キミのことを考える
「ねね、千颯ねぇ、あそこのクレープおいしいらしいよっ!」
「へえ、本当。それなら一度、ぜひ食べてみたいわね、千冬」
「え? ……あ、うん。食べてみたいかも、です」
「おい待て、なんだその視線は。いや、無理無理。さすがに三人分も奢れないよ」
俺を除いた二人から、視線による物言わぬゆすりをうける士狼。すまんな、俺が男のときであれば助けてやれたのだが。
今日は、珍しく士狼と真琴のほかに姉貴も合流して、俺を含めた合計四人で街のショッピングモールに訪れていた。俺の例のアレは数日前に終わり、体調はすっかり元通りである。……心に負った傷の方は、計り知れないが。
本当、女の人ってすごいね。あんなのが毎月くるのに表面上は平然として悟らせないのだから、大したもんだと感心する。俺なんてクラスの女子全員に知られたぞ。それで女子たちが気をつかってくれたのは有難い反面、自分のいまの身体をより具体的に意識してしまう結果となって、俺を一層苦しめた。男に戻らない限り、アレが毎月くるのを考えると頭が痛くなってくるが……ひとまず、忘れよう。
「もう、つれないなぁ……ちーちゃんも一言いってやってよ。士狼の甲斐性なしー! って」
「士狼さんばかりに奢らせるのはよくないです。たまには真琴お姉ちゃんも奢ってください」
「ちーちゃん、こういうときにだけお姉ちゃんって……」
俺にそういうのを求めるからだ。大げさに凹んだふりをしても無駄だぞ。こら、俯くな。前を見ろ。
俺の片腕はいま真琴に掴まれている。いや、拘束されていると表現した方が的確かもしれない。何にせよ、肩で風を切って目的もないのに先頭をすすむ真琴と、俺は行動を共にしなければならないのだ。
真琴はやたらと元気なので、自ずと注目を集める。注目されると当然、一緒にいる俺も対象になる。それに怯えて俺が身体をかくすように密着すると、真琴は余計にうるさくなる。お手本のような悪循環だ。
「千冬ちゃん、いいこと言った。そうだよ真琴。前も結局パフェ奢ってやったんだから、今度は俺に奢れよ」
「真琴。私、あそこのクレープ食べたいわ」
「真琴お姉ちゃん。私もクレープ食べたいです」
「くっ、一気に形勢逆転……わかりましたよ……奢ればいいんでしょ、奢れば……でも、士狼だけには、ずぇーったい奢ってやんないんだから!」
不利を悟ったのか、子どもじみた捨て台詞を吐いて真琴はクレープ屋へ向かう。俺も拘束されているので同伴しなければならない。士狼と姉貴は、俺たち二人のあとをのんびりついてきた。
「――水着を買いましょう」
俺が真琴の奢ってくれたクレープをほおばっていると姉貴は言った。姉貴の提案はいつでも藪から棒だ。その上、拒否権はないときている。あと関係ないが、鼻の頭にクリームついてるぞ。
「あはは、千颯ねぇ、鼻の先にクリームついてるよー!」
真琴に指摘され、姉貴は恥ずかしがる素振りもなくクリームを拭った。ここで赤面でもすれば可愛げがあるのに、そういう恥じらいと無縁を貫くのが姉貴だ。
そして案の定というか、笑った真琴の鼻にもクリームがついていた。……俺はつけてないよな? 指先で鼻を触って確かめたところ、クリームはつかなかったので安心する。
「千冬ちゃん、口の周りについてるよ。……で、千颯さん。水着って女もの?」
「当たり前じゃない。士狼の水着を女三人で選ぶのが、何が楽しいの?」
「……ご尤もです」
紙フキンで俺の口の周りを拭こうと企てる真琴をいなしつつ、俺は姉貴の提案を反芻し、蒼白になった。――水着って、十中八九間違いなく、俺のものを購入する気だ。
水泳の授業もあるし、いずれ購入しなければいけないものだと承知はしていたが、こんな不意打ち気味でくるとはな。飛鷹学園の水泳の授業において、水着は露出さえ過多でなければ自由だ。そのためスクール水着を採用していないので、水着は各自で調達しなければならない。いいのか悪いのかわからんが、どちらにせよ、俺は女ものの水着を着用しなくてはならない運命にある。
だが待て。こう急じゃ、心の準備ができてないぞ。あと二日……いや、三日待ってくれれば、自分の気持ちと折り合いがつく気がする。そんな含意をこめた目線は、あろうことか無視された。
「じゃあ、行きましょうか」
抵抗する気力をなくした俺が、真琴に口の周りを丁寧に拭われるのを待って、姉貴は立ち上がった。
俺は更衣室の中、一着の水着を持って立ち尽くしていた。デジャヴだ。女になって初めての着替えのときを思い出す。あのときよりも羞恥の度合いは格段に上だが。
俺の手に握られた水着は、フリルのついたオレンジ色のビキニだ。自棄になって姉貴に選んでもらったら、これを持ってきた。恥ずかしくても自分で選ぶべきだったといま後悔している。
試しに、目の前で持ち上げて、布を広げてみる。
「……下着と変わらねえじゃん」
ビキニなので布は胸と腰のところにしかない。これを着て水泳の授業をうけるのは考え難いな。でも人に頼んで選んでもらいながら、試着もしないで棚に戻すのも失礼な気がする。
とりあえず試着だけして、感想を窺い、それから別のに変えるのが妥当だろう。……覚悟を決めるんだ、俺。あえて下着だと思って着替えれば、案外ためらいは少ないかもしれない。
善は急げ。決心がにぶらない内に、俺は制服の上着を脱いだ。日焼けとは無縁の、初雪のように白い肌に、白とピンクのレースのついたブラジャーがあらわになる。
あれ、そういえば水着の試着って全部脱ぐのか?
「お姉ちゃ――」
「あ、千冬ちゃん。どうしたの? 千颯さんなら真琴と一緒にあっちの服屋行ってるよ」
「……そうですか。ありがとうございます」
姉貴に聞こうと、更衣室のカーテンからひょっこり顔だけ出すとそこには士狼しか居なかった。姉貴め……どうすりゃいいんだ。
再度、更衣室にひっこんだ俺は頭をかかえた。ビキニのサイズ感なんかを確かめる。華奢な俺の身体に合わせてタイトで、下着の上から着用できるようなゆとりは、ない。結論はすぐに出た、脱ぐしかなさそうだ。
目をつむり、背面のブラジャーのフックを外す。肩から紐を外して、脱ぎ終えるまでの動作は、我ながら洗練されている。慣れるもんだな、人間って。
続いて問題のビキニだ。上は首の後ろと背中の後ろを紐で結ぶ仕様になっているので、そのようにする。下も、両端を紐で結ぶ仕様のようだ。……頼りないな。紐がほどけでもしたら、おしまいじゃないか。
スカートを履いたままパンツを脱いで、下も着用する。更衣室なので鏡があるわけだが、そこに映る俺の姿をみて久方ぶりに謂われない罪悪感に苛まれた。幼さの残る俺の外見のせいで、どこか犯罪臭がする。
――ともあれ、着れたぞ。鏡には顔を赤らめ、気恥ずかしさから伏し目がちな少女が映っていた。似合ってるのかな? 近頃は、前みたく自分の容姿を客観視して評価できなくなってきたからわからない。
まあどうせなら、せっかく着たので評価をいただきたいものである。士狼に訊いてみるか。案外、率直な感想をのべてくれるやもしれない。
「あの、士狼さん。水着、着てみたんですけど、感想をいただきたくて」
「――え? う、うん。わかった」
更衣室の前に居る士狼に一声かけ、俺はカーテンを開ける。士狼は、俺のビキニ姿を認めると目をぱちくりして、ごくりと生唾をのみこんだ。……あ、あれ? これ思いの外、恥ずかしいぞ……?
「千冬ちゃん……その、すごく似合ってるよ」
なぜか照れた仕草で、まるで結婚式で新婦にいうような台詞を口にする士狼。俺だけかもしれないが気まずい。羞恥のあまり顔が炎上しそうでもある。な、何か適当に話題を――
「あっ、あの。士狼さん」
「え、な、なに?」
「この前、助けていただいたときの、お礼、なんですけど……何がいいです、か?」
無理やり話題の転換を図って、俺はこの前のお礼について言及した。そしてしくじったのを直感した。お礼について求められた士狼は、顎に手をそえ逡巡する素振りをみせたのも束の間、俺をまっすぐ見つめ、
「――千冬ちゃん、俺……」
それを聞いてしまえば、きっと後戻りはできないのだと予感する。いまは親友の妹という立場である俺との、友達ごっこに終幕を告げるように士狼は――
そのとき、はらり、と。何かが落ちる感覚。同時に胸の辺りが、なにやら、すーすーとするような。俺は恐る恐る自分の身体をみて、紐のほどけたビキニが床に落ち、慎ましやかな胸を露出しているのを確認し、ただちに身体を抱いてうずくまった。
「………………み……みた…………?」
「……み、見てないよ」
「うそ! ぜったいみた!」
「ごめん、みたけど! みたけど、忘れるから! な、泣かないで!?」
見られた。よりにもよって士狼に見られた。絶対に、見られたくないやつだったのに。俺がうるうると涙を堪え、切ない表情で士狼を睨むと、あいつは慌てふためき下手に言い繕う。それを俺は感情まかせに追及する。
そんな稚拙な問答は、服を買い終えた姉貴と真琴が戻ってくるまでくり返された。結局その日、お礼の話は有耶無耶のままに終わった。