5話
午前の授業の終わりを告げるチャイムが鳴り響く。教科書をしまう俺の肩が勢い良く叩かれる。
「ジューダス、メシ行くぞメシ!」
呼ばれて振り返れば、ランチを誘いに来たグリンとその後ろについて立っている二人の男子が目に入る。
「早く早く早く! 今日はリンゴパイの日。楽しみ~」
「……」
制服の首元をあけて黄色いスカーフが目立つ少年がテオドシウス。テオの後ろの、きっちりと制服を着こなす寡黙な褐色の大男がアージボルン。
先日グリンを倒して以来、俺はクラスメイト相手に互角以上の戦いをすることができた。相変わらず敗北王とみんなに呼ばれるが、侮蔑ではなく愛嬌のある言い方に変わってきたように思える。特にこの三人組は積極的に絡んでくる。
「俺も腹ペコ。行こうか」
なんせ一時間前から腹の虫が鳴っているもんなんでね。
「アーメン」
十字を切り略式の祈りを唱え、俺達は目の前に並ぶ食事にかぶりつく。男子の半数以上はこんな感じ。女子は反対に、食事前の祈りを略すものはあまりいない。
食事はいつもビュッフェなので特に人気な品以外はなくなったりしない。無論ビュッフェといっても、貴族が多く利用する学園である、立ったまま食事するなんてことはなく、テーブルや椅子はちゃんとある。
俺達は二、二に分かれて片方が席取り、もう片方が先に料理を選ぶ。四人組で一緒に行動するようになってからずーっと、こんな段取り。俺は温かい野菜スープで塩分と水分を舌に与え、パンにかぶりつく。孤児院では安価な非常に硬い黒パンばかりだったので学園の高級な小麦粉で作られた白パンは毎食飽きずに手に取る。しっとりとしていて歯切れのよい食感。粉が舌をざらつかせ、切らずにかぶりつくと口周りが白くなること以外は最高。俺は咀嚼しながら他のやつが何を食べているのか眺めた。
グリンはとにかく濃い味付けが好きで、ソースやチーズを多く使う。肉をナイフで切る時の手つきが非常に上手で貴族の風格がある。
アージは食事時は食べ終わるまで喋ろうとしない。野菜、肉、パンと一口ごとに食べる順番を決めている。大柄だから無骨な褐色の手が口へ運ぶ一度の量も多いかと思っていたが、むしろ細かく切っており女子か、とツッコミそうになった。なんとかその言葉を口の中で細切れにした野菜と一緒に飲み込んで、俺は拭いきれなかったサラダドレッシングの付いている皿を退かす。
とにかく甘ったるい匂いがするのはテオドールの方。甘い果肉入りのパイはもちろん、カリカリに焼いた香ばしい肉にも自家製の蜂蜜をこれでもかという具合にかける。テオが肉をグーの形の手で掴むナイフで勢いよく刺し、持ち上げたところ、こいつの胸部あたりの布がもぞもぞと盛り上がる。それは上へと登り、テオの首筋へ顔を出した。
「おはよー、ミーちゃん」
テオはフォークを置き、自分の胸ぐらのペットを引き上げる。一見シマリスのように見えるその可愛らしい動物は、魔物の子供。シマシマの尻尾に硬貨を一回り小さくさせたぐらいの大きさの緑の石が光を反射して輝いている。甲高い声を上げるミーノをテオは首筋を撫でてあやす。その間にもう片方の手でポケットから純白の亜麻布の袋を取り出して広げる。中から木の実がこぼれてくる。テオがそれをつまんで小動物の口元へ運ぶ。ミーは木の実を主人から取り上げて、一心不乱にかじりだす。
「こいつ~、まだ僕への忠誠が足りないぞ~」
そう言いながらもテオは笑顔でペットの頭を人差し指でくすぐっていた。手のかかる子が好きなタイプのようだ。俺は空になった皿を重ねながらそう思った。
「いくら食べ放題だっつっても――お前食い過ぎじゃね?」
小動物に気を取られていた俺にグリンが呆れた声で話しかけてきた。
「ふぉうか(そうか)?」
俺はひき肉をふんだんに使ったパイを口にしながら答えた。香辛料の香りが食欲を増進している気がする。パリッと崩れやすい生地から溢れるトロットロの濃厚ソースが俺の心を踊らせる。
グリンが他の二人に「なぁ?」と同意を求める目を向けると、二人とも力強く頷く。
「あと前から言っているが飲み込んでから喋ろ。口の中のものがとぶ」
注意されたのでミルクで流しこむ。美味い。
「成長期だから食えるだけ食おうと思って」
好きなだけ食べていいと言われれば限界まで入れてしまいたくなるのが人情ってものではないのだろうか。確かに三人分ぐらいはすでに完食しているが、まだまだ満杯とはいえない。
オレンジ色のレンズ豆のスープを手元に寄せた。今までの学園生活で一通りすべての料理を口にしたが、野菜スープの中ではクリーミーなこれが一番だ。
「その割には身長に変化が見られないようだが?」
「クラスに僕と同じぐらいの男子いて助かったよ―。ジューダスはいつまでのそのままでいてね。僕はアージぐらいタッパ欲しいな」
「ぐっ……」
グリンめ、人のコンプレックスを的確についてきやがって。男子の中で俺とテオが一番身長が低い。クラスで一番大きいアージは静かに笑みを浮かべながら食事を続ける。当たり前にもっている者は持たざる者の気持ちなどわからんのだろう、ちくしょう。
「で、今腹何分目? 僕はもうお腹いっぱいで少し残しちゃったよ。」
「うーん、8割程度埋まったよ。その残りくれ、食うから」
俺の発言にテーブルの三人は呆れ顔でため息をつく。一五枚ほど重ねられている皿に、周囲の席からチラチラと盗み見る視線が集まる。だが、俺は食べるのをやめない。食事時に人目を気にしてられるか。
ふと、視界左端のシエラとミリスの凸凹コンビの食事風景に視線が行く。食事中だというのに教科書を持ち込んで話し合っている。脇目を見ずに勉強するその姿に、俺は勝手に共感してしまった。それにしても女子はたったあれだけの量でよく体が持つものだと思う。燃費がいいのだろうか、と思いながら自分の燃費の悪すぎる体に燃料を追加する。
一番遅くまで食べてる俺を、みんな食後の紅茶やコーヒーを飲みながら待っていてくれる。グループ全体が食後の満腹感で現れた睡魔に心地よく抱かれていると、授業開始の鐘が鳴り、全員慌てて食堂から我先へと飛び出していった。
○
「遅刻、遅刻、遅刻~!」
言わなくても分かっているし、大声をだすのは迷惑だと思うのだが、俺の前を走るグリンとテオはそれがルールかのように、叫びながら廊下を走る。俺はまだ口内と手を占領している長パンと格闘していた。水分がなくて飲み込むのに非常に苦労する。
「遅くなりました」
先頭だったアージが扉を開けて、よく響く低音の声で言った。グリンとテオが続き、最後に俺が飛び込んで扉を締める。
教卓前には教科書を丁寧に両手で持つ大人の男性。小奇麗な後ろ髪が肩より下まで伸びているが、前髪は中央で広く分けられておりオデコがよく見える。小さな丸メガネをかけた細身のその人は、C組の担任のハロルド先生。
「あれ、ハロルド先生なんでA組にいるの?」
テオが軽く驚きながら尋ねた。
「なぜって……僕は先生ですよ? 今週から三週間、この時間は私が担当します」
先生が苦笑いしながら当然のことを言った。
「いやー、ハロルド先生って先生だけどなんか生徒みたいに思えて」
クラスのみんながテオの発言に同意する。先生は困った顔をする。その顔が幼く、あまりにも加虐心をそそるから、みんなからかいたくなるのだろう。
「はぁ……よく言われます。それより授業はもう始まっています、席についてください。……ジューダス君はさっさと口にしているものをどうにかしてください」
口の中に入りきらないパンを噛みきってポケットの中へ入れる。休み時間にいただこう。先生は咳払いを一つ、授業を再会する。
「では、まだ始まったばかりですし遅れてきた方たちのために最初から説明させて頂きます。私の主な技能はモンスターテイマーですので、担当する授業内容もそちらになります」
モンスターを使役する職能ということだけはわかる。
「といっても、さわりだけの筆記試験のための授業ですので気楽に聞いていてください。……人気のない職ですし」
濃縮されてとても重そうなため息を先生が吐く。魔物を使役できたり、仲良くなったりといい職だと思うのだか。
「テイマーですのでまずは使役する方法を知らないといけません。その方法とは大きく分けて二つあります。一、刷り込み。二、契約です」
ピッと二本に立てられる先生の指に注目が行く。
「一については卵が孵化して最初に見た者を親と認識することですね。これは卵を手に入れることが出来れば容易ですね。契約については仲間になってもらうために対価の支払、恐怖による支配、情による対等な関係の構築など契約内容は様々です」
専門的なことになってくるとすごく明るく喋りだす。ころころ表情が変わって面白い先生だ。俺は言われたことをノートにまとめながら話に耳を傾ける。
「刷り込みのメリットは強力な種の卵を手に入れることが出来れば非常に頼もしい戦力を手に入れることができ、ピンチでも頼りになる存在になりますね。デメリットですが孵化して戦力になるほど成長させるためには長い期間待ったり拘束される時間が大きいということです」
テオのペットもおそらく刷り込みだろう。確かにいつも一緒にいる。
「契約の方ですが、こちらは自分より強いモンスターとは基本的に契約出来ません。ですが即戦力になるというのが刷り込みと比較して優れている点ですね。そのためにも……」
おお、ためになる。ノートを取る手にも力が入る。
「実は即戦力で自分より強い魔物を使役する門という魔法もあるのですが、この門については色々制約がありますし、勉強は大学に入ってから専門に学ぶことになります。ですのでテストには出ませんので忘れちゃってもまったく問題はありません。それに覚えようとする人もほとんどいませんし……」
基本的に明るい性格なのだろうが、薄幸そうなイメージ。細身で猫背気味だから更にそう思わせる。だが、そんなことより気になることができた。一番前の席の俺は手を上げて質問した。
「せんせー、テイマーって俺みたいな魔力のない人間でもなれますか」
「そうですね……可能だと思います。魔力の強弱で契約できる魔物に差があるというデータはありません。刷り込みも同様ですし」
「本当に!?」
魔法は使えないけどテイマーとしての道があるかもしれない。希望の光だ。
「ですが、せめて二学年にならないと戦力になるとは言えない魔物の住処しか学校は行かせてくれません。勝手にダンジョンに潜らないように。担任の先生に怒られますから」
うわぁ、次の試験にはまったく間に合わないのか。いまそこが一番大事なのに。俺の光が掻き消えた。
「戦闘以外にも役に立たせることができますよ。例えば――」
ハロルド先生は独特のリズムで指笛を鳴らす。一体何を?
コッと小さな物音。窓側からだ。俺達は音のする方向を見た。鳩だ、鳩が閉まる窓の外に立っている。嘴を器用に窓枠の端に挿した次の瞬間、窓が横にスライドして涼し気な外の空気が入ってきた。鳩はそのまま教卓に飛んだ。
「コンニチ、ワ」
ワと同時に翼を広げてアピールしてくる。こういう芸も仕込めるのか。宴会芸以外で役に立つのか?
「その鳩、この前教室に来た子じゃない?」
勝気なシエラの投げた言葉に、先生は肯定の意を示す。自分にはどの鳩もおなじに見える。同じ種の鳥の区別なんてどうやってできるのだろうか。
「今は肩にとまる程度のサイズですが、戦闘時には――」
鳩の周りに蒼光する文字列が回転する。文字の帯が鳩の胴体を締め付けると、教室中に白い羽が舞った。
羽で遮られる視界から、デカイ何かがいるのが分かる。羽が落ちることで晴れる視界。まず目に入ったのは、教卓全体を鷲掴みする巨大な鳥の足。そこから見上げるといくつにも別れた白銀の尾。更に視線を上げ真上を見ても白の羽毛に覆われた胴体。振り返って教室後方を見てやっと鋭く尖った嘴が視界に入る。すごい、これなら人間なんて一飲みだ。
「これが彼女の本当の姿です。学校では大きすぎるのでいつもは先ほどの姿をとらせているんですよ」
この巨大生物が鼻息をするだけで突風が起こり、教科書やペン類が飛ばされる。みんな落ちたものを拾うのに必死だ。一部の女子は髪が乱れると非難する。毎朝セットが大変なのだろう。
「ああ、ごめんなさいごめんなさい。ディスタンス小さくなりなさい」
先生が命ずると巨鳥はワイングラス程度の無害なサイズになった。みんな一安心だ。
「いつもは外に放し飼いして、ここら一帯の鳥達の親玉として周囲の警戒をしてもらってます。あと、大好物はミミズです」
この巨体を保つには一体どれだけの食料が必要なのだろうか。そうか、食事なども用意しないといけないとなるとモンスターテイマーの生活はカツカツなのかもしれない。……先生の体が非常に細いのも切り詰めているせいなのか?
「お前もいつかはあんなに大きくなるといいなっ」
テオが両手でリスのようなペットを持ち上げて言った。あれほど大きくなったら自分にも背中に乗せて欲しい。許してくれるだろうか。
「人気はありませんが、モンスターテイマーもやるということはわかっていただけましたか? わかっていただけたようですので、興味を持っていただいている間に授業を再開します」
みんなが関心を持った所で、教科書の内容を抜粋して書き出す。この先生は授業の進め方がうまいと思った。淡々と教科書を読むだけのうちの担任は見習え。
○
私は首筋を揉みながら廊下を歩いていた。最近肩から首にかけて残りがひどいのだ。放課後も生徒の相談に乗っていたら予想以上に時間がかかった。今は何時ぐらいだっただろうかと、顔を上げて時計を探す。私は廊下にかかっている古時計を発見し足を止める。見上げて時刻を確認すると、予想よりも未来の時刻を指していた。
「ん~、もうこんな時間ですか。これでは今夜は徹夜……ですね」
自分の予定を遅らせることになり、睡眠時間を削るしかないかと思うとため息が出てしまう。
予定が大幅に狂ってしまったが、ここにいても何も始まらないわけで、私は再び歩き出した。
「先生さようなら」
「ハイ、さようなら」
数人の生徒とすれ違い、挨拶を交わして職員室の前に立つ。若い子たちの元気がうらやましい、なんて考えながら扉に手をかけると、室内から大きな話し声が襲ってきて思わず身が竦む。昔から、騒がしいのは苦手だ。
「なんで僕はこう、臆病なのかな……」
自分の意気地なさに苦笑いが溢れる。僕が自然界の動物ならあっという間に捕食されてしまうだろうなと思う。深呼吸をして扉を開けた。職員室内はやけに盛り上がっていた。薄毛で白髪交じりの教頭が髪を抑えながら大声量で話すのは毎度のことであったが、自分の心労を抜きにしても今回は特にひどく感じる。
「おめでとう、ガウェイン先生。次の学会誌で君の名が国内だけに留まらず、外にも広まることになるだろう」
「立派ですよ。私も同じ学園で働けていると思うと、鼻が高い」
「ありがとうございます」
会話の内容と同僚達に囲まれてチヤホヤされている一年A組担任のタガメルト先生を見れば、大体の様子が分かる。他人が賛辞される現場の外を大股で通りぬけ、私は自分の机の前に立った。
学会誌……!
綺麗に整頓されている机の上には薄い封筒が一つ置かれていた。タガメルト先生と同時期に学会に論文を出したときの、返信のものだった。今回こそはと、寝る間も惜しんで書いた懇親の力作だ。誰よりも身を捧げて書き上げたと、確信してる。私は焦りで少し乱暴に封筒を破ける。内の折りたたまれた紙を取り出して目を見開く。受け入れがたい内容に、胸が苦しくなり、浅い呼吸が続く。
「つきましては、記者の方がお待ちですのでガウェイン先生、応接室へ今から行ってください」
――ウルサイ、ミミザワリダ。
「申し訳ないのですが、私は今日の見回りと宿直の担当ですのでまた後日、その方に来ていただくということで」
――ミンナ、ダマッテイロ。
「いやいや、これはまたとない大事な機会ですので、そこは代わりの先生に任せて――先生、ちょっとよろしいですか先生」
――ドウシテ、ワタシバカリ。
「ハ、ハイ。なんでしょう?」
自分が呼ばれるのは聞こえていたが、手紙の内容の方が重要で、答えるのが遅くなった。沈んだ気持ちを悟られないように、誤魔化しの笑顔を作る。
「ガウェインの先生の代わりに、本日の見回り当番を代わってもらえますね?」
自由意志を一応尊重しているように見せるだけの強制力の高い言葉。老年の同僚に逆らえず、私は仕事を受けるしかなかった。
――スコシハ、ボクニモキヲツカエ!
「……了解しました。ガウェイン先生、おめでとうございます」
心の叫びは胸中に納め、声を絞り出す。……私の声は震えていたが、受領の意以外の言葉は他の教員の話し声に負けて隠れてしまい、届かない。私はまったく注目されない。
だからこそ、私が先程まで読んでいた手紙を握りつぶしていることなど、誰も気づかない……。
モウ、ドウニデモナレ。