10話
「で、俺の相手は――」
「そう、ここで会ったが百年目。グリンフォート・アドリオ・ミレナセオ様の登場だ!」
グリンだ。最高にハイテンションで軍服を思わせるような錆鼠色の衣装で待ち構えていた。その落ち着きのなさは全く軍人っぽくないが。
「さてジューダス、実はこの対戦がテスト全体からみて最後だ」
「そうだったのか」
気付かなかった。
「うむ、つまり注目が集まるのだよ」
「講釈垂れてて若干うざいが、そうだろうな」
「ばっか、観客の目が釘付けのこのチャンスだからこそ格好つけるんだろうが」
こいつといいシエラといい、クラスには面倒くさすぎる自分ルールを持っている奴が多すぎる。
「だからこそ、小細工なしの――」
「うん」
「純粋な殴り合いをしよう」
「は?」
何言ってんだこいつは。いやいや俺の聞き間違いだ。こんな大事な場で、まさか拳で語り合おうなんて言うはずがない。
「ただの喧嘩をしてみようぜジューダス!」
バカかこいつは! 勝ち負け以前に実力を示さないといけないんだぞ。アピールのチャンスをふいにする気か!?
「いいぜ、乗ってやる」
俺もバカだった~。頭では分かっているのに、口が言うことを聞かなかった。しょうがない、そういう年頃なんだもの。面白そうなこと提案されたら、誘いに乗るしかないじゃん。
「まったく、グリン対策に絶縁マットとか準備したっていうのに、無駄になったぞ」
「そうだろう、そうだろう。俺が学年最強だからな」
鼻高々に笑いあげるグリン。ふざけているが実力は本物だ。単純だけど速い攻撃、間違いなく脅威で対策せざるを得なかった。
俺はポーチからマットを投げ捨てる。所持金で足りない分を荷物運びの手伝いで賄った思い入れがあるものだったのに。
「これとか、かなり高かったんだぞ貧民感覚で!」
「俺らからしたら小遣いの足しにもなりそうにない額だろうがな」
歯を見せながら笑うグリン。こいつがつけている髪飾り一つとっても、俺の装備一色で足りないほどだろう。正直うらやましいぜ。
やる気になったところでグリンの手を見て一言。
「ところで、その手袋じゃケガするかもしれないぞ」
薄い布地で下手したら殴ったほうの手のほうがダメージがでかい。俺の方は厚めの指なしグローブでそんな心配はない。季節的に寒くなりだしてやたら擦って冷気を凌ぐ必要があるのが難点だが。
グリンは手袋の上にスカーフを巻きだした。
「これでいいだろっ!」
「いや、本当に大丈夫か? お前がそれでいいなら俺は構わないんだけど」
「ギャラリーも暇じゃないんだ、さっさとやろうぜ」
グリンが審判に目配せをすると、相手はめんどくさそうに頷いた。
「あまり無駄なことに時間をかけるのは好ましくありません、両者構えてください」
グリンは右足を下げ、両手は拳を作り、顎の下でハの字で構える。深く体を沈め、突進の構え。
こちらとしては距離を取ってカウンター狙いでもいいが……あえて超近距離だ。前へ出たグリンの頭に先制の一撃を狙う。
「うぉっとと」
俺の接近にグリンは下がりだした。しかし、同時に試合開始が告げられた。
「っは!」
向こうの体勢が崩れている今がチャンス! 先手必勝。踏み込みながら顔面狙いの軽くて速い右ストレート。体ごと横移動させて避けられるが本命は左だ!
右手を引きながらの左フック。拳が腹部に突き刺す。
「っぐ」
密着した頭上から苦悶の声が漏れてきた。しめたと思った瞬間、俺の側頭部に衝撃。目がチカチカして異常を訴えている。ふらふらと二歩三歩後退してしまう。
「なっ」
何があった? 本能的に丸まった姿勢から顔を上げると、左腕を突き出したグリンの噛みしめる表情が見えた。
「どうだ!?」
こいつ耐えやがった。耐えた上で反撃をしてきやがった。油断していたのは俺の方だった。相手は国内で名を轟かせているミレナセオ将軍の三男坊なんだぞ、普通であるわけがないだろうがっ! おちゃらけた外見の下に、地味で辛い訓練をしていたに違いない。
視界が定まらずまともに戦える状態ではない。目に映るものすべてが揺れる中、歪んで見えるグリンが拳を振るのが分かった。俺は両腕を上げて頭をガードする。
「オラオラオラ!」
ガードの上からでも構わずかよ! 叫ぶグリンの頭部めがけての乱打乱打乱打。痛みに目を閉じたくなるが、食いしばって耐えろとわが身に言い聞かす。相手を観察して反撃の期を狙う。
興奮状態のグリン。叫びながらの攻撃のため、息が切れるのが早かった。一撃ごとの力もスピードもどんどん落ちてきた。
今だっ!
タイミングを合わせて突進。上げたままの腕でグリンのパンチを受け、そのまま体当たりする。当たって崩れてくれるかと思いきや、グリンは踏ん張って耐えていた。こいつ、本当に強い。
今はグリンの胸に密着した状態、位置はだいたいでいい!
グリンに対して潜り込んでいる俺は、頭を勢いよく上に突き出す。次の瞬間、頭頂部に鈍痛が生じた。
苦悶の声を上げながらグリンは後ろへ後ずさった。俺の頭がグリンの顎にクリーンヒットしたからだ。まだ終わらせない。衝撃で上を向いているグリンの顔めがけて両手で拳槌を振り下ろす。
柔らかく温かい肉と硬い骨の感触。グリンは受け身をとれずに倒れこんだ。
一息なんてついていられない、まだグリンの目は死んでいない!
立ち上がらせないためにグリンの腹部にのしかかり、足を広げて挟みこむ。
「まだだっ」
叫びながらグリンが殴りかかってきた。俺は胴体を後ろへそらし、顔へのパンチを避ける。
だが、次の瞬間俺の眼球にものが入ってきた。
「っ!」
思わず目をつぶってしまう。異物、グリンの拳が開き、砂の塊が目を襲った。
真っ暗闇の中、グリンが肩をつかんで引き倒そうとして来るのが分かった。このまま体を入れ替える気だ。
させない。俺は飛び跳ねるように後ろへ下がり、距離をとる。。まぶたの中の異物感がひどい。ダメージが軽い方の右目を開ける。その簡易な動作だけでじゃりっと鳴る不快な音に、背筋に怖気が走る。それでもなんとか視界を確保と、ちょうどグリンがゆっくりと立ち上がりきったところだった。ほっぺは赤くなり、鼻からケチャップのような粘度の血を流していた。
俺とグリンの口から荒い息が漏れる。見つめ合い拳を構える。片目のせいで距離感が分かりにくい。開けられない左目に一瞬意識が向くが、すぐさま相手の挙動に注意を向ける。目から土を出す隙なんか与えてくれるほど、楽な相手じゃない。
「「あああああ!」」
俺達の咆哮が轟き、全力で飛び出しあった。互いの利き腕が伸び、顔面を打ち抜く。強烈な痛みが走る。下がりたくなる足を奮起して抑え込み、逆の腕を繰り出す。それは向こうにとっても同じだった。
幾度となく繰り返される本気の殴り合い。避ける気などなく、握る拳に全意識を注ぐ。体中から痛みの警報が鳴り続けるが、知ったことかっ!
顔を殴られれば顔を殴り、腹に拳が沈めばお返しにと拳を繰り出す。
それはただの意地だった。戦士としての評価などされない、ただの子供のケンカ。維持と維持のぶつかり合い。だからこそ、負けたくなかった。俺が認める、こいつだからこそ、負けたくなかった。
酸欠や体へのダメージで思考が霞む。
「俺が勝つ!」
耳から聞こえるその叫びはどちらのものか、だが思いは同じ。
「俺が勝つ!」
殴る。
「俺が勝つ!」
殴る。
「俺が――」
かまえた拳ごと全身を力強く包まれた。
「ストップだ、もう終わってる」
声が聞こえた後ろを振り返れば、巨躯の大人の姿。俺は先生に押さえつけられていた。
「お前の勝ちだ」
何を言われたのか理解できなくて、数瞬思考をめぐらす。
「勝った……勝ったのか」
一発でも多く拳を繰り出す、それだけしか考えていなかった。勝ったはずなのに実感が湧かない。グリンが鼻血で呼吸がつらくなっていた分、殴り合いはこちらが有利だった。運よく鼻をつぶせていただけの、薄氷の勝利だったわけだ。今はただ、無性に健闘したグリンの姿が見たかった。
荒い息の中、俺は片方の視界で対戦相手だったグリンを探した。きょろきょろと顔を振っているとすぐにわかった。
人だかりが壁となって何かを包んでいるようだった。その壁の足の間から倒れている人の姿が見える。
「どいてくれ」
ふらつく足で群衆の中をかき分けて進む。頼む、邪魔だからどいてくれ。
なんとか先頭に出た俺は、寝ているグリンに意識があるのを確認し、言葉を発した。
「ひでぇ顔だな」
顔中腫れたグリンは苦しそうに思えたが、余裕があるように言葉を返してきた。
「うるせぇ、お前が言えた面かよ」
どうやら俺も相当に見れた面ではないようだ。片目が開かないのはおそらく砂のせいじゃなくて、殴られて膨らんでいるせいだ。そう思ったとたん、顔中が熱くなった。
「いてててて」
痛む顔をそっと触れる。その瞬間に激痛が走り、思いっきり手を放した。
「なにやってんだよ」
「すげー痛ぇ! バカみたいに殴りやがって」
「お前だってバカスカやってきただろうが」
俺達は笑い合った。笑みによって動く口周りの筋肉から激痛がくるが、構わず笑い続けた。
「こんなバカ騒ぎは今回だけだぜ?」
「バカ言え、負けっぱなしで終われるかよ。二学期になったら再戦だ」
そういえば試験の最中であることを忘れていた。それぐらい全力で、無我夢中でなければ勝てない相手だった。俺はぽつりとつぶやいた。
「そうだな、もし俺が進めたのなら、またやってもいいか」
「おい!!」
けが人とは思えないほどの声量、思わず身がすくむ。グリンは本気で怒っていた。
「俺に勝った男が! そんなこと言うなよ! 胸を張れよ! ――じゃないと負けたほうの立場がねーだろうが」
悔しさで唇を噛みしめていた。殴られても涙なんか流さなかった男が、怒りの表情で泣いていた。
「もっと自分を信じてやれ。もっと自分を誇れ。じゃないと、痛々しくて見てらんないんだよ!」
叫び終わったグリンは、手で顔を隠し、しゃっくりをしていた。
俺のことに涙する友人に、感謝の気持ちで胸がいっぱいだった。
「ありがとう。そうか……俺は、もう少し……自分を認めてもいいんだな」
倒れているグリンを引っ張り上げると辺りから歓声が沸き起こった。
「二人とも格好よかったぞ」
「お前らは強い」
「くっそ、今度は俺も殴り合いしたくなったじゃねーか、やらせろ」
背中をバシバシとたたかれる大歓迎、おまえら、こっちがケガ人だということが分かっているのか?
……今だけは許してやるけどなっ!