第一話 「測定」
測定室は白かった。
壁も天井も床も、全部同じ白。
窓がない。
蛍光灯の光だけが均一に落ちていて、影がどこにもできない。
黒峰壱はパイプ椅子に座って正面の機械を眺めていた。
冷蔵庫ほどの大きさの金属の箱で前面に画面が一枚、脇にコードが何本か伸びている。
技術者が二人、その前で操作していた。
壱は特に何も考えていなかった。
今日は測定の日だ。
高校入学から一週間以内に受けなければならない義務検査。
影響予測機による数値の確定。
それだけだ。
終わったら昼飯を食おうと思っていた。
「黒峰壱。測定開始します」
技術者の一人が告げた。
壱は「はい」とだけ答えた。
右手首の内側にセンサーを当てられる。
冷たい。
それだけだ。
機械が低い音を立て始めた。
最初の数秒何も起きなかった。
次の瞬間画面に文字が浮かんだ。
ERROR
技術者が顔を上げる。
もう一人が画面を確認する。
二人が目を合わせた。
「……もう一度」
センサーを当て直す。
機械が再び動き出す。
ERROR
沈黙。
「機械の不具合か?」
「確認します」
技術者が機械を点検する。
コードを確認する。
設定を見直す。
問題は見当たらない。
三度目の測定。
ERROR
室内の空気が変わった。
技術者の一人が、画面を食い入るように見ている。
ERRORコードの横に小さな文字が並んでいた。
壱からは読めない距離だったが技術者の顔色が変わったのは見えた。
もう一人が立ち上がった。
「……少し待っていてください」
廊下に出る足音。
扉が閉まる。
壱は椅子に座ったまま天井を見た。
白い。
影がない。
その時、蛍光灯が一瞬消えた。
一秒にも満たない暗転。
すぐに戻る。
残っていた技術者が「すみません、少々……」と言いながら画面から目を離さない。
壱は特に気にしなかった。
古い設備なんだろうと思った。
五分後、廊下から足音が戻ってきた。
担当官だけではなかった。
知らない顔の男が二人いた。
スーツ。
胸に小さなバッジ。
壱には見覚えがない種類のバッジだった。
男たちは壱を見た。
壱は男たちを見た。
「黒峰壱くん」
バッジの男が言った。
声が低い。
「少し話を聞かせてもらえますか」
壱は欠伸をした。
「終わりましたか、測定」
「……終わりました」
「じゃあ、昼飯食っていいですか」
男が固まった。
──
翌朝、学院に見知らぬ人間がいた。
壱が教室に入ろうとした瞬間廊下で声をかけられた。
「黒峰壱くんですね」
振り返る。
女だった。
同年代か少し上か判断が難しい。
黒のジャケット白いシャツ。
胸に昨日見たのと同じバッジ。
髪は束ねていて、目つきが鋭い。
隙がないという言葉が似合う立ち方をしていた。
「国家特務局のアリスといいます。少しよろしいですか」
壱は立ち止まった。
「特務局」という単語は知っている。
影響度の高い人間を「管理」する組織だ。
「何の用ですか」
「昨日の測定についてです。あなたの影響度は、現在記録された中で最高値を超えています」
「ERRORだったんで、数値はないんじゃないですか」
「ERRORの意味はご存知ですか。測定不能ではありません。測定上限値の超過です。つまり──」
「機械が対応できない値だった、ということですね」
アリスが一瞬止まった。
壱が先に言ったからだ。
「そうです」
「それで」
「あなたの能力は、国家にとって非常に有用です。特務局の戦力として、国のために働いていただきたい」
壱は三秒考えた。
「嫌です」
「……は?」
「めんどくさい」
アリスの表情が止まった。
脅しの言葉を準備していた。
懐柔の言葉も。
条件提示の言葉も。
だがそのどれを使う前に会話が終わっていた。
「……国の要請を断ると、それなりの対応がありますが」
「そうですか」
アリスが何かを言おうとして、止まった。
壱はすでに廊下を歩き始めていた。
──
昼休み、壱は食堂でうどんを食っていた。
向かいに誰かが座った。
顔を上げる。
知らない女子だった。
「同じクラスの橘ユイ。よろしく」
いきなりだった。
壱は麺をすすりながら「どうも」と返した。
「さっき廊下で特務局の人と話してたでしょ。見てた」
「そうですか」
「影響度いくつだったの」
「ERRORだったらしい」
「へえ」
ユイは驚かなかった。
感心もしなかった。
「へえ」の一言で終わらせた。
壱は少し意外に思った。
昨日から周囲の大人はERRORという単語に過剰に反応している。この女子は違う。
「あなたは?」
「12」
「低いですね」
「うん。でも別に気にしてない」
壱はうどんを食い終えた。
ユイはパンを食いながら窓の外を見ていた。
二人の間に何も言わない時間が数分続いた。
「あなたって、なんか変だよね」
突然ユイが言った。
「そうかもしれない」
「特務局に話しかけられて、あんな顔してる人、初めて見た」
「どんな顔ですか」
「……どうでもよさそうな顔」
壱は少し考えた。
「どうでもいいわけじゃないですよ。ただ、今一番気になってることが別にある」
「何が気になってるの」
「自分が何者かっていうことです」
ユイが壱を見た。
壱は窓の外を見ていた。
空が青い。
普通の青さだ。
「……変な人」
「そうかもしれない」
──
放課後、壱は一人で街を歩いた。
学院からまっすぐ南に向かう。
目的はない。
ただ歩きたかった。
住宅街を抜け、商店街を抜け、街の外れへ。
建物がまばらになる。
舗装が荒れ始める。
その時、眠くなった。
唐突に。
理由なく。
重力が増したような眠気だった。
目が閉じそうになる。
壱は立ち止まった。
止まると、眠気が消えた。
また歩くと、戻った。
壱はその場に立ってしばらく考えた。
疲れているわけではない。
睡眠は十分取っている。
昨日も、一昨日も、ずっと。
そういえば──夢を見た記憶がない。
生まれてから一度も。
「気のせいか」
声に出して言ってみた。
誰もいない道に声が吸い込まれる。
引き返すことにした。
帰り道、空を見上げた。
夕方の空だった。
橙と青が混ざっている。
一瞬その空が真っ暗になった。
一秒以下の暗転。
すぐに戻る。
壱は立ち止まって、もう一度空を見た。
普通の夕空が広がっている。
雲が流れている。
測定室の蛍光灯。
今日の空。
二度目だ、と壱は思った。
「自分が何者か」
その問いが少しだけ輪郭を持ち始めていた。
──
夜、壱は自室の天井を見ていた。
眠れないわけではない。
眠ろうと思えば眠れる。
ただ少し考えたかった。
今日あったこと。
ERRORという結果。
特務局。
アリスという女。
ユイという女子。
街の端の眠気。
空の暗転。
どれも繋がっていない。
関係があるとも思えない。
ただ、全部が「おかしい」という一点では同じだった。
壱には能力がある。
あらゆる力が使える。
生まれた時からそうだった。
なぜそうなのかは分からない。
どこまで使えるのかも分からない。
試したことがないからだ。
必要がなかった。
ERRORが出た理由もそこにあるのかもしれない。
機械が自分の数値を計算できなかった。
だがそれが「なぜ」なのかが分からない。
自分は何者なのか。
どこから来て何のためにここにいるのか。
壱は目を閉じた。
夢は見なかった。
いつも通り。




