ハンバーグの中の故郷
湯気とともに立ち上るデミグラスソースの匂いは、容赦なく俺を三十年前の少年だった頃の、あの冬に引き戻す。
場違いなほど洗練された洋食屋の片隅で、中年に成り下がった俺はハンバーグにナイフを入れた。肉汁が溢れ、濃厚な茶色のソースと混ざり合う。口に運ぶ。美味い、と思うと同時に、胸の奥がチリついた。
三十年前、俺の故郷のある貧しい村に、ひとりの風変わりな男が流れ着いた。
男は異世界からの転移者だった。
何もない空間から、見たこともない異国の食料を取り出す妙な魔法を使う男だった。
ただし、それには「無償の労働」という奇妙な対価が必要らしく、男は村の空き家に住み着くと、村の周りの魔獣を熱心に無償で狩り尽くした。
そして夕べには、男の家から嗅いだこともない美味そうな香りが辺りに漂い、異国の楽器のさみしげな音色が静かな夜をさまよっていた。
娯楽のない退屈な僻地だ。刺激に飢えた村の娘たちが、夜な夜な男の家へ通い詰めるのに時間はかからなかった。
異国の煙草の煙が燻る部屋で、聴いたこともない音楽が流れ、見たこともない缶詰や菓子や料理が振る舞われる。
娘たちはたちまち男に夢中になり、やがてそれは醜い奪い合いへと発展した。
俺の姉も、その一人だった。
姉が戦利品のように持ち帰る見たこともない果物やチョコレートに異世界の話。俺もまた、浅ましく目を輝かせていたものだ。
だが、村の男たちの目は冷ややかだった。
得体の知れない力への恐怖。若い女たちを総なめにされた嫉妬。
魔獣が狩り尽くされ、村に安全が戻ると、風変わりな男の居場所は村娘の胸の上しかなかった。
「いつあいつの頭にクワを叩き込んでやるか」
酒場で男たちが物騒な声を上げ始めた頃、異世界の男はそれを察したように、荷物をまとめた。
旅立ちの朝、娘たちは全員が激しく泣いた。全員が男に振られたのだと知ったのは、ずっと後のことだ。誰もが村から自分だけは連れ出してもらえると思い込んでいたのだ。
少年だった俺も泣いた。美味い菓子をくれる都合のいい存在がいなくなるのが寂しかった。
異世界の男は、ただ苦笑いを浮かべていた。
「温かいもてなしへの感謝と。……村を騒がせたお詫びに」
男が去った空き家の扉を開けると、床一面に、大量の小麦粉の袋と、見たこともない果物、缶詰、酒、ハム、ソーセージが整然と並んでいた。
村の男たちは悪態をつきながらも、その食料を貪り、結果として誰一人欠けることなく冷酷な冬を越した。
ただ、ひとつだけ、誰も手をつけず、地中深くへ埋められた缶詰があった。
開けた缶詰から顔を出したそれは、じっとりと黒ずんだ茶色い肉の団子だった。
匂いは村を襲ったコボルトの糞に似ており、形も不気味だった。
「あのスカした野郎、最後に俺たちには糞が似合いだと内心馬鹿にしてやがったんだ!」
村の男たちは吐き捨て、それをシャベルで土の底へ沈めた。それが「デミグラスハンバーグ」という料理だと知る者は、当時の村には誰もいなかった。
男たちの歪んだプライドと無知が、美味しいハンバーグを埋葬させた。
あれから数年後、村は再び現れたモンスターの群れに蹂躙され、完全に崩壊した。
住人は散り散りになり、あの狭隘で、嫉妬と飢えに満ちていた故郷は消えたのだ。
◇
俺は静かにハンバーグを咀嚼する。
鼻に抜ける香りは、確かにあの頃嗅いだ、忌まわしいコボルトの糞の記憶をかすめさせる。
だが、舌の上に広がるのは、圧倒的な肉の旨味と、ほろ苦いソースのコク。
あの男への狂おしいほどの嫉妬。姉たちの愚かな恋心。大人たちの醜い警戒心。そして、それらをすべて包み込んで、せめてもの免罪符として置いていかれた、茶色い塊。
美味さと、苦さと、少しの泥臭さ。
俺にとって、あの忌々しくも愛おしい故郷は、もうこの皿の上にしか残っていなかった。




