第1章 竜守の少年 ④
「熱いから気をつけてな」
「ありがとう、父さん」
リビングの椅子に腰かけたサンカリは、イーサからコーヒーの入ったカップを受け取った。
サンカリは家に戻っていた。女の子も連れてきている(目を覚ます様子がないので、仕方なく担いで帰ってきた)。
女の子は今、とりあえず父の部屋のベッドに寝かせている。
「あとは頼む、か。シーヴェンはそう言い残して、どこかへ飛んでいったんだな?」
「うん」
イーサはカップを口元にやったまま動かなかった。シーヴェンが残した言葉の意味を考えているようだった。
「シーヴェンが行先も告げずに、どこかへ飛んでいってしまったことなんて、今までにもあるの?」
「いいや。それどころか、竜守を乗せずに自分だけで飛び去ったことだって、父さんが知る限り一度だってない。こんなことは初めてだ」
サンカリは虹の石を見つめた。虹の石を握りしめても、シーヴェンがどこへ行ったのか、何のために飛び立ったのかは分からなかった。
「見切りをつけられたのかもしれないな」
イーサはカップをテーブルに置いた。
「もはや名ばかりとなり、何のために存在するのかも分からない竜守の存在を捨て、シーヴェンだけで生きていくことにしたのかも……」
「そんなことない!」
サンカリはイーサの言葉を遮った。
「僕には分かる。シーヴェンは何か大切なことを成し遂げようとしてるんだ。そのために飛び立ったんだ」
「そうだな。済まない」
イーサは素直に頭を下げた。こんなに自信のなさそうな父は初めて見た。
否定をしたものの、根拠があるわけではなかった。声を大にして否定したところで、それはただのサンカリの願望でしかない。しかし、サンカリはそう信じたかった。
「僕はどうしたら良いんだろう? 父さん」
シーヴェンはいつもサンカリのそばにいた。だが、今はいない。虹の石を手にしても、シーヴェンを感じられない。まるで彼自身がサンカリに追われることを拒否しているかのようだった。例えようのない不安に襲われた。もう二度と彼に会えないのではないか。そんな悪い考えばかり頭をよぎってしまう。
「お前はどうするべきだと思うんだ?」
イーサは逆にサンカリに問い返した。
「今の竜守はお前だ。きっと父さんより、シーヴェンのことを分かっているはずだ」
「僕は……」
シーヴェンが残した「あとを頼む」という言葉には、自分の力だけではどうにもならないことをサンカリに託すような必死さが感じられた。
竜とともに生きよ。それが竜守の役目だ。では、竜がいなくなった今、竜守がすべきことは、何なのか。
「お前の思うとおりに行動しなさい。きっとそれがシーヴェンのためにもなるはずだ」
シーヴェンのため。サンカリは父の言葉を反芻した。
「うん、分かったよ、父さん」
サンカリの瞳から迷いは消えていた。
──ガタン
家の奥のほうで何かの音がした。
「あの子が起きたのかもしれないな。サンカリ、見てきなさい」
「うん」
サンカリは虹の石を懐にしまい、立ち上がった。
リビングの奥にはとても短い廊下があり、その両側にサンカリの部屋と父の部屋が並んでいる。父の部屋は突き当りの左側だ。
「失礼します……」
サンカリは遠慮がちに声をかけ、部屋の中を覗き込んだ。既に日は沈んでいるので、ランプを灯していない部屋の中は真っ暗だった。
「起きてる? 具合はどう?」
返事はなかった。
「──?」
サンカリは目を凝らした。そしてベッドを見るや否や部屋を飛び出した。
「父さん! 大変だ!」
ベッドはもぬけの殻だった。そして、部屋の窓が開け放たれていた。
◇ ◆ ◇ ◆
「はぁ………はぁ……」
ティテは真っ暗な森の中を走った。行く当てはない。それどころか、ここがどこなのかすら分からない。それでも走らなければならなかった。逃げなければならなかったからだ。そして、探さなければならなかったからだ。
気がついたときにはベッドの上にいた。部屋の外からは二人の男性の声が聞こえた。
命と同じか、それ以上に大切な石をちゃんと持っていることだけを確かめると、ティテはベッドのすぐ脇にある窓から外へ出た。
そして、森の中を走り続けている。
「──っ」
前方に人影を見つけて、ティテは立ち止まった。
黒い詰襟を着た男が二人、森の中の闇に紛れるようにして歩いていた。誰かを探すように、周囲を注意深く見まわしている。
あの男が連れていた部下らしき人間たちと同じ格好だ。間違いない。追っ手だ。自分を追ってきたのだ。
男たちから視線を外さずに後退する。一歩、二歩、三歩……。
ぱきり、という乾いた音が森の中に響き渡った。後ろ向きに踏み出した足で落ちていた枝を踏み割ってしまったのだ。
はっとなって男たちを見た。一人と目が合った。
男たちが駆け出すと同時に、踵を返して走り出した。




