親愛なる人へ
櫻井に言われ、中庭へ移った俺と士狼は、中央に立った桜の木の根本にどちらともなく腰をおろした。
飛鷹学園は、購買や学食などの校内の施設が充実しているので、わざわざ屋外で昼食を摂るやつは少ない。そんなわけで、いまこの中庭にある人影は俺たち二人のものだけだ。
わずらわしい喧騒から一歩離れたこの場所を気に入った男のときの俺は、士狼ともう一人の友人に声をかけ、ここを大抵のたまり場にしていた。
「……そういえば、真琴さんは今日はいらっしゃらないんですか?」
「真琴? 真琴のこともシンから聞いてるんだ。……あいつはたぶん、バカだから補習でもうけてるんじゃないかな。シンはあいつのこと、何て言ってた?」
「ええっと……元気で活発で、よく喋る子で、あまり深く物事を考えない人だって言っていたような」
「だいぶオブラートに包んだ表現だな……」
ここに居ない友人のことを訊ねると、士狼は苦笑しながら答えた。その気持ちは大いにわかるぞ、あいつは本当のバカだからな。俺の姉貴のお墨付きだ。
……しかし、また補習をうけているのか。数少ない友人の中でまず一番に対面するのはあいつだと思っていたが、それでようやく得心がいった。
俺が膝の上で弁当箱の包みを開けると、士狼も制服のブレザーのポケットから購買部手製の惣菜パンをとり出して、もそもそと食べはじめる。
「千冬ちゃん、そんな量で足りるの?」
「これで十分に満腹になるんです……」
俺の弁当箱の中身を覗いた士狼は目を丸くして言う。なんせ俺の弁当箱は二段でこそあるが、手のひらに収まるコンパクトサイズだ。無理もない。
それより何気なく、士狼は俺を「千冬ちゃん」と呼ぶことにしたらしい。まあ確かに俺の家族と面識もあるのに「二階堂さん」じゃよそよそしいが、一抹の寂しさみたいなものを覚えるぞ。
士狼は惣菜パンのひとつを平らげると、短く刈られた芝生の上で居住まいを正した。俺はちまちまと箸をすすめながら、その嫌味なく整った横顔を見やる。
「――シンは留学するとき、俺に何か言ってた?」
急に真剣味を帯びた声に、ぞくりとした。長いつきあいだから、それだけで士狼の真意がわかる。こいつは何も告げず、唐突に居なくなった俺に怒っているんだ。
しかしその質問は、つまり俺に別れの言葉を求めているのと同義で――
「…………いえ、何も」
親友に告げる別れの言葉など思いつかない俺は、かぶりを振ってそう返事をする。俺はいま複雑な身空だし、適切な言葉なんてわからない。
やむを得ない事情はあれど、親友を騙している事実に胸がじくりと痛む。それさえも、いまの俺が呈するのは許されないことで。
――これならいっそ、俺が「二階堂 心」その人であると明かしてしまった方が楽かもしれない。ふつうに考えて信用されないだろうが、でも、あるいは士狼なら。
「そうか……いや、別に怒ってるわけじゃないんだけどね。でも、何か一言残してくれていってもよかったのにな。俺はあいつを親友だと思ってたけど、そうじゃなかったのかな……」
「――ち、違う……んじゃ、ないでしょうか」
そして士狼の独白めいた呟きに、俺は反駁してしまった。ただ正体を明かす勇気はまだなくて、口調はとり繕ってしまうが、でも語る言葉はにごりない本心だ。
「お兄ちゃんは同じように士狼さんのことを親友だと思っていた、はずですし、きっと必ず、連絡があります。だから……」
「士狼、さんも……お兄ちゃんを、信じてください」
語る内に胸がいっぱいになって、最後の方に至っては哀願にちかい。女になってからいやに涙腺が弱くなっていて、俺はまた目に溢れんばかりの涙を湛えている。
士狼はそんな俺の言葉に耳を澄ますと、そっと頭を撫でてきた。男に頭を撫でられるなんて気色悪いはずなのに、不思議と心地いい。おかしい、俺はノーマルなはずだけどな。
「ありがとう。そうか……俺があいつのこと信じてあげないと、誰もあいつのこと信じてやれないよな」
……おい、それどういう意味だよ。胸にまでさしかかった感激がさっと遠のき、俺は士狼が頭にのせた手を振り払うと、そっぽを向いて弁当を食べはじめた。
「――あ、あれ? 千冬ちゃん? どうしたの? 俺、何かまずいことした?」
「……何でもないです」
ヘソを曲げた俺のご機嫌をとろうとする士狼を、昼休みが終わるまでの間ことごとく袖にしつづけて、いくらか溜飲を下げたが――くそっ、俺の感激を返せっ!