ち、明かりもまばらな校舎一階を俺たちは早足で移動していた。怪我をしたテオに肩を貸しながら俺は足を進める。ほとんどの部屋が光も音も発しておらず、静かだ。廊下に掲示してあるプリントの文字もはっきりとしない。
そんな中、職員室などまだ人が使っている部屋から漏れる明かりを頼りに、グリンとアージが先行してくれている。
俺とグリンたち一行は放課後、ハロルド先生の大鳥と闘うことになったらどうするかの議論で盛り上がった。盛り上がりすぎてテオが大きく転んで右腕を擦って出血、足も軽く捻ったようだった。
「つらいか?」
「平気。でもちょっと歩きにくいから、ジューダス、もう少しゆっくりでお願い」
テオは恥ずかしそうにそう言った。なんとなく自分も恥ずかしい気持ちがわかる。いつも当たり前にできていることを人の手を借りる事は、少し居心地が悪いものだ。
「了解」
歩くテンポを下げ、テオの脇を支える手に一度意識を向ける。そうしていると俺達は、暗い廊下をすたすたと早足で移動してくる人影に気がついた。メガネを掛けた大人のシルエット。接近するにつれ、その人物が誰だか予想がつく。
グリンとアージが先行して眼前の見知った人に接触する。
「ハロルド先生、よかった。テオが怪我しちゃって……」
グリンが素早く説明をしようとすると、先生はグリンの言葉も途中に、早口で言葉を紡いだ。俺とテオからは距離があるし、声量が小さめな先生だったが、俺の耳にしっかりと入ってきた。
「そうですか。実は森の鳥達の様子がおかしいので私はちょっと外を見に行かなくてはいけません。恐らく、生徒が動物にいたずらをしたのが原因でこんなことになっているのだろうとは思うのですが、調べに行かなければいけません。何かあったら一大事ですからね。それから、先ほど保健室を通りかかった時ですが、明かりが付いているのでまだやっていると思います。すみませんが皆さんたちだけで行けますか?」
ハロルド先生は本当に済まなそうな声音だった。俺たちは先生の邪魔をしているのだと思うと、とても申し訳なくなる。アージが頭をすっと下げてお礼を言った。
「分かりました。ご迷惑かけてすみません」
「いえ、お大事に。ではまた明日」
すれ違いざまに頭を下げた。先生は速足であったが、テオを見るハロルド先生の表情はとても心配そうな過保護な大人の顔。長い足を伸ばして玄関方向へ移動して行く先生はとても忙しそうで、細身の体が責任感に押しつぶされないか少し心配になった。
「先生大丈夫かな? 疲れてそうだったね……」
「うん……あれが頑張る大人の背中ってやつなんだな」
ケガ人のテオにまで心配される始末。
せめてご飯だけはしっかり食べてほしい。ここのご飯はおいしいのだから、尚更。
先ほどの会話に混ざれないほどに遅れてやってきた俺とテオに、グリンが大きな声をかけてきた。
「よかった。おい、まだ保健室やってるみたいだぞ」
「聞こえてた。俺達はゆっくり行くから、二人は先に先生に説明しておいてくれ」
この状態で男子寮にまで行く必要は無さそうだ。テオにかかる負担も最小限で済む。
「ケホッ、ケホッ。うわ、喉がやられる。お前の方も土がひどいな」
校舎の外。咳をしながら脱いだ上着をはたくグリン。俺もそこに並び、着衣に乗っている土埃を落としていた。グリンの咳に引きづられ、俺も思わず咳をしてしまう。
「着ているときはそんな気にしなかったけど、結構な量あるなこれ」
グリンの言葉に俺はすぐさま返事をした。土が舞って体中に付着してきやがる。これはあとで髪もしっかり洗わなければいけないな。
なぜ俺たち二人がこんな寒空の下でこんなことをしているのか、それは数分前のことに由来する。
「貴方たち、ここをどこだと思っているんですか!? 汚れてしまいますからジューダス君とグリン君の二人、外でよく払ってから着てください」
そう叫ぶのは保健室のカレン先生。テオを送り届けた俺とグリンだけが、保健室を追い出された。俺にはテオの汚れた上着のおまけ。アージだけは汚れが少なかったため、その場に留まれた。あいつが土属性の魔法を使っているのと何か関係があるのか? 後で聞いてみよう。
そんなことを考えながらも、服から砂をはたき出す。十分だろうと思うまで何度も何度も繰り返す。次第に、服から生まれる土ぼこりが減っていく。
「よし、もういいな」
「さすがにキレイ好きのカレン先生でも、しぶしぶ認めるぐらいにはなったと思うよ」
グリンの言葉に俺は同意した。できる限り土を落とした俺達は、再び校舎に入って保健室に向かう。道中、俺は暗闇の中で物音を知覚した。
「夕飯の時間、そろそろ行かないとまずいんじゃないか?」
グリンは物音に気がついて様子がない。
「しっ!」
俺の横に並んで歩くグリンに、人差し指を鼻先に立てて口を閉じるよう命じた。
「向こう側の部屋で何かがたごとやってる」
顎を暗がりの先に向け、言いたいことを伝える。廊下窓から見える、この前をL字に曲がったところだ。
考え過ぎだとグリンは笑った。
「いや、なにか探してるだけだろ」
「明かりも付けずにか?」
はっとした様子でグリンは理解すると、ゆっくりと頷く。明らかにこれは異常事態。
「どうする?」
「無視はもちろんできないし、盗みなら長居はしないだろうから今すぐ捕まえに行く。先手必勝でぶちかまして間違ってたら謝ろう」
自分でも過激ではないかと思った手段に、こいつはあっさりと了解する。
「くっそ、遠視や暗視の魔法とかまだ習ってないからな。仕方ねぇか」
グリンは話の途中から特別製の手袋をはめ出しており、準備も覚悟も決めていた。
「悪いな。一人でどうにか出来るとは思えなくて……」
奇襲できたとしても未知の相手に、魔法の使えない俺だけで制圧できるとは思えない。グリンも、まだ入学して間もない程度の実力で一人でどうにか出来ると思うほど慢心していない。
「逃げられる前にさっさと乗り込むぞ。俺の光魔法を合図にお前が突っ込む。それでいいな?」
「頼んだ」
足音を立てないように、だが早足で音のする部屋に辿り着く。『生徒たち入り厳禁』と鍵の付いている部屋、資料保管室。その扉は開いていた。
「くっそ、こんなの金さえ出せば買えるものばっかじゃねーかよ。もっと極上の逸品があるはずなんだ」
暗い室内を覗くとなにやら棚を物色する男が一人。シルエットだけで服装もわからないが、こんなことを言っている奴が学園関係者のはずがない!
「いやな方にビンゴか……」
俺より背の大きいグリンの愚痴が上から漏れた。
しかし悪いことだけではない。部屋にはこの男以外他に人がいる様子はない。こっちは二人だ、いける!
俺は口に溜まった唾液を飲み込んで覚悟を決める。
「突入する、合図を頼む」
グリンが深く息をする、かすれた音を耳にする。心配ない、あいつはこちらに全く気づいていない。そんなことを思って俺の口に思わず笑みが浮かぶ。心臓はバクバクなのに息は整っていて準備満タンだ。
室内の様子を伺っている俺の耳元に小声が届く。
「いくぞ、三……二……一……」
光から眼を守るため、両腕を目の前で重ねる。足に力を込めて突撃の準備も出来た。
「光よ在れ。ホーリーライト!」
背後からグリンの詠唱が聞こえた。眼を完全には遮ってないので、強い光によって見える世界が白く塗りつぶされる。苦悶する男の声。どうやら第一段階はうまく行ったようだ。
俺は部屋が白く輝いている中、微かに視えた相手の足を頼りに突っ走る。
「おらぁぁぁぁ!」
両腕に肉の感触。体当たりがうまく行ったみたいだ。勢いをそのままに全体重を乗せてさらに押し込む。
体に走る衝撃。壁にぶつかって体がそれ以上進まない。ガラガラという音とともに上からいくつもの落下物が襲いかかる。痛いが我慢できないレベルではない。視界は塞がっていて確かなことは分からないが、恐らく上段の棚から荷物が降ってきたのだろう。
「くそ、なんだてめぇ」
男は暴れるが、俺は片腕と胴を全力で掴んで押さえつける。
「グリン、やれ!」
背後からグリンが走ってくる音がする。
「俺の拳は痺れるぜ!」
なんだか、嫌な予感がする。
「喰らいな、ライトニングパンチ!」
「あばばばばば」
文字通り俺の体に電撃が走った。口から震える声が漏れ、思わず体が上に反る。下を見ると既に眩しい光は消えており、グリンの拳は見事に男の腹部を捉えていた。俺にも感電したが。
「あ、悪い」
心ない謝罪だった。しかし男は気絶しているのでよしとする。
「しかしあれだな、掃除とかめんどくさそうだな」
グリンは混乱しているようで、重要なことを後回しにしていた。だから俺が指示を出す。
「そんなこといいから早く先生呼んで来い!」
「わ、分かった」
慌てて走りだすグリンはコケそうになるが、壁に手をついて何とか踏みとどまってまた駆け出す。
こんな体験、グリンも俺も初めてだから混乱してしまうのも無理は無いのかもしれない。俺がそうならなかったのは、俺の目の前であたふたするグリンを客観的に見れたからなのかなと少考した。
「いや、俺もただ坐っているだけじゃダメだろ。縛るもの、縛るもの」
どうやら俺も混乱していたようだ。