破月.10
〈聞こえるな?〉
少女の声が頭に響く。
「え? …あ、あぁ」
こくんと頷くが、あからさまな溜息で返された。
〈…避けろ〉
「へ?」
瞬間、俺の首めがけて放たれる斬撃。寸でのところで回避するが、斬り返しの二撃目を避ける自信は無い!
〈任せろ!!〉
ガキンッ! と、鋼と鋼がぶつかる。俺の意思とは関係なく動いた右腕は、一本を腕部についたシールドで、もう一本は人差し指と中指で白刃取りをして防いだ。
(いつの間に三撃目を放ったんだ!?)
既に相手の動きに翻弄されつつあった俺は、早くも腰が抜けてしまいそうだった。それに気がついたのか、アガートラーム(ということにしておく)は二本の剣を振り払い相手もろとも投げ飛ばした。
〈しっかりせんか! 腰など抜かしおって〉
「す、すんません…」
右腕に謝る俺。ゆっくりと立ち上がるが、相手の方はもうこちらに向かって歩き出していた。
「…で。どうするんだ?」
相手から目を離さずに問いかける。ボクシング選手みたいに構えてみるものの、ステップを踏むだけで疲れがおそってきた。
〈汝、もしや格闘技の心得が無いのか?〉
御名答。自慢じゃないが、個人競技は卓球とバドミントンしかやったことが無い。沈黙する俺にまた溜息をついて、アガートラームは呟いた。
〈まったく。お前らは本当に兄弟なのだな…〉
ポツリと、少し寂しい響きを感じたが、それも一瞬のことだった。
〈仕方ない。…今からオマエに武術を叩き込む!〉
は? と言い返そうとしたとき、今度は右手に襟首を掴まれ、思いきり引っ張られる。またしても振るわれる斬撃。右腕に引っ張られながら回避する俺。何度も転びそうになるが、その度に襲ってくる刃と、切らせまいと引っ張る右手のおかげで何とか生き延びている。
「な、んで」
昨日みたいな反応が出来なくなっているんだ? と、思った。するとアガートラームがそんな事もわからないのか? ときりだしてきた。
〈簡単なことだ。我を受け入れたように、“それ”も受け入れればよい〉
受け入れる。俺はその言葉に、物凄い躊躇いがあった。最初のときに感じた異物感、禍々しく蠢く赤と黒。傷口から侵食してくるような感触。
「……」
〈……〉
思い出しただけで吐き気が襲ってきた。同時に、昨日感じた力への愉悦感。ドクンと、今度は左腕が脈打つ。
〈呑まれてどうする!〉
その声で再び我に返る。まったく異なるタイミングで脈打つ三つの鼓動は、それだけでもあまり心地いいものではなかった。
〈…よし。では、オマエの左腕は無い〉
と、襟首を右へ左へ引っ張りながら語りかけてきた。何を言ってるんだ? と聞き返そうとしたが、黙って聞けと一喝されてしまう。
〈まず、目を閉じろ〉
「……」
言われるままに目を閉じる。動きは引っ張られるままに、バランスだけは崩さなかった。
〈では、お前の腕は“ある”〉
「?」
俺はワケがわからなかったが、言われたとおり両手がある自分を想像する。
〈よし。目を開けろ〉
「……あ」
と、間抜けな声を上げてしまう。というのも、左腕が“戻っている”のだ。
「すごい! 治ってる!」
〈……では、今度はもう一度、落ち着いてさっきの腕を思い浮かべろ。ただし、“自分の腕がある事”を忘れるな〉
「……よくわからないぞ?」
〈むぅ……では、自分の腕を変形させる。と考えてみよ〉
あまり乗り気ではないが、しょうがない。“自分の腕”を“さっきの形”に変える。
――「「ドクンッ!!」」
重なる二つの鼓動。侵食される、いや。侵食するのは“俺の”神経。その隅々まで、俺の支配下にする。襲ってくる衝動は無い。恐れも無い。なぜなら、その腕はもう――
「俺の腕だッ!!」
高速で振り下ろされる刃を砕く。身の危険を察知したのか、相手は屋上の端まで跳躍した。それと同時に俺を取り囲むように顕現した剣は、霧散させた血液を操り超高速で叩きつけることで薙ぎ払う!!
〈まったく…手のかかる奴だな〉
これでやっと本題に入れる。と、そういってアガートラームは動きを俺に預けた。
〈避けながらでよい、落ち着いて最後まで聞くのだぞ?〉
言い回しに少々不安を抱いたが、とりあえず了承した。
〈では、あの娘を食え〉
なんかもう、色々とぶっ飛んだ発言だ。驚きのあまり反応が遅れる。右足と片を刃がかすめていった。
「なっ!? ど、どういう意味だッ!?」
〈どうもこうも。一般には口から入れ、胃袋へ落とし込み、各消化器官を経て、養分を体内に蓄積するという意味だ。……汝、何か良からぬことを想像したな?〉
「……思春期だからな」
と、ある程度距離をおくと攻撃は止んだ。改めてアガートラームに質問する。
「で、あの殺人鬼をどうやって食うんだ?」
〈あ、いやいや。そっちではなくてあっちだ〉
スッと勝手に右腕がある方向を指差す。そして、その方向にいたのは――
「せ、先輩を!?」
もう意識が無いのか、ぐったりと壁に寄りかかったまま微動だにしない。生きていることは確認したが、それでも危険な状況なのは変わらない。
「馬鹿言うな!! ただでさえ危険なのに、貶めてどうする!?」
〈だから最後まで聞けと言うとろうが!〉
顔面をつままれる、というかアイアンクロウだった。
〈“食う”と言うのは少し大袈裟だったな。血液を、少しでよいから飲んでみろ〉
だったら最初からそう言ってほしかったが、曰く“食った方が”効果があるらしい。
「ったく。何の効果だよ」
〈なぁに。騙されたと思って、ほれ、ほ〜れ〉
ヌチャ…といやな感触がしたが、構わず右手は俺の口に運ぼうとする。先輩に小さい声で謝った後、意を決して飲み込む。
――ゴク…ン。
「――ッ!!」
体中の血が滾る。力とは違う、意志の強さが満ちていく!
「うああああああああああああッ!!!」
流れ込んでくる先輩の記憶。いや、思考そのものが俺と同一化していく感覚。構え、受身、そして奥儀でさえも、俺の物になっていく。“先輩が体得した全て”を一瞬で俺の物にする。
(……本当に…ゴメンナサイ…)
そうだ、これほどまでの強さに至るまで、先輩は血の滲むような努力をしていたんだ。その記憶ですら、俺は共有してしまった。それはとてつもない無礼で、許されるような事ではないと思った。だから謝る。そして…
「…ありがとう…ございます…」
横たわる先輩は、相変わらず苦しそうにしている。俺は一つ礼をして、もう一度相手に向き直った。
〈さぁ! 最後の仕上げと行こうではないか!〉
頭の中に響く声は、意気揚々と話してきた。それがなんだか子供っぽくて、少し笑ってしまう。
〈? なんだ?〉
「何でも無いさ」
変な奴めと言いながら、また俺に身を預けてきた。
そして、俺は構えをとる。
右の掌は肩の高さまで上げ、突き出す。左は拳を作り脇を締め、構える。進行方向より後ろにある左足には、常にバネを効かせておく。重心は常に垂直。眼は、相手以外を認識しない。今度は隙無く、五感すべてを集中させよう。
――さあ、これからが本番だ――
そして、この狂った夜の中、俺の運命が動き出したのだと知った。