たちの悪い伝染病?
放課後になった。
俺は部活へ向かう櫻井と瀬野に別れを告げて、通学用のかばんをとる。ちなみに櫻井は弓道部、瀬野は陸上部らしい。……櫻井はあの胸で弓を引けるのか?
帰宅部な俺はもちろんこのまま直帰だが、一人で帰らなければならない。姉貴も、放課後は生徒会の仕事があるのだ。思えば、この身体になってから姉貴のそばを離れ、一人で行動するのは初めてじゃないか。
「どこか寄り道してくか……?」
まず街に出かけることを考えるが、あそこはソロプレイ推奨の難易度ではないので却下。なら、校内を回ってみるか。もしかすると、友人に会えるかもしれない。
「あ、千冬ちゃん。どうしたの? いま帰るところ……って、なんでまたそっぽ向くのさ。まだ拗ねてるの?」
「ええ、いま帰るところです。あと拗ねてません、怒ってるんです」
――しかし会いたい友人はお前じゃないぞ、士狼。俺はまだ昼休みのことを忘れていない。機嫌をとるつもりで「シンに似ても似つかないくらいかわいいね」やら口走ったのは余計だったな。
俺が拗ねているのだと勝手に思いこんでいるようなので、それも訂正させてもらおう。唇をとがらして腕を組み、いまの俺にできる最大限の怒りをあらわして、横目で士狼をちらりと見る。
なぜか見惚れたような顔をしていた。俺はつられて背後を見るが、階段があるばかりで絶世の美女が立っているわけでもない。いや、もう歩き去ったのかも?
「どうしたんですか? 綺麗な人でも歩いてました?」
「え!? あ、いや……何でもないよ。うん。そういう顔もするんだな、と思ってびっくりしただけ……」
「? そうですか」
要領を得ない返答に首をかしげる。今日はどこの男もおかしいな。変な病気でも集団感染してるんじゃないか。
俺がくだらない想像を飛躍させていると、士狼は咳払いをひとつして話を変えてきた。どうも俺につきそう気らしい。まあ正直、断る理由はない。……率直にいえば嬉しい。
「校内をひと通りみて回ろうと思って」
「じゃあ、俺もご一緒していいかな? 案内するよ」
かくして士狼は俺の隣を陣取り、飛鷹学園の校舎の中を歩きながら頼んでもないのに解説しはじめた。
「――飛鷹学園の校風が、生徒の手による環境の自治なのは知ってるよね?」
「はい。パンフレットで読みました」
「なら想像もつくかもしれないけど、要は校内でわりと自由にできるってことなんだ。部活をつくるにしても面倒な手続きをふむ必要はなくて、空き教室を確保して、部活をつくったことを申告するだけでいい。
だから飛鷹に登録されている部活は、その活動が形骸化しているものも含めると百をゆうに超えてくる。すごいでしょ?」
「すごいですね」
お前はすごくないけどな。何で自慢げなんだよ。
しいて言えば、相変わらずペラペラよく喋る口だと感心するくらいである。姉貴のつけた「狂言師」というアダ名にこれほど同意できる日がくるとはね。
「そんなわけで多数の部活があるんだけど、そうなると当然、部活間でのいさかいや善からぬ活動をはじめるやつもいる。そんなときこれを取り締まるのが――そう、あの千颯さんも所属している“生徒会”だね。
生徒会は飛鷹学園において絶大な権力を持っている。それこそ警察権力さながらに。きみのお姉ちゃん、すごいんだよ」
「すごいんでしょうね」
そんなの百も承知だ。不正を行った者を徹底的に糾弾する姿から「女帝」と呼ばれているのも。そして、それに姉貴がまんざらでもないのも知ってるぞ。奴は生粋の独裁者気質だからな。
「まあそこら辺のいざこざや逸話は語っていくとキリがないから――あ、ついたついた。ここが、学食。で、あっちにあるのが購買部の店舗」
士狼の語りの大部分を右から左へ聞き流している内に、学食についた。このフロアだけ写真を撮って知らない人に見せたら、ファミレスと思われること必至の綺麗な内装だ。
購買部の店舗も少し離れた場所にある。購買“部”である。もちろんそこも、生徒による運営だ。そのため供給が安定しておらず、また日によって悶絶するほどまずい食べ物も売られている。
生徒が食品を売るのが、果たして法律的に許されるのかはなはだ疑問であるが、今のところ大丈夫なので、大丈夫なんだろう。
「で購買“部”っていうのが――」
俺が頭の中で思いかえしたここの概要を語りだした士狼に、とりあえず冷たい目を向けておく。
帰り道。俺の手には購買部で買ったアイスクリームが握られていた。
あの後、冷たい目で見ていたら士狼が奢ってくれたのだ。どうもああいう目付きに、こいつは苦手意識があるらしい。心当たりは大いにある。姉貴だ。
士狼と俺は子どものころからのつきあいで、姉貴ともよく遊んでいた。そのせいだ。……虐げられる者の気持ちを共有できるのは、お前だけだよ。
「いろいろありがとうございました」
「いいよ。俺もシンや……千颯さんに、お世話になってるから。明日になれば真琴も補習が終わるだろうし、街に遊びにいくのもいいかもね」
姉貴の名前を出すとき、明らかに逡巡したが追及しないでおく。家に着くまでの間、俺と士狼はとりとめもない話しかしなかったが――その間は、俺は自分が女になっていることを忘れられた。