儚げな少女
私立飛鷹学園は、昨日俺と姉貴が出かけた街のほど近い場所にある。
自由な校風で、生徒の手による環境の自治をモットーにしているため、何をするのも大概許されるところだ。決して無秩序という意味ではないぞ。
それなりに偏差値も高いが、自由な高校生活を夢見て、あとは立地のよさ、制服のデザイン性の高さからここを目指す学生は毎年多い。
「遅いわよ。急ぎなさい、千冬」
「急いでるよ、ねえちゃ……お姉ちゃんが、早いんです」
姉貴に急かされながら、俺はその私立飛鷹学園に向かっている。かわいいと評判の制服である、青を基調としたセーラー服をまとった姿で。
この小さい身体は歩幅がとれず、長身の姉貴についていくのがやっとだ。しかも制服のスカートの下は布切れ一枚なので、心許なくて歩くのにも慎重になってしまう。
そして不躾な視線はいまだに怖いので、俺は姉貴の上着の裾を握って、その背中にかくれさせてもらっている。
「……心配だわ……」
心の底から悩ましそうな姉貴の呟きは一陣の風にかき消され、俺の耳まで届かない。
俺のミディアムヘアの黒髪は「活発にみえるから」との理由で姉貴が束ねてくれず、風が吹くたびになびいて、正直うっとうしかった。
「……」
抑圧された静寂の気配をただよわせる教室のドアの前に立った俺は、胸に掌をあて大げさな仕草で深呼吸をする。
職員室で最後の細かい手続きを終えて姉貴と別れた俺は、男のときと同じ担任に案内され、自分のクラスの前までやってきていた。
これもじい様の配慮なのかね。ありがたい反面、女の自分を繕うのが大変になる気もする。まあボロを出すほど仲のいい友人なんて、ほとんど居ないけど……
いかんいかん。ひと月前の入学式の日、俺が真面目に自己紹介をしたときの教室の凍った空気を思い出してしまった。あれはトラウマである。無心になれ、俺。
胸の中で無心と唱え続けることで煩悶を押しつぶす力技は、ここ二日でもはや一種の特技と呼べるものになっていた。
「――――では、二階堂さん、入ってきてください」
――ついに、きた。
若い女の担任の声にしたがい俺は教室へ繋がる引き扉に手をかけ、もう一度だけ深呼吸をすると、ゆっくり扉を開いた。
注目されるのに耐性のない俺は一点に視線をうけ怯むが、心の中で自分を叱咤して壇上まで歩んでいく。
だが次第に、クラスメイトがざわつきはじめた。――な、何だ? どうした? なにか俺、おかしなことでもしたのか? 歩き方ひとつにしても気を張って、しとやかさを意識していたんだが、それが慣れない素振りで不格好に映ったとか? そうだとすると変に思われたかも。ど、どうしよう。第一印象ですべては決まるといって過言でないのに。
壇上に立って、クラスメイトが一同に着席する光景を望んだところで、俺はもう限界だった。いろいろ構想を練り、元気よく挨拶をしてクラスメイトと仲良くなるつもりだったのに――
「……に、二階堂……千冬です。よっ……よろしくおねがいします…………」
俺はその場でうずくまりたい衝動を堪えて、俯きがちに、か細く消え入りそうな声量で、短く挨拶するのに精一杯だった。
羞恥で顔が耳まで赤いのがわかるし、視界が滲んでいるから目が潤んでいるのも確実で、情けないやつと認識されること請け合いだ。
そんな俺の様子をみてクラスメイトが息をのんだのがわかる。はあ……俺は女になっても周囲から一定の距離を置かれるのか。それを考えるとひたすら落ち込んでしまう。
ふと前の席の顔を赤くした男子生徒と目が合うが、すごい勢いでそらされた。俺はやはり、おかしなやつと思われたのだろう。
「二階堂さんは海外に留学した心くんの妹で、少し前までは遠方で療養されていたそうよ。みんな、仲良くしてあげてね」
担任のフォローも耳に入らず、俺はぽつんと空いた席――男のころの俺が座っていた席を案内されると、そのまま暗澹とした心境で腰をおろした。
……ほら、みんな俺をさしてぼそぼそ言っている。目が合うたびにそらすし。しかし、この教室は暑いのか? 男なんかほぼ一様に顔を赤くしてるが。俺は快適だが、女だから冷え性なのかもしれない。
しようもないことを考える裏腹、俺はどうしようもなく落ち込んでいて、一限目の授業の内容なんてこれっぽっちも記憶できなかった。