2話
校庭を走り終えた俺は、校庭裏の人の来ない静かな場所で剣を振っていた。
どれだけ振っていたかなど関係ない、何度振ったかも関係ない。ただ実力だけがすべてだ。
「せい、せい! あっ・・・・・・!」
単純な剣の振り下ろしの反復練習に、握力が底を突いた。握っていた剣はすっぽ抜け、飛んでいった。両腕は震えており、今日はまともに物を掴めそうにない感じだ。額に浮かぶ大玉の汗を拭い、目を閉じ、呼吸を整える。
時間がないのだ、止まってられない。
焦りは十二分に感じていた。ただ、その焦りを解消する方法がこんな地味で効果薄に感じる反復練習しか思い浮かばないのだ。
自分の実力のなさに、悔しくて思わず唇を噛み締める。三週間後の試験で実力を見せつけることができなければ特待生の資格が剥奪され、そのまま自分は学園を出て行かなければならない。
「まだ、まだやれる。剣は振るえなくても、ほかの練習はできる。このまま終わるのだけは嫌だ」
震える声で自分を奮い立たせ、俺は人気のない学校の敷地を走り出す。既に外は暗くなっており、敷地内の学生寮からの光源を頼りに辺りを走る。
そこから漏れてきた談笑が耳に入ると目頭が熱くなった。
泣いては駄目だと思う。きっと今泣いては俺の心は折れ、立ち直れない。だが、
なぜ俺だけが・・・・・・。その思いが心を占領し出す。
苦手なら努力すればいいだろう。だが、無力なら何をしたらいいのだろう。魔力がない俺には何ができる。答えが見つからない。
自分の環境に苛立っているのか、自分の改善点を見つけられていないところに苛立っているのかわからなくなっていた。
ただただ、悔しくて仕方がなかった。
室内で今楽しく遊んでいる彼らと、今もこうやって抗うしかない自分になぜこうも差があるのだろうか。
「ふざ・・・・・・」
ふざけんなよ、と口にしようとしてその言葉を飲み込む。
自分のこの憤りを、誰にも聞かれたくない。誰にも答えて欲しくない。返ってくる納得できない賢人の解答など要らない。
それでも、思わず言葉を漏らしそうになる。
世界を罵倒できればどれだけ楽か。だが、それを選択したら俺はもうここには居られない。弱者がいても許される場所ではない。
「っほっほっほ、必死じゃな小僧。だが、それでは絶対に届かぬぞ。毎日言っておるが、なぜワシのもとへ来ない?」
声が聞こえるまで、その存在に気付けなかった。振り返れば、木に背中を預けているのは憎き男。実に愉快そうな顔がむかつく。
「うるせぇクソジジイ、脅迫同然で学園に連れて来やがって、あんたの面なんてみたくねぇんだよ」
「ワシは孤児院の債権者なんじゃから、おまえさんのいた孤児院をどうこうしようと勝手なんじゃ。むしろ、あれだけの負債があって存続の条件を出しているワシのほうがお人よしじゃろうが。ありがたく思え」
いちいち言うことが、俺の心を逆なでする。
「だったら人の邪魔すんな。俺が特待生として卒業までこぎつけられたら、あの孤児院は無くならずに済むんだろ。じいちゃんの葬式当日に突然現れて、それでいきなりそんな交渉をしやがって、恨むからな!」
「だからと言って、立ち止まることは許されないぞ。どうする?」
「黙ってろ!」
苛立ちから、俺は殴りかかった。だが、俺の拳がジジイの横っ面へ届くその前に、自らの腹への重い衝撃。目の前が暗く、手足に力が入らない。額には冷たい感触、鼻には湿った砂の臭い。どうやら地面に頭が接触しているようだ。また負けた。ダサすぎだろ。悔しさに震えながら俺は気を失った。
○
「うぉ、冷た!」
肌を刺激する清涼感に、俺は眼を覚ました。いくつもの薬のにおいに、白一色の壁紙、ここは……保健室?
「あっ、眼を覚ましたかジューダス君。今シップを貼るところですから、動かないでくださいね」
やさしい女性の声の主は学園の若い保険医で、カレン・クロシルル先生。栗色の髪はひとつにくくられて、腰の位置まで伸びている。小顔で色素の弱い白い肌、小さくて筋の通った鼻の下には薄いピンク色の口。学生の口から言うのもどうかと思うが、綺麗というより可愛いと言ったほうが合っている人だ。柔らかな物腰とその美貌から男子の生徒だけでなく教員にも人気がある。
彼女はその白くて細い指で俺の腕に軟膏を塗っていた。
そのくすぐったさで思わず声が漏れそうになるが堪える。その間に俺の腕のコブができる内側を重点的に塗る先生が、濡れタオルで指を拭き、シップを患部に重ねだした。終わりだと判断して気を抜いた。だが、それは間違いだった。
次の瞬間、胸に冷たさが現れた。見ると、先生の指先は再び軟膏で俺の胸部をなぞっている。
「ちょ、待って先生。てか、なんで俺上半身裸なの!?」
あわてて離れようとする俺を押さえつけ、先生は微笑みながらも作業を続ける。
「うふふ、やめません。ジューダス君は無理をしすぎるのでいつも体が泣いていますよ。もう少し大事に使ってくださいね」
「でも先生! 俺このままじゃだめなんだって。時間がないんだ」
俺の本音に先生も真剣にこっちを見る。
「ジューダス君が大きなハンディキャップを背負っているのは先生だって知ってます」
「だったら、っ……!」
まだ話の最中だというのに、太ももに軟膏を塗られ、くすぐったさに必死に耐えるために声が出せない。
「ぐ、くくく……」
「こら、足をばたばたさせない。ちゃんと塗れないでしょう?」
「く、む、無理……無理だって……それに、話……話の途中……」
「これぐらい我慢できないようじゃまだまだですね。はい、足を伸ばして~」
その後、下肢全体に軟膏を塗ってもらったが、股関節より上はさすがに恥ずかしすぎて全力で止めて自分でやった。
「はい、終了です。ジューダス君、ミイラ男ならぬシップ男ですね」
「誰がこんな風にしたんですか、誰が!」
手足どころか、頬まで湿布を貼り付けられており、強い清涼感で目鼻が辛い。
苦しむ俺のおでこに人差し指を付け、カレン先生は忠告してきた。
「いいですか、こんな無茶をしたら明日どころかあさってだって満足に鍛錬することなんてできませんよ」
「う、それは・・・・・・」
それはまずいと思う反面、鍛錬をしなければいけないという思いもあり、俺は口ずさんでしまう。
そんな俺を見て先生はしょうがないですねぇ、とつぶやいた。
「きっとジューダス君はそれでも明日も無茶な特訓をするんでしょうねぇ。……わかりました。それを認めます。ですから毎日、特訓終わりに保健室に来てください」
「ほんと、先生!?」
その時、俺の腹の音が恥ずかしげもなく鳴った。自分の生きてきた中で一,二を争うほどに大きかった音だけに、気恥ずかしい。先生もくすくすと笑っている。
「食欲は元気の証!。安心してください、夕食の分はもらってきてます」
「ありがとう先生」
先生は机の上に置いてある、シーツを載せてたままのトレイを俺のベットに持ってきた。
俺は感謝の言葉を伝え、シーツをさっと引っ張り料理とご対面。山盛りのサンドイッチとジャガイモ多めのシチューがそこにいた。口内の唾があふれそうなほど湧いてくる。もはや一秒だって待てない。
「いただきますっ!」
ん~、至福のひと時。