3話
午後のホームルームが終わるや否や、教室の外から勢いよくドアが開けられた。
「小僧、ワシからの直々の呼び出しだ!」
その低い声の主はモーラス先生。昨日喰らったみぞおちの一撃は見事にまだ青あざとなって残っている。
「ガウェイン先生、こいつを借りてくぞい」
「ちょ、俺の意志は!?」
俺の疑問は正当なはずだ。
「どうぞご自由に」
担任教師をにらみつける。あんたならそう答えるだろうよ。
「ほい、時間がない。忙しい忙しい」
服の襟首をつかまれ、引きずられる。くっ、苦しい。
「や……めろ……」
俺は手を机に伸ばした。かばんには届かないが、どうにか大事な剣だけは捕まえることができた。しかし剣の分の重みが増えただけでは引きずられる力に大した影響がなかった。
廊下ですれ違う生徒達の目は見開いていて、自分が笑いの種になっているのが分かる。俺はどうにか振りほどこうとするが、まったくもってうまくいかない。力の差は当然あるが、それ以上に力の使い方の差だ。
悪戦苦闘するうちに拘束が解かれ、俺はしりもちをついた。
「何すんだよっ!」
見上げると、先生は顎の高さまである大鎚の、柄を上にし、先端が土に接するよう構えていた。
「さっさと剣を構えろ」
言われるがまま、俺は立ち上がる。周囲を見渡せば、ここはいつも自分が鍛錬している場所で、風が林の枝を揺らす音が気に入っているスポットだ。今日もいい風が吹いてる。
だが注意を向けるべきはそんなことではない。先生の背後に並んでいるいくつもの球体の岩石。
直径はちょうど先生の身長と先生が被っている縦長の帽子を足したくらいで、自分の首の位置程度。力自慢のドワーフの先生なら一つぐらい持ち上げられそうだが、俺ではこの半分の重さでも持ち上げられそうにない。
「今からお前のための補講を行うぞ。感謝せい」
先生が袖をまくると、構えていた大鎚を勢い良く振り上げ――岩石へと叩きつけた。岩が砕かれる音に、俺は反射的に後方へ跳ぶ回避行動を選択していたが、その必要もなかった。
砕かれたはずの破片は、なぜかすべて握り拳より一回り小さい球体の石へと姿を変えており、先生の周りに浮いていた。
「まずは、体を動かして頑固になっている頭を柔らかくしてやろう。いくぞ小僧!」
その気迫に、俺は剣を握りなおした。授業用の支給されるものではなく、爺ちゃんから譲り受けた物。、こちらのほうが手に馴染んでいて、しっくりくる感触に思わず笑みが漏れる。
「いつでも!」
俺の声に、先生は大鎚を片手で地面と水平になるよう持ち上げ、声を上げた。
「行くぞ!」
先生との距離は十メートルは離れており、無論大鎚をとばして来ない限りこちらに届きはしない。何をする気だ? 先生は無駄なことをしない人だ、すべての行動に意味がある。ならばこの行動の意味は――
突如、視界正面から目にも留まらぬ速さで何かが飛来してきた。意識して回避するより先、腕が勝手に反応して剣で払いのける。衝撃を殺し、剣へのダメージを落としたことで鋼の叩かれる音は小さかった。
弾いたそれは、速度を削がれて空を舞い、緩慢に落下する。飛来物は先ほど岩石から造られたばかりの丸い石だった。
「さすがに、この程度は防いでもらわんとな」
どうにか防御できたが、冷や汗ものだった。
「ギリギリだけどね。一体どんな魔法?」
先生は愛用してるその大鎚の先端を撫でながら説明してくれた。
「この鎚に付加されている魔法は、砕いた土塊や岩に対して『破壊』に『創造』を上乗せし、『衝撃』を『運動』へと変換させることを可能とする。あとは儂が運動方向を指定するだけの、シンプルだが使い勝手の良いお気に入りじゃ」
やはり魔法は便利だが、恐ろしいとも思う。今は球体を形成しているが、先端を鋭利にして飛ばせば人間を貫くことも可能であるということだろう。モーラス先生と殺し合いをすることはないだろうが、目の前にして警戒心がこみ上げてくる。
「レッスン一、この石を攻略して儂の元までたどり着け。可能ならそのまま一撃加えてみても構わんぞ」
その言葉を合図にしてか、宙で停止していた石が弾かれたように飛んで来る。先程までとは違って何が来るかわかっている分、反応するのは楽だった。迎撃には少しの余裕すらあり、弾くだけでなく前進まで行う。
だが、その移動も半歩というところで足を止められる事となる。
続けざまに飛来してきた石のせいだ。なんとか反応してそれも弾くが、石は群れを成して順々に襲ってくる。
「ちょ、ちょ、く……」
三つ四つ五つと剣で守り抜く事ができた。だが、その後も続く攻撃に対処しきれなくなった。力任せに石を跳ね除けて伸ばしてしまった腕を戻すことも、回避も間に合わない。
「……くっ」
当たる! 右肩を襲うであろう痛みの覚悟をする。被弾。
「うぉあ」
衝撃で後方へ吹き飛ばされる。だが、痛覚は想像よりもはるかに小さな信号を伝える。
肩に着弾したそれは、砂となって俺の服を流れ落ちていく。押される力に逆らわなかったのが良かったのか、骨にヒビが入るか折れるかもしれないと覚悟していたが、これならば痣もできていないだろう。
「さすがに体を壊すような事はせん」
どうやら元々壊れやすい石を使ったのか、衝撃で壊れやすいように石に手を加えていてくれたらしい。それでも、石は正面から剣で受けたとしても押し戻されると断定できる力を持っていた。
「安心している場合ではないぞ。実践だったらこれでお前の負けだからな」
先生の一言に、俺は気が緩んでいた自分に気がつき、剣を握る手に力を込めて気を張る。確かにそうだ。今回は補講でよかったが、模擬戦では今の当たりで俺の負けだ。
「お願いします」 俺は剣を構え直す。
先生は頷くと、再び石を飛ばしてきた。先程は手先だけでそれを攻略しようとしていた。だが、それでは足りない。ならば――
真横へ跳躍。投石は先程まで俺がいたところを通り抜ける。読みが当たる。先ほどモーラス先生が言ったとおりシンプルな魔法には追尾能力は備わってない。
先生は鎚を移動した俺へとずらして方向を定める。おそらく、移動した標的に飛ばすにはいちいち指示を出し直すしかないのだろう。
それ以後も避け続ける俺に対し、モーラス先生が怒鳴りつけてきた。
「バカモン、避けてばかりいないで前に出てこんか! 目標を忘れたか?」
……忘れていた。避けることばかりに頭が行っており、前方へ進むという行動を外してしまった。気がつけば避ける間に俺は後退していたようで、最初の立ち位置より一0歩以上後ろに立っていた。
そして気づいた。今まで魔法に怯えて後ろへ逃げてばかりだった自分を。それじゃあ勝てねえよ。近距離でしか戦えない自分が、距離取ってるんだから勝てるはずがない。自分の愚かしさに笑えてくる。
「笑ってんじゃねえよ!」
俺は自らの顔面に拳をぶちかまして叱責する。この痛みが今までの自分との決別だ。
だから次は突っ込む。絡みついた自分の臆病を振りほどくために、突っ込む。
「忘れているならもう一度言うぞ、前にでるのじゃ!」
そう言いながら先生は、少なくなった石の補充に岩石を砕く。向こうのストックは十分のようだ。上等。こちらも覚悟はできている。練習なんだ、無様な姿を何度見せるようなことになっても構わない。だけど、絶対に突破してやる。
俺は奥歯を噛み締め、走りだした。
この鍛錬にはなかなかの時間と、そして結構なダメージが必要となった。
前進するとき、自分は石に対して突っ込むことになり、相対的に石の移動速度は早くなる。迎撃する難易度が上がるのだ。そのため前に行かないと行けないのはわかっているが、どうしても横への回避が増えて前に進めず、ガードしても石の衝撃をこらえきれず足が止まってしまう。一度止まってしまうと初動が遅れ、石を喰らってしまう。難攻不落とはこの事ではなかろうか。だが、今の俺にはそれぐらいが丁度いい。俺の乗り越えるべき壁がたやすく飛び越えられるものであっていいはずが――ない。
今はただ、全身全霊で挑むだけだ。
先生の容赦無い罵倒が周囲に響く。
「そんな回避では、相手の魔力切れのまえにお主の体力が尽きるわ! このへっぴり腰が」
「はい!」
「もっと小さな動きで避けろ。同極の磁石か貴様!」
「はい」
「まだまだなっとらん。ヨハネはそんな剣術を教えたか!?」
「!」
俺はモロに鼻に石をもらったしまい、尻から倒れた。思わず鼻血の有無を確認する。……無事のようだ。
「集中力も切れてしまったようじゃし、小休止じゃ」
そう言って腰を下ろしたモーラス先生に、俺は訊ねる。
「先生はヨハネじいちゃんのなんなんだ? ただの友達ってわけじゃないんだろ」
「ちょっとした戦友じゃよ。一緒にいくつもの戦争を戦い抜いた。ワシの知る限り、あいつが最高の騎士じゃった」
「じゃあ……」
「ん?」
だからこそ、聞いておかねばならないことがある。優しいじいちゃんがなぜあんな罵詈を浴びせられるのか。
「じゃあなんで……街のみんなはじいちゃんを悪く言うんだ!? じいちゃんが何したんだよ。最高の騎士だったんだろ。なんでみんなじいちゃんを臆病者って後ろ指さすんだ、おかしいだろ!」
「十数年前まで、あいつは三千の兵を指揮する将じゃった。じゃが戦争の最中、あいつはそこから降りた」
「なんでじいちゃんは辞めたんだよ」
「言えぬ」
「教えてくれ」
ただただ必死に頼み込む。
「言えぬ! ただ、わかって欲しい。……決して保身じゃとか臆病風に吹かれたわけではないと」
悲痛の表情。この人を責めるのは筋違いだ。俺は毒気を抜かれた気分になった。
「言えない理由があるのか」
先生は真剣な表情で静かに頷いた。
「いつか、きっといつか教えてくれるんだろうな」
「少なくとも、試験に合格できないような輩には教えてやる義理はない」
「わかった。難題をクリアしなければいけない理由がまた一つ増えたな。休憩終わり、再戦だ」
俺は元いた位置へと駆けだす。時間を浪費するわけにはいかない。
目的の位置に立って振り返る。ちょうどモーラス先生が立ち上がったところだった。
俺は剣を構える。自然体で最初に習う、剣先を相手の目に向けた正眼の構え。俺は瞑想にも似た精神集中に入るため瞼から力を抜き、ゆっくりと落とす。意識を呼吸に集中させる。最初に行うのは集中のために要らないものを排除することだ。
真に暗闇の中、心を落ち着かせようとしても雑念がふつふつと浮かび上がってくる。それは学園に来てから多くのことに囚われすぎていた事を意味していた。今の自分の精神状態を認識し、心に脂肪のように纏わりつく煩悩を切り捨てる。そして息とともにそれらを体内から大きく吐き出す。精神がクリアになり始める。こうして自分を見つめ直すのも久しく忘れていたが、下手になっているようには感じない。
これを繰り返すことで、長らく感じたことのない心の平穏に辿り着く。目を半眼で見開き、情報を再確認。
ドワーフの教師、大鎚。これらの情報は今回の攻略においては意味を成さないので排除。知るべきは投石についてだ。スピードは有るが、威力は非常に弱め。急所に当たらない限り自分の足を止めることはできない。動きは直線だけで投げつけられる間隔もほとんど一定。同時投げやフェイントなどの変化球はない。相手の情報はこの程度で十分と判断。
そこに今までの自分の対応の検証をし、なぜ失敗していたのかを考える。おそらく先程までの攻略の延長上には答えはない。なぜならば回避と防御に意識が行き、クリア条件、発射口への到達においては進歩がなかったからだ。
考えるなら前進することを大前提として、さらに何か補うでなけらばならない。猪突猛進で攻略できないのもわかっているし、痛みを我慢して到達しても本当の攻略にはならない。何も考えず前進するのは理の剣術から最も外れた行いなのだから。
いくつかの攻略を思い浮かべるがどれも似たり寄ったりで、最終的に不可という答えを貼り付ける。できないことを捨てた残りが答えという考え方だが、その考えは大前提として選択肢の中に正しい答えがなければならない。思考の回転に鈍りを感じ始めた頃、俺を助けてくれたのはやはりヨハネじいちゃんの言葉だった。
「お前は眼がいいのにそれを活かしきれていない。もっとこう……寸前で躱してみろ。下手な奴にはできないし、できるまではしこたま痛いがな」
練習ぐらいスリリングを楽しめ、と笑いながら竹刀を振ってきたじいちゃんを、当時は青アザだらけにされたため随分と恨んだものだ。
無論、言葉だけでなく見本を見せてくれたが、まるで空から落ちてくる紙が襲いかかる刀を避けるようにひらりと、疾くはないのにカスリもしないギリギリの距離で避けられた。
結局、習得できずに今生の別れとなったが。
剣術における回避は線状の攻撃に対してのもの。これを飛来物に対しておこなう場合は、点状に対しての回避になる。それがいまみたいなケースだ。
ではなぜ回避が大変なのか、それについて俺は考えを深めていく。回避行動と動作を最小限にできる方法はないものか。投擲側から考えてみよう、当てやすい的とは……。
脳内に閃光が走った。下手な考えかもしれない、だが今の自分に出せる回答ではこれ以上のものはない。できるはずだ、やってみせる。
「いつでも構いません」
俺は目を見開き、声を張ってそう言った。自然と唇の両端が持ち上がる。
「楽しいか小僧、この状況が」
先生は楽しそうに尋ねてきた。自分の頬は吊り上がっていた。そうか俺は笑っているのか。ゴールとなる先生まではおおよそ十五メートル。歩くだけなら三十歩程度の距離。いけるさ。鼻歌交じりに余裕で到達してやる。
先生は大鎚を突き出すと、転がっていた石の群れが浮かび――放たれた。
今まで狙われていたのは両肩の内側、腿より上。今回のも例に漏れず同じ動きに見える。よってさっき考えていた対策が効果的。
俺は右足を踏み出し、左半身を引く。フェンシングのような構えでこちらの的となる面積を大幅に下げる。狙い通り俺の脇数センチを通り抜けていく。今までと違うのは、全身で避けていた動作を片足だけで悠々と行えた。これで前進する余裕が生まれた!
そこで止まらずに前に出ている右足で一歩進み、左足を右足の踵に付ける。目前には追撃の石。左足で地面を蹴とばす。
こうすれば――飛来してきた石を跳ぶようにして避けられる!
真正面から飛来してくるなら斜め前方へ移動すれば当たりようがない。
回避で半歩、石と石の跳んでくる合間に半歩足を進められる。直線に進めない分時間はかかるが、無理なく距離を縮められる。
順調に足を勧められていると思うと、ワンパターンかと思った石の動きにも変化が起こった。右足踵にに左足を合わせ、次の回避行動の構えを見せた俺に、連続する三つの石が襲いかかる。初弾はやはり正面胸に向けて。だが、続く第二第三の攻撃は今までより短い間隔で、さらに回避するであろう先の二方向へ発射されている。
今までどおり避けていると初弾以外のどちらかに被弾してアホ面を晒すことになる。重心が上がっている今の状態で剣でガードしても、耐えられずに吹き飛ばされる。
それなら――俺は斜め前方、右足の親指を向いている方へと身を沈めながら跳ぶ。頭部より上に石が通り過ぎる。初弾を回避。
飛んだ先、右足が地面を踏みこむ。バランスをとるためその場で起き上がろうとして止まれば、次弾をまともに回避できない。ゆえに本能を理性で無理に支配して左足を前に出す。視界の端、二発目の飛来物が映る。姿勢が崩れていたところを無理に動いたせいで更に姿勢が崩れ、重心が踏み出している左足に乗っている。今右足を出そうとしても非常に緩慢な動きになる。
そう判断した俺は崩れようとする力に逆らおうとせず、左に崩れる動きを利用してコンパスのように回転して右足を投げる。ターンの動きで右足が地につく。一歩前より姿勢が良くなっており、俺は思わず声を荒げて飛び出す。
「はぁぁぁ!」
すでに先生は目前、剣の届く距離。剣を握る両手に力が入る。俺は剣を振り上げる。
「もらったぁぁぁ!」全力で振り下ろす。ためらいなど、ないっ!
先生は防御の構えになっておらず、このままならクリティカルヒット。怪我したらすまん、先生。
俺の一撃は、先生の頭から股間の間を――すり抜けた。
「は?」
ザクッっと音を奏でた俺の握る剣は、大地にめり込んでいた。人を切った感触も叩いた感触もない。一体何が起こった?
「甘いわぁぁぁ!」
気の抜けていた俺に、左脇から先生の怒声が浴びせられる。振り返った瞬間見たのは、拳を振りかぶっている一人の老ドワーフ。俺のみぞおちに重い一撃が入る。
「お、ぶぇえ」
出そうと思っても意識しては出せない声が俺の口から漏れだす。その一撃はそれでも満足できないようで、俺の体が持ち上がる。拳の回転運動とともに押す動きが追加される。
拳が俺の腹部から離れていき、自分が飛ばされている事を嫌でも分からされる。落下のために受け身を取るべきだと理解しているが体が脳の指令を受け付けようとしない。
俺は無様に背中から落下、そのまま転がって失速。全身が鈍痛を発し、自分がダメージを負っていると自己主張する。頭を上げられない。息を吸おうにも肺がまともに働かず、呼気運動ばかり繰り返す。
「最後だけ、勝機に溺れてガチガチの構えじゃったぞ。だが、儂の元まで辿りつけたわけじゃし、合格といっていいの」
合格。その言葉を聞けたことが嬉しくて目頭が熱くなる。それはきっと、学園に来てから初めて他人に認めれた。指一本動かせないが、今は自分を認めてやってもいいのではないだろうか。すっげぇ苦しいけど、その何倍も嬉しい!
「おい、小僧きいておるか? おい、おい――」
俺は多幸感に包まれながら気絶した。