破月.08
私は“また”本気になれていなかったのだろうか? 武器を手にした相手を前にして、またくだらない言い訳を自分に言い聞かせていたのだろうか? この結果を見てもあの人は、また優しく笑ってくれるのだろうか? 「精一杯やった」と言えば、頭を撫でてくれるのだろうか…
…私は、本気になれましたか?
…教えてください、トーマさん…
―Blood*Beat―
「よっと!」
学校の正門を乗り越える。裏口から行こうかとも迷ったけど、どうせ誰もいないなら近い方がいい。ふと、着地したときに自分の影がある事に気付く。
「…あぁ」
満月だった。曇っていく空の中、月の周りだけが晴れている。遮るものの無い月光は、昼の明るさよりも清らかな印象を受けた。綺麗だと思った反面、少し気分が悪くなった気がした。…何か、大切な事を忘れてしまっている気がする。
「何が…あった?」
どんどん時間をさかのぼっていく。夜中に出かけた覚えは、ここ最近に限っては無い。なら、気のせいだろうか? いや、そんな筈は…
「…雲行きが怪しいな」
ふと見上げると、少しだけ雲が厚くなっていた。あと五分もすれば降り始めてしまうだろう。いったん考えるのを止め、俺は目的の鞄を探すために、校庭へ向かって歩き出した。
「とりあえず、用を済ませるか」
校庭に残った自分の上半身の跡をたどる。見れば見るほど間抜けなそれは、我が人生のうちで三本指くらいに入るできだった。
(誰かに見られたら恥ずかしくて死ねるな…)
顔の部分だけを蹴り、自分だと判明しないようにする。校庭の真ん中辺りに来たところだった。
「お?」
あった。丁度、ルカ達が走り始めた辺りなのか、引き摺られていた跡がYの字に切り替わっているさかいめだった。拾い上げると、見事に砂埃にまみれている。…中身は大丈夫だろうか…
――ガゴオォォンッ!!!!
「〜ッ!? なんだッ!?」
鞄を開けようとした矢先のことだった。大気が震えるかのような轟音。まるで、雷が至近距離に落ちたみたいだった。ポツリポツリと雨粒が降り始める。俺は何が起こったのか分からず辺りを見渡した。
視界を遮るような閃光が無いあたり、雷が落ちていないのは確かだった。でも、あの音はけっして穏やかなものではない事は嫌でも分かる。
(…この音、昔も聞いたことがあるぞ!?)
そう、あれは確か“空手の大会の日”。兄さんの試合の時だ。
「畜生ッ! 何だってんだよ!」
辺りをくまなく見渡す。と、屋上の方に粉塵が立ち込めているのが見えた。俺は迷うことなく、校舎に忍び込む事にした。
―Blood*Beat―
その一撃は、私の全身全霊を賭けたものだった。今まで一度も納得のいくものが放てなかったが、今回のは自己最高の出来だった。
「…っぁ」
力なく、膝が折れた。右腕は一つ多く関節を作り、ただ肩からぶら下がっている。もう、一歩も動けなかった。血が流れ出ているのに気付く。体温が下がっているのか、肌に当たる雨すらも暖かく感じた。
少女と私の間には、まるで境界線を引くように“刃の壁”が出来ていた。もちろん、私はそれすらも貫くつもりで絶掌を放ったのだが、所詮は“対人”の技。化け物にかなう道理が無かった。
(…自惚れすぎてたなぁ…)
溜息と共に、少しの血と、笑いがもれた。そして、硝子が割れるような音をたてて、その壁は崩れていく。
「……」
彼女は、まだ私を睨みつけているのだろうか。俯いたままの姿勢では、それすら確認できなかった。制服に、雨と血液がしみ込んで重くなっていく。その重さすら支えられないほど、私は弱っていたのだろう。もう…意識すら…たもて……
―Blood*Beat―
「はぁッ!はぁッ!」
階段を三段飛ばしで駆け上がる。屋上まではそう遠くない! 鼓動を早める心臓が、ドクンドクンと耳障りな音をたてるが、気にしてはいられないほどに嫌な予感がした。
「兄さんッ!!」
思わずそんな事を口走ってしまったが、かまっていられる状況でないことがわかった。
「…た、つき…」
血だらけで横たわる桜井先輩。そして……
「…ぅあ…」
自分でも間抜けだと思える声を出してしまう。
その少女を見た瞬間、心臓が破裂するかと思った。“昨日の夜の記憶”が蘇ってくる。
切断された左腕。むせ返るような血の臭い。今思い返せば、吐き気すら感じる衝動、殺意、負の感情。
そして……
――恐怖。
「うあアぁ亜あAアッ!!」
ボコッ。と音をたて、左腕が“沸騰”していくのが分かった。雨が当たる度にそれを蒸発させ、赤黒く変色した左腕は、禍々しい“バケモノの腕”と化していた。
降り始めた雨は、容赦なくその勢いを増していった。もう、後戻りできないところまで来てしまったのかもしれない。そう、思わざるをえなかった。