イヤって言ったらイヤ!
「――――」
湯けむりがくゆる中、対面する士狼の顔を見て、俺は二の句を継げないでいた。
俺が部屋を出るまで寝ていたはずなのにどうして? いや、そもそもなんでここに? ここは女湯のはず――胸の内に去来するいくつもの疑問に答えがでないまま、無情に時間ばかりが過ぎていく。
果たして、先に沈黙を破ったのは、士狼だった。
「千冬ちゃん……ここ、男湯……」
士狼は呆けたツラで俺の胸元を見つめながら、簡潔にそう告げた。冷静になってみると、ここが男湯なのか女湯なのか、確認せずに入った気がする。寝ぼけていたのと、どうせ誰もこないだろうと軽忽していたのが原因である。……ああ、数十分前の自分を全力で張り倒してやりたい気分だ。
ひとまず俺は、自分の細い肩を抱くようにして胸元をかばい、後ずさる。
――周りに誰もいない状況で目前にタオル一枚の女の子が現れれば、いくら士狼がほかの思春期男子より自制心に優れたやつだとしても、「絶対に大丈夫だ」などという確信は持てない。俺もつい数ヶ月前まで健全な肉体を有していた身空である。そこら辺の事情は、痛いほどよく理解していた。
「ごっ――ごめんなさい、すぐ出ていきますから……」
とにかくこの場から離れるのが先決だ。俺はもう一歩後ずさり、士狼から目を逸らした。
極度の緊張のせいなのか。心臓が早鐘を打って、呼吸が落ち着かない。湯船で温まった身体が、また別の作用で火照っていく様子が、自分でもよくわかる。
……ただ、我ながらどうして緊張するのかはわからない。たとえ今の容姿が、男のころと似ても似つかない美少女だとしても、俺は俺だ。男同士で肌を見せ合うことに躊躇を覚えるような、繊細な神経の持ち主ではないはずなのに。
ぴちゃりと。水の跳ねる音がして、士狼が俺に詰め寄ってきたのがわかった。
「で、出ていきます、からっ……」
「あ、いや……千冬ちゃん。その、俺、千冬ちゃんに言いたいことがあって」
「……後で、聞きますから。とりあえず、そこ、どいてください」
拒絶するように言葉を重ねても、士狼は頑として聞き入れようとしてくれない。
まあ……それもそうかもしれないな。今の俺は、こいつからすれば親友の妹だ。そりゃあ大して親しくないほかの友人知人よりは優先される存在だろうが、あくまでも親友の「妹」で、親友ではない。この数カ月でいくら交流を深めようと、親友の妹なんて薄弱な立場から脱しないかぎり、届く言葉に限りがある。
それは今の俺が(大変不名誉なことだが)士狼の「意中の人」であろうと、不変な事実なんだろう。
俺は変わらず、士狼のことを親友だと思っているのに。何だろうね、この隔たりは――
「――――っく、え、ぅ……うう……」
気づけば、ぽろぽろと涙が零れていた。
幼女さながらの子供じみた嗚咽を堪えることも、ぼやけた視界で周囲の認知もままならないまま、ただ士狼が当惑している雰囲気だけは察せられた。
頼むから、そこをどいてくれ。何を考えているか知らないが、俺はお前とあれこれする仲になるなんて真っ平ごめんだし邪魔をしないでくれ。彼女なら、俺の与り知らないところで勝手に作ればいい。仲良しな遊馬と彼女についての不満だとか語り合えば盛り上がるんじゃないか――ああ、もう。
普段の何てことない場面で、幾度となく突きつけられた親友との距離感と、鬱積した感情。
それらが堰を切って、小さく脆い身体の中へ怒涛と流れこむ。
「ちが、千冬ちゃん落ち着いて――」
士狼はそう言い、俺の肩に触れる。僅かな接触さえ煩わしく、不快に感じられて、その手を振り払おうと身体を捩って――
「あっ」
その刹那、足元の感覚がふっと消え、俺の視界は直角に90度傾いた。
――まずい、倒れる、と。思ったときにはもう遅い。
床は滑りやすい石畳で踏ん張れないし、とっさに身体を守れる体勢でもない。
頭を打ちそうだ。痛くないといいが、いっそ気絶してしまえば楽かもしれない。もう、この場から離れられて、醜態を晒す真似さえ免れれば、何でもいい。
それから、覚悟を決めて目を閉じた。衝撃に備えて、奥歯を食いしばり――数秒経ても、気を失うような衝撃は訪れない。訝しんで目を開けると、眼前に士狼の顔があった。
「……わ、わざとじゃないから……」
俺は、士狼に組み伏せられていた。
――――
折り重なって倒れた拍子にタオルがほどけて、少女の未発達な身体があらわになる。
握れば砕けてしまいそうな華奢な肢体と、成長過程にあるなだらかな双丘。処女雪さながらに白い肌は、ほんのりと上気して。高級なビスクドールもかくやあらん奇跡的に整った面立ちも相俟り、今はことさら蠱惑的な印象を与える。
――滅茶苦茶にしてしまいたい。
組み敷いた腕の中で、荒い吐息を漏らしながら、潤んだ瞳に驚きと怯えを滲ませ、自分を見上げる少女を、ひと思いに壊してしまいたい。
快楽に歪む表情を、堪えられず嬌声をあげる姿を見たい。
自分の所有物として、身体の至るところにその証を刻んでしまいたい。
そういう男なら抗い難いだろう情動を、
「――ごめん。とにかく、まだ、お風呂からは出ないで。たぶん入ってこないと思うけど、脱衣所の外に何人か男がいるから」
士狼はおくびにも出さず、俺にそう告げた。
見上げる俺と必然的に目が合って、バツの悪そうな表情を見せたのも束の間、真剣な顔で。
……つまり、俺のことを考えて忠告しようとしてくれてたのか? てっきり一時の欲望に駆られ、襲ってくるものだとばかり思っていたが。何だ、本当は心配してくれてたのか。そうか……それは、わかった。
わかったから、とりあえず――
「いつまで覆いかぶさってるつもりですか……あと、ちらちら人の身体、見ないでくださいっ……!」
「ご、ごめん!」
はだけたタオルをもう一度胸の前で巻いて、俺は今の自分にできるかぎりの抗議の意を表す。
キッと睨めつけると、士狼は見惚れたような表情をしてから、「まずい」と言わんばかりに顔をそむけた。だが、一向にどいてくれない。
そればかりか、その、何だ。非常に形容しがたいのだが、こう、太もものあたりに固いものが触れている感覚が、あるような、ないような、あるような。これは、あの。その、つまり――
「…………っ~~~~!?」
『それ』を認識して、俺の顔は即座に真っ赤になった。本来なら「気持ち悪い」と青ざめて然るべき場面なのに、そんな悪感情より先に羞恥がくる。自分でも全くよくわからないが、恥ずかしい。恥ずかしくて、恥ずかしくて――なのに不思議とイヤじゃない。わけがわからない。男ならはこうはならい、心まで女の子になってしまったのか、俺は?
わけもわからず、ただただ恥ずかしくて堪らなくて。自分が何か粗相をしでかしたわけでもないのに、手で顔を覆おうとする。熱を持った頬に、少しばかり冷えた掌が触れて、いくらか冷静になれる。
そんな仕草をする俺を見て、ようやく士狼は自分が何をしているのか気づいたらしい。
「――うわ、ご、ごめん!! とりあえず、お風呂から出るのはちょっと待ってて!! 本当にごめん!!」
途轍もなく俊敏に俺の上から離れると、最後に謝罪ともう一度だけ注意をうながして、士狼は心なしか前屈みになりながら脱衣所の方へ駆けていった。
残された俺は、たった数分の間におきた出来事の顛末にも、自分の中で湧き上がるさまざまな感情にも折り合いがつけられないまま、しばらくの間その場で横になっていた。
R-18差分とか需要ありますかね……(小声)




