4話
モーラス先生の特訓を受けた次の日の午後授業。摸擬戦のため、クラスメイト全員が校舎グラウンドに集まっている。
「いっとくが、手を抜くつもりはないからなジューダス」
「そんなことしたら、全力でぶっ飛ばす」
俺を指さすグリンの頭部は、こちらを見下げるためにやや仰け反っている。いちいち役者のようにポーズを付けたがるのがこいつの癖だ。微塵も負ける気がしないのだろう。仕方のないことだが、それも今日までだ。
「それは、俺に一撃きめることができてからほざけ。そして、そのシップまみれの体は来るとこ間違ってるだろ。保健室に送り返してやるぜ」
昨日は先生に殴られて倒れたあと、目覚めたのはカレン先生のいる保健室だった。傷だらけの俺とモーラス先生は並んでカレン先生の説教を受けた。
「どうして男って後先考えて行動しないんですか。無理してこなしても、無理したんだからその後どうなるかわかるでしょ! 体を酷使しすぎです」
それでも治療はしっかりとやってくれたおかげで、体の強張りはほとんどない。カレン先生に感謝。
グリンのツッコミに腹の底から観客達のほとんどが笑う。それを見て俺もニヤリとする。見ていろ、今日でお前らがつけた俺の評価を変えてやる。
「おい、周りの奴ら近寄りすぎじゃ。もっと離れんか」
モーラス先生が蝿に対してするように手を払い、応援や罵声を上げるクラスメイトたちを遠ざける。
「正々堂々一本勝負。審判はもちろん儂。両者、準備は良いな?」
グリンが手袋の食い込みを調整しながら頭を下げる。俺もそれに続いて肯定の意を伝える。
「いつでもこい」
俺は体の正面に来るようグリンを視界に入れて剣を握る。
俺達二人の同意を確認した先生は無言で頷き、何も握っていない右手を上げる。
次に聞こえる発声の前に俺はゆっくりと唾を飲み込む。目の前の事に集中する。グリンを倒す。
「――はじめ」声とともに先生の手が振り下ろされる。
グリンはためらいなく後方へ跳んだ。剣は軽くないので邪魔だという判断なのだろう、さっさと捨てていた。俺もグリンの後を追って突っ込――まない。
距離を離されないように前に出るが、決してそれ全てに力を入れないように追う。一撃貰えばこちらの負けは決まっているのだから、回避できないほど突っ込もうとしない。
移動していても俺達の距離は最初とほとんど変わっていない。こちらを見ながらバックダッシュするグリンより前進する俺のほうが余裕を持って動けている。
グリンはこちらに右手を差し向ける。手を自身に向けていないことから補助魔法ではない、攻撃魔法だ。そう判断できたなら、あとは昨日の特訓どおりやればいける。
「音よりも速く出て、穿たまえ。サンダーアロー」
詠唱に続いて直線上に伸びる雷。もうそんなもの怖くない。矢の形をとる魔法なのだ、発射してからでは曲げられない。昨日の石と同じ要領でいける。
もう後ろにも、横へも逃げない。俺は斜め前方に飛び出した。詠唱の開始を確認したら逃げていた頃とは違う。今ならここまで引き付けてからでも回避できる!
雷は俺の脇を通って地面に着弾。もう少し速度を上げても回避に支障はない。俺は足に込める力を上げた。バカの一つ覚えのように放たれる雷を躱しながら俺は徐々に距離を詰める。
「ええい、ネズミのようにちょこまかとうざったい動きだ」
ムキになったグリンが、直線的な矢の魔法を放ち続けてくる。顔色が渋くなってるぞ。
グリンも当てられないと判断し、自らに手を向けて詠え始める。
「風の精霊よ、力を貸したまえ。獅子よりも速く我を動かせ、ドレスウィンドウ」
移動力が大幅に上がるその魔法で、こいつはこっちとの距離を一度突き放す。さすがに生身では追いつけない。
距離を取ることに成功したグリンは、こちらに対して前傾姿勢の構え。こいつの次の行動が手を取るようにわかる。俺はモーラス先生と行ったレッスン二を思い返した。
「レッスン二じゃ小僧。レッスン一は単純な運動の攻撃魔法対策。レッスン二はおぬしに有効そうな補助魔法への対抗策じゃ」
夜空の下、モーラス先生はハンマーの模様の描かれたランタン型魔道具――魔力を注ぐだけで特定の効果を表すもの――を地面に置くとそう言ってきた。
カレン先生に怒られたあと、この人に連れられて外を出ると空はすっかり暗くなっており星明かりが美しかった。顔を上げる動作でも鈍い痛みを感じる。
「お前が苦手とする補助魔法はなんじゃ?」
投げかけられた言葉に、慌てて視線を戻す。補助魔法は強力だと思う。非力だったり愚鈍な人間がその弱点を克服する手っ取り早い方法がそれだ。どれほどかと具体的に言うと、クラスの中で俺は基礎身体能力は誰にも負けないはずだが、その補助がある場合において自分はクラスで最下位と言ってぐらいに便利な魔法である。
「うーん……やっぱり移動系のものかな。リーチが短い武器を使うから距離を詰める前に勝負を決められたり、距離を詰められないのが一番辛いと思う」
「そうじゃの。おぬしにとって攻撃補助はどれをもらっても大抵一撃だから変わらない。防御系は一点集中の攻撃で小僧なら貫けるだろうし、いくら硬くても伝わる振動は抑えられぬから思いっきり叩けば気絶させられる。故に次は移動魔法対策じゃ」
移動魔法。自分でも攻略法を模索していたが全く回答がでなかった。そんな方法を思いつくとはモーラス先生は恐ろしく頭が回る。お茶を飲んでいる姿はどこにでもいる爺さんだが、非常に頼りになる兄弟子だ。
仁王立ちの体勢で先生が詠唱する。
「我立つ大地の精霊よ、我に加護あれ!」
魔力の動きを視れない自分には分からないが、おそらく先生に魔法による補助がついたのだろう。それにしても視覚で確認できないのが辛い。
「剣を構えろ。だが、決して動くな。下手に動かれると大怪我をさせてしまう」
この人でも調節が難しい魔法なのだろう、その顔はいつになく真剣だった。思わず剣の柄を握る手に力が入る。
注視していた場所から前傾姿勢の先生が消えたと認識した次の瞬間、突風が自分の脇を通り抜けていくのを感じた。
「見えたか?」
背後から自分が見逃したあいての声。自分は振り返らず答えた。
「俺から見て右脇から通り抜けたのがわかりました。あとは右拳を振りかぶっていました?」
初動はまったく視えなかったが視界の端に留めることはできたので、間違っていないはず。
「そこまで見えていたなら、あとは少し考えれば答えが出るじゃろう。必要な情報は与えたからな?」
よかった。観察眼は評価されているようで、これからも頼りになる俺の武器だ。振り返って先生を視野の中心に入れる。おおよそ7メートルと、予想以上に後ろにいた。
「ヒントは、なぜ儂が脇から通り抜けなければいけなかったか――じゃ」
先生が教えてくれたのはそれだけで、この人はさっさとランタンを持って夜の見回りの仕事に戻ってしまった。
「小僧の解答は明日の授業で見せてもらおう」
まだ見当もつかん状態だというのに、さらりと簡単に言ってくれる。しかし先生がそう言ってるのだから、今までの情報とヒントを繋ぎあわせられれば自ずと答えは出るはずだ。俺が答えを導くまでに長時間の考察を要した。
グリンは不用意に飛び出してきた。モーラス先生とは違い、初動の動作がわかりやすいので反応も容易。
俺はその場で待ち構えようと――せず、左横へ一歩分移動。直後、俺の右脇で回し蹴りを空振ってそのまま跳んでいくグリン。こいつは蹴りをミスったせいでバランスを崩し、手を地面に擦り付けて無理やり停止運動に入る。
魔法の力で高速移動する相手は、別に反射神経や基礎運動機能が上がっているわけではない。強化した使い切れていない運動能力は、思い通りに行かない時が大きな弱点となる。
例えば今回、グリンは飛翔の力を風の魔法で高め、十メートル以上あった俺までの距離を一歩で通りぬけ、そのまま通りすぎていった。
グリンの目論見通りに進んだなら俺に蹴りを入れてそこで停止できたものを、蹴りを受け止めるものがなく空振って姿勢を大きく損ない、転びそうになるところだった。なんとか止まれたようだが、減速中はまともに移動できない。
一昨日の時もそうだが、こいつはドレス・ウィンドウを使った後は走って距離を詰めず、飛翔によって突進してくる。それは、風の魔法の性質上走るより風を斬るように飛んだほうが早いのか、もしくはグリンが飛んだほうがかっこいいとでも思っているかだろう。実際に羽が生えているわけではないので飛んだら最後、着地するまで移動方向を変えられない。
ゆえに飛び出す時が攻撃運動の始まり。空中で動き出してからでは移動スピードに比べて遅すぎ、また力のない一撃になってしまう。
さらに、攻撃を加えるときには必ずこちらの脇を抜けるように移動しながらだ。なぜなら、真正面に突っ込んでしまえばこちらの剣に激突するおそれがあるからだ。体を硬化していないからそれは避けるはずだ。
以上の情報を元に対策を練った。こちら側としては、横に動けば攻撃の直撃は避けられる。前後に動く行動は蹴りの一連の動作中にぶつかってしまう恐れがあるから選ばない。追加して言うならば、二分の一の確率で向こうはこちらの剣に体当りしてダメージを追うことになるだろう、……今回は外れたが。次回から利き手利き足を考えなければならない。
自分の背後、着地で地面を削るグリンに向かって走り出す。移動がままらない今がチャンス。
しかし予想以上の距離を飛んでいるため、こちらの一撃が届く前に動けそうだ。だから俺は、そこらに転がる石ころを走りながら拾い上げ、速度がゼロになりかかっているあいつ目掛け下手投げで放った。
オーバースローやサイドスローではスッポ抜けた時が怖いし、今回は全力で投げて仰け反らせるよりも、七十%ぐらいの力で投げて受ける動作を誘導させる方がその次の行動に都合がいい。
急停止したグリンはまともに跳ぶことができない。故に顔面に飛んできたソレに対して、腕を上げる防御動作。そのせいで視界の大部分を閉じることになり、腹部ががら空きになっている。
俺は勢いそのままに――膝をにぶち込んだ。
「がはっ」
グリンは苦悶の声を上げる。だが、俺は攻撃の手を止めはしない。体当りしているこの状態で力を加え、野郎を背中から倒しさらに膝で乗っかる形で拘束する。俺はこいつの眼前に剣先を突きつけ、言ってやった。
「俺の勝ちだ、問題ないな」
グリンは俺を睨みつけたが、諦めてため息を漏らす。
「今回は……負けといてやる!」
思い切りがいいのは戦い以外でも適用されるようだ。これがサバサバ系というやつだろうか。
審判役のモーラス先生が勝負の終わりを告げた。それは同時に俺の勝利が正式に認められたのだ。
思わず先生を見上げると、微笑みながら頷いくれた。どうやら俺なりの答えは満足の行く出来だったようだ。俺は思わず飛び跳ねて喜びを表す。膝に力が入りグリンがカエルが潰された時の悲鳴のような声を上げた。
謝ろうとした俺の声は群衆にかき消された。
「おいおいおい、何が起こった。まるで劇のように仕上げられた流れじゃねーか!」
「そうか? 今のはグリンフォードの自爆だろう。闘牛がマントに気を取られ壁にぶつかったようなもんだろ」
「でも、自爆させるよう誘導したように見えたけど?」
色々と自分の考えを口にするクラスメイト達に俺は大声で言ってやった。
「どうだ、俺の実力は! これで敗北王なんて言えなくなるだろう」
この発言のどこがおかしいのか、クラスメイトは笑い出す。
「いやいや、百連敗しといてソレはないわ」
「百連敗! 腹が痛い。区切りの綺麗な記録ですわ」
「先輩に聞いた話だと、三桁になるまで負け続けた奴はいないってよ」
「まじかよ、じゃあやっぱり敗北王だな」
みんなの異常な盛り上がりに俺は慌てて水を差す。
「まて、俺はそんなに負けてないぞ。九十八連敗だ、記録違い!」
そんな俺の方に手を置くグリンがひどい一言を繰り出してきた。
「お前、気絶して不戦敗したことあったろ、それも勘定に入れろ」
その言葉を理解し、膝の力がぬけて崩れ落ちる俺に、周りの奴らが騒ぎ出す。
「やっぱり敗北王じゃん」「敗北王!」「敗北王!」
「だから、敗北王って呼ぶんじゃねぇ!!」