一日の終わり
姉貴の手によりやたらふりふりとレースのついたパジャマに着替えた俺は、キッチンから漂う匂いで今日の晩飯がカレーであることを知った。
否が応でも食欲をそそる匂いに空腹を自覚する。そういえば今日はまだ、一度もまとな食事を摂っていない。お腹空いた。
「シン、お皿出して」
「はいはい」
俺は姉貴の要請に応じ、レースをふりふりさせながら食器棚を開け、皿を取り出す。ちなみにこのパジャマは小学校のころの姉貴のお下がりだ。ついでに下着も。
つまり視点を変えると、俺の体型は小学生の姉貴と大差ないことになるが、決して俺のこの身体の発育が悪いわけではなく、姉貴が昔から発育がいいだけだ。おもに身長やら胸やら。
……しかし、この姉貴にも可愛らしいものを好む時期があったんだな。感慨深いよ、俺は。できればそのまま成長してほしかったね。
ちなみに最初は抵抗のあったこの服装だが、男のときのジャージは着れたものではなかったし、姉貴の服もいささか大きいので仕方ない。家の中で、服装に頓着して意味があるわけでもないしな。
「あんた何か失礼なこと考えてないでしょうね」
内心の怯えをおくびに出さず俺は無言でかぶりを振り、二人分の皿を渡す。姉貴のセンサーは相も変わらずおそろしい精度だ。
納得してない素振りの姉貴がよそったカレーを受け取り、俺はリビングにある食卓へついた。そのまま姉貴が席につくまで頬杖をついて待つ。
いくら腹が空いても、食事をつくってくれた姉貴をないがしろにはできない。姉貴が軽く片付けをすましてくるまで、少しの間の我慢だ。
「あら、待ってたの? 殊勝な心がけね。先に食べてくれてよかったのに」
「いつも待ってるだろ。……いただきます」
「はい。いただきます」
姉貴が対面に座るのを待って、二人で合掌し、スプーンをとる。俺のいまの行いが殊勝な心がけなら、毎回俺が食べはじめるまでは箸をつけない姉貴も殊勝な心がけといえるな。
姉貴はキツイ性格をしてるくせに、俺が美味しいと思っているか気にしてるフシがある。前そのことを指摘したときは「あんたを毒味につかってるの」なんて嘯いていたが、俺がうまいと言うと決まって安心した顔をするのだからわかり易い。
普段もそれくらいの愛嬌があれば、学校で「女帝」だとか呼ばれないだろうに。
「ん、うまい」
「当たり前のことは言わないでいいわ」
俺が素直に思ったことを伝えると、姉貴はほのかにはにかんだがスプーンをとらない。俺の顔をじっと見つめると、少しして口を開いた。
「――シン。明日だけど、制服を買うついでに普段の服も買いにいきましょ。あんたも、私のお下がりをずっと着てたくはないでしょ」
「……え、マジで? いや、俺は別に……このままでも」
「シスコン?」
「違う!」
「なら変態?」
「だから違うっての! わかったよ、一緒に買いにいけばいいんだろ」
「ん、よろしい」
俺の扱い方を、忌々しいことに姉貴は十全に心得ている。いまもそうだ、あっという間にペースにのせられ一緒に買いにいくと確約してしまった。
まあ服を買いにいくのはいいんだけどさ。女の身体で服装をおざなりにするのは、よろしくない気がするし。
俺の返事に満足したのか姉貴はようやくスプーンをとると、カレーを小さな口に運びはじめた。
「……くったくった……」
男のときの倍近い時間をかけてカレーを食べ終えた俺は、自室のベッドで横になっていた。いつもは俺の担当である食器洗いは、気を利かせてくれたのか姉貴がしてくれている。
すっかり満腹になり、こうしているとすぐ眠ってしまいそうで、ベッドの上で枕を抱いてごろごろしていると何か男くさい。体臭ではなく、男性フェロモン的なものが匂う。
……これがあれか、男の匂いか。男の時分は全く気づかなかったが、何となく安心できる匂いだ。
「……ん……ねよう……」
それを機に急速に眠りにいざなわれた俺は、部屋の電気を消すのとともに、意識を手放した。