help me i am in hell
瀬野に胸を揉まれた俺が、声を押し殺して泣きはじめたことで周囲は大慌てになった。
両手で顔を覆い、時折肩をふるわせてさめざめと泣く俺に、その場で正座させられ櫻井に説教をうける瀬野。名も知らない女子数人に「怖かったね、よしよし」と慰められ、しばらくして落ち着いた俺が、突然でびっくりしただけで瀬野に怒ってはいないと伝えると、感極まった様子で二人は抱きついてきた。いや……もともと俺が、胸を揉まれた程度で泣いたのがいけないんだ。あんなの、女子にしてみればスキンシップの一環だろうに。
しかし、どうして俺は泣いてしまったのだろう。男の時分もたいがい気の強い性格じゃなかったが、女になってからというもの一段と小心に、また涙もろくなってしまっている。
体育の授業はその騒動のせいで少し遅れてしまった。遅れた生徒全員に、グラウンド五周の罰が課せられた――とはいっても、グラウンド五周は大して過酷なものではない。ウォーミングアップで走る周回数より、二周ほど多いだけだ。
「……だ、大丈夫、千冬?」
「だっ……だい、じょ、ぶ……つ、疲れた、だけ……です、から……っ」
なのに、なんで俺は息も絶え絶えなのだろうか。走り終えるや瀬野に支えられ、俺は肩で息をする。この身体、ほかの女子とくらべても体力がなさすぎないか……?
陸上部の瀬野はもちろん、櫻井やほかの女子も疲れた素振りはない。俺だけ唯一、フルマラソンを完走したかのように疲労困憊を呈している。体力だけには自信があったのでショックだ。
体育の教科担任である中年の男性教諭の判断により、ひとまず体調不良ということされ、俺は見学に回された。今日の種目はソフトボールだった。
体育の授業はつつがなく終わり、再び制服に着替えて(さすがに身体を触られることはなくなった)、さあ放課後である。
今日は士狼と、もう一人の友人――真琴と一緒に、街の方に遊びにいく約束をしている。二人にいろいろ思うことはあるが、楽しみであるのは偽りない本心だ。
それなのに――
「に、二階堂さん! 好きです! 付き合ってください!!」
俺はいま自分の席の前でさんざん告白の口上を述べたあと、いきおいよく頭を下げた男子生徒を虚ろな目付きで眺めていた。
彼の後ろには、さらに二〇人ほどの男子が列を成している。……つまりその数、俺は告白され、残りすくない正気値を漸減させなければならないのだ。
頼りの櫻井と瀬野も、いまは傍観に回っている。こうなるに至った顛末は今日の朝、下駄箱に入っていた便箋を押収した姉貴がその後、便箋の贈り主をひとりずつ呼び出し、直接告白してふられたら潔く諦めることを脅迫の末に承諾させたことによる。
まあ、延々と恋文を贈られるよりかはいくらかマシなのか? どちらにしても、これがまさに地獄の苦行であるのに間違いはない。もはや新手の拷問である。
「ごめんなさい。私、病気がちですし、きっと迷惑をかけると思うので……諦めてください」
「い、いえ! 二階堂さんがどんなに体調をくずしてもつきそいます! 椅子になれと言われれば椅子になりますし、犬になれと言われれば――」
「いえ、あのだから……」
「お願いです! 僕と付き合ってください!!」
「ご、ごめんなさい……許してください……」
半泣きで身を庇うように手を突き出すと、その男子生徒は渋々ながら引き下がる。そしてまた一人また一人と矢継ぎ早に現れては、頭が痛くなるような告白を流暢に喋りはじめるのだ。
しかし、諦めが悪い。俺が丁寧に断りすぎているのもあるが、それにしても己のリビドーに愚直すぎる。ねぶるような視線に、欲望まみれの言葉の数々――いい加減、トラウマになってもおかしくない。
そもそも、男に言い寄られること自体が生理的に無理だ。俺は誓ってノーマルで、あっちの気は絶無なのだ。
朝の一幕から男がそばに居るだけでも結構な苦痛になるのに、それが目の前で告白してくる。うう……頭が痛い。早く終われ。でもキツイ口調で一刀のもとに斬り伏せるのは臆病者の俺には不可能だ。
小柄な身体を椅子の上でさらに縮こめて、俺はこの苦行におよそ三十分ちかく、耐え続けた。ようやく士狼たちと合流できる――誰も褒めてくれないので自分で言おう。偉いぞ、俺。