表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
五度目の鐘の音は復讐の讃歌を  作者: 星墜


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

5/7

第四話:北に眠る紅の盾



薄明るい応接間に広がる、息を吐く暇すら感じられぬほどの、極度の緊張感の中。

成功した商談に私は確かな手応えを感じた。


よかった。これで少なくとも敵の懐には入り込める。証拠の獲得も格段に容易になるだろう。後は細かい条項の詰め合わせだ。


実行するにしても、もちろん簡単に寝室には入り込めないだろうが、一度くらいは寝首を掻くチャンスだって訪れるだろう。それまで、周りを懐柔していけばいいだけだ。


「ありがとうございます。では、契約の細かい条項をーー」


「閣下!」


そう安堵したのも束の間。応接間に一人の男が書類を持って駆け込んできた。

急ぎの用なのか息は絶え絶え、服はヨレヨレで焦りが見て取れる。


「どうした?人は入れるなと言ってあっただろう」


瞬間、セリアンから滲み出る、吹雪のような威圧感。

一声発しただけなのに、周辺の温度が一気に下がったような気さえする。


「チッ」


軽く舌打ちをした後、クイッと指だけを曲げて男を呼んだ。


「渡せ。どうせ向こうの不穏な動きだろう」


セリアンは要件がわかっているのか、それ以上男に聞くこともせず、パラリと素早く書類をめくってゆく。

おそらく、国境付近で何かあったのだろう。



――セリアン・ヴィル・アイセントールは、『北の盾』だ。



その敬称は比喩でもなんでもなく、この公爵家をよく表している。


アイセントール家がこの広大な北の領地を任されている理由。それは、国境を挟んで向こう側、周りの国二つと面する、この国の最重要拠点を守るためである。


まさに、国を守る肉壁の盾。それが、中央の貴族がここアイセントールに持つイメージなのだ。


そんな最前線の報告が、今私の目の前で行われていることに驚きを隠せない。

案の定、後から入ってきた男がセリアンに疑問を投げかけた。


「そこのお嬢様は良いんですか?」


「良い。そこの毒婦は、今日から俺の物になることが決まったからな」


間髪入れずに返事が飛ぶ。良いから、今は誰も話しかけるな、という雰囲気を醸して。

毒婦という呼び方に疑問を感じたのか、男から不躾な視線が飛んでくる。


数秒ほど私のことを見て理解したのか、ああ、と頷いた。


「また変なもの拾ってきたんですね。喪服みたいなドレスを着た婦人なんて。

今話題の断糸の未亡人でもあるまいし。もうこれ以上飼う事はできませんよ」


「飼う!?」


なんだその表現は。この屋敷では人間を…飼っているとでも?

外部への情報を一切遮断している公爵家。何が起こっていても、不思議ではない。


どこからか、肉を焼くような匂いが漂ってくる気さえする。


途端に背筋が寒くなってきた。私はとんでもない危険の中に飛び込んだんじゃなかろうか。


もちろん、夫たちが殺されたこともあるし、覚悟はしてきたつもりだ。

だがまさか、目的を果たせぬ前にお払い箱となって、消されるような事はあってはならない。


「心配するな。そっちは、もう増やさん。そろそろ捨てるつもりだからな」


悪寒に身震いする私を当然のように置き去りにして、話は進んでいった。


「状況は分かった。ただ、この程度で兵は動かせないな。内密に進めるように。

今回は『鷹』の方を使え。あと、この地点は死角になりやすい。気をつけろ。

そうだな、ここは……」


先ほどまで私に丸め込まれていたのに。


私はほう、と息を呑んだ。口早に伝えられる指示の数々。鮮やかに展開していく議論。


バルテル商会の情報網を持ってしても謎に包まれた、北部公爵家の実態。

聞こえるのは「なり損ない」という、当主本人の蔑称だけ。


確かに彼は、親族をまとめることもできず、領地運営の方には欠陥があるかもしれない。

しかしこれは、それとは別次元の才能。兵を指揮する、将としての才覚。


彼がこのアイセントールを治めるようになってから、早11年。齢14で早くも戦場に立った彼は、ただの一度も国境を破らせたことがない。


資料を一目見ただけで状況を一瞬で理解し、慣れたように淡々と敵を読み解いてゆく。現場にいるわけでもないのに、文章を頭の中でマッピングし、適切な対処法を構築して対処する。


おそらく私がここにいても追い出されないのは、“追い出す必要もない”からなのだろう。


「慈悲は不要だ。ただし、無益な殺生は兵の士気を下げる。いつも通りに頼むぞ」


言葉一つでテーブルに置かれたお茶の液面が小さく震え、人が後ずさる音が聞こえる。



――これが、『北に眠る紅の盾』。なり損ないの公爵か。



合理的すぎる彼の采配に妙に納得した矢先。


流れるような指示の後、思い出したように私の方に向き直った。


「紹介しよう。みんなにも伝えてくれ。今日から俺の妻になるクロティルだ」


脈絡もなく唐突に投げ込まれた爆弾。一息で説明など出来るわけもない。


「今から、この屋敷に住むことになる」


「はあーー―!?」


まだ契約の内容すら詰めていないのに、この人は。

部下らしき男の人と私の叫びが重なって、お互いに顔を見合わせる。


どうやら、ここにもまともな感性を持った人がいたらしい、と何も言わずただ見守っている執事を見て思ってしまった。


「待たせたな。それで、なんだったか。契約の細かい条項か」


何もなかったかのような顔をして続きを話し出そうとするセリアンに、私は頭を抱えた。


これはきっと、苦労する。確実に。

この人の未来の奥様に、ご愁傷様と言ってやりたいぐらいだ。


復讐。

自分の身の心配。

領地の再興。


三つもある大きな悩みの種が、また今一つ追加された。


どうやら私の夫になる人は、他人の感情や状況が全く分からないようだ。

もしくは、何も気にするつもりがない。


どちらにしてもこの先、手綱を取るのは大変そうだ、と未来を予感してため息をついた。


「良いでしょう。私からは、


1、情報の共有。領地のために共有できる情報は、必ず共有しておくこと。外部に対しては仲睦まじい夫婦を演じましょう。ただし、あくまで協力関係であることを忘れずに。


2、契約履行後の離縁ですね。私たちの目的が、最後まで果たされた場合――あなたにとっては領地再興。私は、私の身が保障されるまで、と致しましょうか」


良いだろう、というように小さく頷いて、セリアンは自分の条件を出していく。


「俺からは互いの領域への不可侵を。当たり前だが、寝室は別。私生活には絶対に干渉しないように」


まあこの追加は予想の範囲内だ。私としても、そんな簡単に寝床を共にできるとは思っていない。


それに、寝室に入り込めなくてもーー殺す方法は、いくらでもある。


「仰せのままに」


「分かってはいるだろうが、貴様の金は、我がアイセントールを立て直すために使い切る。その代わり、貴様の望む『盾』としての役割は完璧に果たそう。

…それ以上の夢は見るな」


この屋敷に入り込めた時点で、収穫は上々。

後は今後の私次第だ。この機会を活かすか、殺すか。


「ええ、勿論。わきまえておりますわ」


真紅の唇をゆっくりと持ち上げ、彼の瞳をじっと見つめた。


もし本当に、あなたが彼らを殺したのだとしたら。

必ずいつか、あなたの喉元にナイフを突き立ててやる。

その時まで絶対、私はあなたに殺されない。



決意を新たに、私は笑った。



「これからが、楽しみですわね」



いつの間にかもう夕暮れ時。あんなに緊張していた朝が、遠く思えるほどだ。

とりあえず夕食を食べるためにセリアンとは一度別れた後、彼の執務室らしき場所を通り過ぎる。


この家はまったく音がしない。人がいるのかも、疑わしいほどに。

相変わらず案内もなく、自分の足音だけを頼りに屋敷の廊下を彷徨っていたところだった。


かちゃり、と食器と金属が触れ合う硬い音がどこかから聞こえてくる。


誰もいない部屋で書類に囲まれ、背筋を伸ばしたまま、まるで毒見でもするかのように真剣な表情で。

相変わらず白手袋をはめたまま、小さなフォークを口に運ぶセリアンが、ドアの隙間から微かに見える。



はっ、と私は思わず息を吐いていた。

食べているのは、私が置いていった余りのケーキだろう。


分からない。


あれほどまでに冷酷な氷の公爵が、なぜあんなにも切なそうに、一切れの小さなケーキを少しずつ、少しずつ食べているのか。

それも隠れるように、一人で。


分からない。分かりたくもない、と頭を振った。


きっと気のせいに違いない。

胸の奥で刺さる小さな棘に知らないふりをして。


そう、思うようにした。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ