第六話:甘い蜜はパンに添えて
外出許可を得た後、屋敷内の大きな家具を把握し終わり、早急に必要なもののリストを作り終えた私は、翌日に早速街に出ることを決めた。
「とりあえずはクローゼットが欲しいわね。私の荷物も、ヴェルディスタの家から運ぶのを待ってもらっているし…」
足りない家具。蝋燭・薪などの生活必需品。そして香辛料を含めた食材。何もかもが不足している。
「セリアンの部下に任せた人選は四日ほどかかるでしょうから、それから掃除に取り掛かるとして、新しく買った物を入れられるのは一週間後ぐらいかしら」
日程の段取りをあらかたつけて、毎日着ていた漆黒のドレスを脱ぐ。
私にとっての喪服であり、戦闘服。しかしこれを着て外に出れば、一発で正体がバレてしまう。
「ごめんなさい、シェイラム。正式に発表するまでは、隠れて動かなければならないの。不甲斐ない私を許して」
口に出して謝りながら、家から持ってきた別の服を手に取る。
あの日。復讐を決めた夜ヴェルディスタから手で持ち出した、少ない荷物の一つ。
昔。バルテル商会で働いていた時、身分を隠すために使っていた、商会のメイド服。
これを着れば、バルテル商会の使用人であることが証明できる。
メイクを落とし、服を身にまとう。黒い下地に白い紐をシュルッと巻きつけ、後ろで縛る。
着慣れた私の武装だ。
「さあ。待っていなさい、防衛都市アイセル。
――宴の時間の、始まりよ」
馬がいななき、寒い朝の道を駆ける。ぴゅうと空気が風を切る音を後に残して。
防衛都市アイセル。
アイセントール公爵家から程近い直轄都市で、北部最大の都。
城壁に囲まれ、外部の敵を阻む様は、まさに鉄壁の字の如し。
公爵家という盾に守られ、今日も人々は賑やかに暮らす。
「それにしては、寂れているわね」
私の知識が数年前のものとはいえ、ここまで違うとは。
街らしい喧騒が耳に入るものの、かつての面影はない。
「前は露店がもっと出ていて、出し物なんかも披露していたのだけど」
アイセルに到着した私は、馬を預けて街全体を見物していく。
ちょうど朝市が開かれていたため、香辛料を物色して回った。
「これとこれと、後これも。ここのお店は、物が良いですね」
この胡椒も質が高い。無論、バルテル商会で扱っているものには負けるが。
「ああ、ありがとう。最近はあまり手に入らないんだけどね」
少し、話を聞いてみよう。
「つい先日、ここに来たばかりであまり知らなくて…。何かあったんですか?」
「野盗が急に増えたんだよ。そのせいで、運び人たちが仕事を嫌がって、流通が滞っているんだ」
「そうなんですね。なるほど、それで…」
「お嬢ちゃん?どうしたんだい?」
私は少し考え込んだ後、顔を上げて露店の女主人に笑いかけた。
「その問題、もうすぐ解決しますよ。街の人たちに、こう伝えてください」
一息置いて、力強く。こういうのは印象が大事だ。
「バルテル商会が来ます、と」
朝市を回り終わり、いくつか手に入れた香辛料と食材やらが入った箱を公爵邸に送ってもらう。とりあえず今夜は、きちんと塩がかかった肉が食べられるはずだ。
その足で近くにあった古い孤児院に入り、買ったパンを差し入れる。
かつてアンに貰った恩返しとして、たまにこうやって食べ物を配っているのだ。
「これ、余ってしまったので。良かったら食べて下さい」
「あ、ありがとうございます!」
見た感じ、困窮しているのが分かる。
彼らの服は使い古されていて、子供達はみな痩せていた。
「……」
じっと見ていると、子供の一人が話しかけてきた。
「公爵様はすごいんだよ!俺たちを守ってくれるんだ!この前だって、悪い人を倒して、追い払ってくれたんだ!」
「カッコいいんだよ!」
「はは、そうだね。君たちの公爵様は少し不器用なだけなんだ」
白く傷ひとつない美しい手で、子ども達の頭を撫でる優しそうな青年も、柔らかな声音で苦笑している。
その透き通った瞳は、見ていられないほど純粋で眩しい。
まったく、恩を売って領民を黙らせているのか。
こんなに状況が良くないのに。独裁者がよくやる手口じゃないか。
彼の前では浮かび上がった考えを口にすることも出来ず、心の中でそう毒づいた。
「また、来ますから。みんな、今度来た時にはもっと、公爵様のお話を聞かせてね」
ニコリと笑って、手を振った。
子供の純粋な気持ちを利用するのは許せない。そんな気持ちを押し殺して。
…まだ約束まで時間がある。ついでに高級家具の調達にでも行くか。
街の中心部、高級店が集まる場所に目星をつけて、“適当”な家具屋に足を踏み入れる。
カラン、と入り口でベルが鳴り、店員たちがこちらを向く。
その豪華な雰囲気に不釣り合いな格好をした私を、訝しげに見ているようだ。
「私、バルテル商会の侍女を務めております」
貴族の礼儀作法は見せない。あくまで、今の私は平民の侍女。
ぺこりと頭を下げて、店の内装に気後れしているような雰囲気を出す。
「ご主人様に、投資のための物資調査を頼まれまして…今度、北部に一拠点を置こうか、考えていらっしゃるようなのです」
しーんと空気が静まり返る。パタパタと音がしたかと思うと、裏が急に騒がしくなり出した。
次の瞬間、店の主人らしき男性が出てきて、興奮気味に叫ぶ。
「王国一のあの商会が、このアイセルに!?」
「ええ。まだ、正確には決まっていないのですが。そのために私を派遣されました」
「まさか…!」
商人たちの中では、よく知られたある噂。バルテル商会が新しい土地へ手を広げる時、必ず“商会の侍女”を名乗る少女が下見に来ると。
「どうぞ、時間が許す限り、ご覧になってください。
当店は喜んで、バルテル商会の方を歓迎いたします」
店内の雰囲気は一変する。
店長の高揚に乗せられ、店員がみな背筋を整え、完璧な姿勢で礼をする。
「では、ここの家具を全て見せてください。欲しいものだけ指を指すので、ピッタリ一週間後、ここに書いてある住所に送ってください。代金はこれで十分ですよね?」
金貨が袋の中で擦れ合い、ジャラリと鳴る。
店一つ、買えるようなその袋と紙を店長の震える手に乗せ、家具を一つずつ見て回った。
用を終えた私は店を出る。よかった、大きな物はここで揃えられたか。
カラン、と音を立ててベルが響きドアを閉じた後。後ろから聞こえたかすかな声に口元を緩ませる。
「みんなに伝えろ。『バルテル商会が来る』ぞ!」
――さあ、時間通り。レチナに会いに、酒場に向かうとしよう。
どんちゃん騒ぎの店内の中。私たちは小声で話し合い、久々の再会を喜び合う。
「お兄様からの伝言よ。大事な時に助けに行けなくてごめんって」
「私は大丈夫だって伝えておいて。あと、馬を貸してくれて助かったわ」
「作戦は上手くいってる。お姉様はお葬式後豪華な馬車で北西部バルテル領へ出発、森に入った後足取りの足取りは掴めず逃亡。うちで匿われているなんて噂で持ちきりよ」
さすが、レチナは仕事が早い。とりあえず時間は稼げそうだ。
「あなたのことだから、情報網の手配は済んでいるわよね」
「もちろんよ!私に任せて!」
そう言って明るい顔で笑う妹に、罪悪感を感じてうつむく。
「ちゃんとご飯は食べてる?辛いこと、心配なことはない?
何か、危ない目にあったりしてはいないわね?」
復讐のために戻ってきたけれど、本当は大事な妹たちを巻き込みたくはない。
キュッと締まる胸の痛みが、私の心を絶え間なく刺している。
「ごめんなさい。頼んだのは私なのに…」
突然、酒場のうるさい喧騒が静まり返ったかのように、周囲の音が聞こえなくなった。
まるで、ここには私と妹しかいないと、錯覚させられた。
「お姉様。私はあなたが行くのなら、一緒に地獄にだって落ちるわ。
それに、この商会は元々――」
そんな空気を醸し出しているのは、私の妹。小さかったはずの、守るはずの存在だった彼女が、こんなにも頼もしく見える。
「あなた達の物よ。今も立派に、こうして守ってくれている」
私は言葉を遮り妹の手をギュッと握って、驚いた。記憶にあるよりも、あの頃よりもずっと、大きくなった手に。
「こんなに大きくなったのね」
「ええ。もう、下を向いたりはしないわ。だから、私にも協力させて。
それにお姉様だって知ってるでしょう?私には心強い騎士様がいるんだから」
ふわり、と妹が笑った。無理をしているわけではない、心の底から出た言葉だとわかって少しだけ安心する。
でも。次の瞬間、それに、と言葉が続いて、ハッとした。
「私だって絶対に、仇を取りたい。お父様と、お姉様の大切な人たちを奪った奴に、思い知らせてやりたい」
繋がった手から、震えが伝わる。レチナだって、平気な訳がない。
あの事故が、故意だったかもしれないなんて言われて。
やっと、父親の死を乗り越えたばかりなのに。
ゆっくりと、手の甲を撫でる。落ち着くように、丁寧に、大切に。
「大丈夫。必ず、やり遂げて見せるわ」
あれから食事を食べて、サクシンへ渡す手紙を預けた後。私たちが別れる時間が来た。
「…お姉様。本当に結婚するのね。あの氷の公爵と」
少し心配そうな妹の顔が見えないように、くるりと振り返って答える。
「ええ。バルテル商会の投資先としては、最高に面白い物件だから。
――底値で買い叩いて、一番高い時に奈落へ売り払ってあげるわ」
後ろは見ない。そう、決めたから。
プロローグから三話まで大幅に加筆修正しました。




