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IT'S SO EASY  作者:
5 - 16 AND LIFE .
24/44

絶望のプレリュード

 俺が女になってひと月以上が経ち、季節も初夏から本格的な夏に変わりはじめていた。


 毎年夏がくるたびに思うことだが、今年は例年よりも暑い。あと少しすれば蝉どものやかましい大合唱が聞こえてきそうである。うちは姉貴の意向でクーラーを七月半ばになるまでつけられないので、それまで扇風機で涼をとらざるを得ない。

 ……そういえば昔、蝉をしこたま捕まえて家の中に放したことがあったな。小学生の夏の思い出だ。珍しく夏風邪に伏していた姉貴に、蝉の鳴き声を聞かしてやりたい幼心だったのだが、本気で嫌がられ、のちにぶん殴られた。


 ――さて。

 肝心の俺の生活だが、夏が訪れても特筆するような変化はなかった。太陽の光が燦々と降りそそぐ中、姉貴と毎日一緒に登校するのも、士狼や真琴とたびたび遊ぶのも、櫻井や瀬野にときどき心配をかけるのも、……学校で男どもから、頻繁に告白されるのも。


 はれて俺が軽い男性恐怖症に陥ったので、一時より落ち着きをみせているが、それでもいまだに熱烈なモーションは続いている。狂気だ。唯一、正気を保った例外は、親友である士狼だけである。

 士狼は俺を守って上級生を叩きのめした一事から、女子には信頼あるいは憧憬をもって接され、一部の男子からは蛇蝎の如く嫌われた。その一部というのは、言うまでもなくあの上級生たちの一派だ。


 嫌うだけで何か危害を加えてくることはない、らしいが。俺が巻き込んでしまったのも同然なので、申し訳なくて仕方ない。それを伝えると士狼は、気に病む必要はないと言ってくれたが……何か、お返しだけでもしないとな。



 そんなこんなで、いまは数少ない安息を得られる休日の昼下がりである。

 一週間ぶりにおだやかな時間を満喫しようとしていた俺のもとに、それを許さぬように、自身のアイデンティティへゆさぶりをかける大事件が起こってしまった。



「……しんどい」


 俺は、扇風機の前でぐったり横になっていた。身体が冷えるのを心配してタオルケットをかぶせてくれた姉貴に、感謝の言葉も伝えられない程度に朝から体調のすぐれない俺は、いまも鉛を入れられたような下腹部の痛みに敗戦濃厚な戦いをくり広げていた。数日前から体調はくずしていたが、よもやここまで悪化するなんて。頭の片隅に、死ぬかもしれないなんて考えがよぎる。それくらい辛いのだ。


 そういえばなぜか姉貴は、俺の体調の悪化に心当たりがあるような様子だったな。俺の晩飯にだけ腐った食材でも使ったか? ――いや、さすがにそれはないか。姉貴にそんなことされたら、女性恐怖症も併発しそうだ。

 となると。流行りの夏風邪とか? まだその線の方が有力に思える。友人に同じ症状を患った人がいたなら、俺の体調やメンタルなどを推し量ったような対応にも納得がいく。


「ん……トイレ、いこ……」


 俺はふらふらと立ち上がり、壁に手をつきながらトイレへ向かった。



 いかに女の身体に慣れたといっても、トイレと風呂にだけはいっこうに慣れない。慣れたくもないので構わない。

 俺は便座に腰を下ろすと、目をつむり下腹部をさすりつつ用をすませる。無心で始末をして、水を流そうとすると――そこは一面、血の海と化していた。


「――――!!」


 言葉にならない悲鳴をあげ、俺は尻もちをつく。なっ、なな、なな何だ!? ホラーか? 呪いか? いやいやこの家に住んで長いが、こんな恐怖体験は初めてだ。となると、俺の身体から出た、もの……?

 それはそれでまずいだろ!? こ、こんな血が出て……やばい俺、助からないよ……余命いくばくもないに違いない。おしまいだ。俺は死ぬんだ。男にも戻れず、女の姿のまま死ぬんだ。

 ああ――姉ちゃん、お袋、親父。先立つ不幸をお許しください。そして親不孝者でごめんなさい。俺は、賽の河原で石積みしてきます。



 そうして俺の精神が彼岸へ旅立つ刹那、駆けつけた姉貴がトイレのドアを勢いよく開いた。そういえば俺、ドアの鍵を閉めてなかったな。


「……」


 姉貴は真剣な顔で、下半身裸で尻もちをつく俺を瞥見し、血の海と化した便器を見つめ――ため息をつくと、口を開いた。



「今夜はお赤飯ね」



 そう。それは月のもの――いわゆる、生理だったのだ。

 俺はその真相を聞いて、死に至ることはないと歓喜したのも束の間、精神的な死をむかえた。生理である。完全に女である。つまりそれは、想像するのも身の毛がよだつが、その、男と事をいたせば、子どもができてしまうのだ。俺はかつてない絶望を眼前に突き付けられた気分だった。


 あの後、姉貴が初めて聞くような優しい声音で生理用品の使い方などをレクチャーしてくれたが、右から左で一句たりとも頭に残らなかった。それで俺は、次の日の朝いろいろ後悔することになるが、あのときは茫然自失で記憶もおぼろげであり、無理もないんだと自分で自分を慰撫しておく。


 姉貴はその日の夜、追い打ちをかけるように本当に赤飯を炊いた。……こういうときは大抵なんの悪気もないので、俺の姉貴はなおタチが悪い。

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