湯けむりと、かげろう(中)
なんやかんやとしている内に、電車は旅館最寄りの駅に到着した。
一時間半くらい車内で揺られていたわけだが、幸い身体の疲労感はない。
この身体は本当にデリケートで、かつ体力がないので、僅かなことで体調を崩しやすい。
「女の子の身体」というのがそもそも、そういうものなのかもしれないが……なんて考えつつ、俺は傍にいる三人の女の子を観察してみる。
「ちょっと士狼。キャリーバッグ下ろして」
電車を降りる用意をしつつ俺の親友をこき使う姉貴は無論、疲れた素振りなど一切なく。
「ああー! ようやく着いたよー!! あ! ケイトちゃん見て見て、あそこのお店に並んでる駅弁すごい美味しそうじゃない!? うわっ、お腹空いてきたー!!」
「ええっと……? 旅館に着いたらご飯が食べられるのでは……?」
無軌道な元気を尽きることなくフルスロットルに振りまく真琴もまた、言うまでもなく。心なしか疲労をうかがわせるケイトも、移動によるものというか、真琴の勢いに気圧されている感じだ。
ケイトに心中労いの言葉をかけながら、俺もまた席を立った。頭上の網棚にあるキャリーバッグを降ろすべく手を伸ばそうとすると、
「千冬ちゃんの荷物は俺が持とう!」
「……あっ」
俺と荷物の間に割って入ってきた遊馬が、軽々とキャリーバッグを引き降ろし、片腕に抱えた。
あのキャリーバッグ、着替えやら何やらが入ってそれなりに重いはずだが……さすが男子、というべきか。俺も男のときならあれくらい余裕だったのになあ、と若干うら寂しい。
ちなみに「……あっ」という情けない声は、俺ではなく士狼のものである。
あいにくと俺は鈍感ではなく、ヤツの心意をよく知っている。おおかた、「俺が千冬ちゃんのバッグを持つつもりだったのに……」とか何とか、内心歯噛みしているんだろう。……考えてみると怖気がするな。
そうして電車からホームへ踏み出すと、途端けたたましい蝉の鳴き声とともに、湿り気のない爽やかな風が通り抜けていく。
ホームから見える光景は、一面の田園とまばらに立つ日本家屋。そして、遠方に連なる山脈。
うん、絵に描いたような田舎である。
「空気がおいしいですわね」
「そうか? 気のせいじゃないか」
俺もここの空気は澄んでて、気分がいいけどな。
そんな獅子吼兄妹のやりとりを尻目に、地図を広げる姉貴。
売店を嬉々として覗く真琴。
仕事帰りのサラリーマンよろしく、年季の入った伸びをする士狼。
三者三様、全くまとまりがない一団である。
ここから目的地である旅館は、駅から歩いて十分のところ、らしい。ので、俺は早々に宿で一休みしたいね。
「よし、だいたいわかったわ。行くわよ。……士狼、あそこのアホ、引きずってきなさい」
士狼が興奮する真琴の襟首をひっ掴んで連行するのを待って、俺たち一団は旅館へ向けて歩きはじめた。
――――
旅館に着くまでに、二十分を要した。
まあ、こんなものだろう。これでも想像よりかは、早く到着できたとも思う。
都市部で二十分歩き通しは辛いものがあるが、涼風の吹く田舎道を二十分歩くのは易しいものだ。
わいわい歓談しつつだったので、あっという間、という気までする。
俺たち一同は、威厳のある木造の門をくぐり、よく手入れされた庭園に(おもに真琴が)感嘆の声をあげつつ、旅館の玄関口まで歩みを進めた。
一応、今回の主催者は旅館のチケットを当てた士狼になっている。予約も士狼名義のため、あいつが先導する形で俺たちはロビーへ上がっていく。
「すみません。予約していた能井ですけど」
「ああ。能井さんですね。本日はようこそお越しくださいました。お疲れになりましたでしょう? すぐ、お部屋の方にご案内しますわね」
能井、というのは士狼の苗字だ。ひさびさに聞いたので、一瞬誰かと思ってしまった。
士狼を相手している従業員は、ここの若女将らしかった。齢二十前半ほどで、姉貴とはまた趣きを異にした大和美人なお姉さんだ。たおやかで、柔和そうな雰囲気に思わず見惚れてしまう。士狼のやつも呆けたような顔をしている。
……その顔が何となく気に入らなくて軽く脇腹を小突いてやると、士狼は驚いた様子で俺を見た。そして、少し間をおいて物知り顔で微笑む。うわ、なんだ。気持ち悪いなこいつ。
「こちらですわ」
俺はなぜか同じように微笑む若女将さんと、徐々に喜色満面といった様子になる士狼に悶々としつつ、その案内に従った。
――――
「さて……困ったわね」
かくして案内された客室の中。中央の座卓を囲んで、俺たちは頭を抱えていた。
いや、“俺たち”というのは正確ではないかもしれない。ここへ来るまで行動を共にしていた男二人――遊馬と士狼が、今この場所には居ないからだ。
今ここにいるのは俺(千冬)と姉貴、真琴とケイトの四人。つまり女だけだ。
男二人はつい十分ほど前に、姉貴の「旅館内の施設の場所を事細かに把握してきなさい」という命令(拒否は許されない)によって、半ば追い出される形で部屋を出ていった。今ごろ、当て所なく旅館の中を彷徨っていることだろう。
「たった襖一つを隔てて、あの性獣とも呼べる男二人と一緒に寝るのは危険よ。対策を講じる必要があるわ」
姉貴は眉間を押さえ、苦悶に満ちた表情をうかべる。男二人、といえど姉貴の中で士狼は別に問題でないはずだ。あいつはしょっちゅう俺たちの家に入り浸ってたし、宿泊したのも一度や二度ではない。
問題は、遊馬なんだろう。確かにあっちは、一筋縄でいかなさそう感じもするが――
「あの……わたくしは、どうしてここに?」
疑問の声をあげたのはケイトだ。最年少の彼女はいまいちこの危険さを理解していないらしく、
「それはねケイトちゃん……悪い狼に食べられちゃうかもしれないからだよ……!」
「えっと……狼……ですか?」
「そう、狼! 理性を失ったオオカミだよっ! やつらが本気になったら僕たちじゃとても敵わないからね――ああ、危ないケイトちゃん! 危ないちーちゃん!! ああ!? 千颯ねえまでーー!? そんなー! うわー僕もやーらーれーたー……」
「???」
真琴のやたら気合の入った寸劇にも、合点がいかない様子で小首をかしげるだけだった。
まあ、このメンツで襲われる危険が一番低いのもケイトであるから、多少無防備でも大丈夫だろう。遊馬はケイトの兄貴だし、士狼はいくら倒錯しようと女の子を襲ったりはしないはずだ。
真琴は……そういう範疇にないだろうから、除外。ペットみたいなもんだからな。
可能性として挙がるのは姉貴と……まあ、俺であるが。
――そもそもの話、あの二人が夜這いでもかけてきたりするだろうか。
「甘いわ。女の子と一緒に旅館へきた。閉塞された空間で一夜を過ごす――状況が積み重なれば、男の箍なんてすぐ外れるわ」
……まるで経験者のような口振りだが、姉貴よ。
「ふん。本で読んだのよ。まあ、警戒するに越したことはないわけ。わかった?」
と、そこで姉貴は俺をじっと見つめた。薄々感づいていたが、真琴やケイトを招集しつつも要は俺に注意を促したいらしかった。……わかってるさ。せいぜい、気をつけることにするよ。




