襲撃
絶叫というより、それは悲鳴だった。低い男の声で発したつもりだった絶叫は、可愛らしくも悲痛さを覚えさせる絶叫へ変わり、階下にいた唯一の家人を呼びよせる結果となってしまった。
「――シン! あんた、とうとう女の子を誘拐……でも……って、あれ? あなた、えっと、シンは?」
階段を踏み砕くような音にわずか遅れ、木製のドアを蹴破りあらわれた長身の女は、俺の姿を見るやその忌々しくも整った顔に困惑の色をうかべた。
この長身の女――腰まで届く黒髪に、容姿だけとればまさしく大和撫子といった美貌の女は、俺の姉で「千颯」という。
おしとやかそうな見た目と儚げな名前に反し、苛烈で容赦がなく、残忍きわまりない。おもに俺にだけ。
――以上、現実逃避終わり。
「ねえちゃん……」
扉のあるべき場所に立ち、老練した刑事のような眼差しを向けていた姉貴が、その一言でぴくりと眉をうごかした。
対する俺は、先ほど姉貴が蹴破ったドアが鼻先を掠めたことにより混乱から醒め、いくらかの冷静さを取り戻しつつある。
まずは、この凶暴きわまる我が姉弟に俺が「二階堂 心」その人であることを認識させなくてはならない。
さもなくば――命に関わる。これは経験則により明らかである。やばいのだ、姉貴は。物理的に。
「お、俺だよ。シン。あんたの弟。あ、あの急にこんな姿でびっくりしたろ? いや、俺もびっくりでさ、朝起きたらこんな……あの、姉ちゃん?」
わたわたと手を振りながら、自分自身わけがわからないと述懐をはじめる俺。自然と前に手を突きだしてしまうのは姉貴に対する恐怖心からだった。
いつもの対応――姉貴の気を落ち着ける茶飯事。それは俺が女となっていたことで予想外の方向へ作用した。
あまりに怯える様子が可哀想に映ったのだろう。ちらりと姉貴を窺うと、沈痛な面持ちで俺に歩み寄ってきていた。
「シンに脅されてるの? 大丈夫。心配しなくていいわ。私と一緒なら安心よ」
いや、ぜんぜん違う。恐怖の対象は他ならないお前だ。
そうも言えず、俺は頑なに首を横へふることしかできなかった。ダメだ。何としても誤解を解かなくては。どんどん立場が悪くなる一方だ。
俺が「二階堂 心」であると納得させる何かがなければ、姉貴を落ち着かせるのはおろか、現状把握もままならない。
そうだ、家族しか知り得ない情報を出せばいけるかもしれない。ひとつ、家族内で語られる姉貴の逸話がある。これなら――
「そういえば姉ちゃん、小学校のころ校長先生に――むぐっ!?」
と、本題に入りかけたところで姉貴の手が俺の頬をわし掴みにした。痛――くはないが、喋ることを封じられる。
恐る恐る姉貴と目を合わせると、先ほどまでの憐憫の眼差しから一転、冷徹に俺を観察しているようだった。
見つめ合い数分経ったところで、姉貴は信じられないといった様子で手を離し、ようやくいくらか平静を取り戻した素振りで口を開いた。
「……まさか本当にシン? なんで? え、あんた男だったじゃない。それとも何、もしかして性別を偽ってたとか――いやいや、それはないわよね。どういうこと?
ちゃんと話しなさい。じゃないとお姉ちゃん怒るわよ」
「も、もう怒ってんじゃ――むぐっ……ほ、ほれもわかんはいっへ(俺もわかんないって)」
再び口を開くことを阻害してくる姉貴の顔には、まだ疑念がうかんでいる。当然といえば当然だ。俺だって姉貴がいきなり筋骨隆々の大男になって「私は千颯だ」とかのたまったらぶん殴る自信がある。絶対返り討ちにあうだろうけどさ。
でも、これは紛うことない真実で、俺は女になっているんだ。俺自身、信じたくないが間違いない。
華奢な骨格に、肩まで伸びた黒髪、わずかに膨らんだ胸、鏡に映った――言いたくないが、驚くほど可愛らしい外見。どれも男の俺には当てはまらないが、俺はここにいる。それはたがえない真実だ。
「はあ……わかった……うん、うん。信じるわよ。とりあえず私が信じてあげないと、どうにもならないか……ほんとに、シンなのね?」
「……ああ。あんたの弟のシンだよ」
「あの生意気な男が、こんな可愛らしい子に……なんか、うん。私、もうそっちのが驚きだわ。はあ……どうしよ。お父さんに、お母さんは連絡とれないだろうから……学校のこともあるし、とりあえずお祖父様に相談しようか」
「えー、じい様に? やだなぁ……あ、いや、何でもないです、はい」
姉貴がため息まじりに考えだしたひとまずの処置は、現状もっとも頼りになる祖父に助けを求めることだった。俺としては正直、気乗りしないが。
――しかし、ああ、どうしような、俺。姉貴の強襲を退け、これからの方針を決めていかなければと思いながらも、俺は途方に暮れていた