第1章 竜守の少年 ③
サンカリはシーヴェンのあとを追って洞窟を飛び出した。
曇り空だった。朝はあんなに晴れていたのに。
曇天の中を飛ぶ金色の竜の姿が見えた。サンカリは森の中を必死に走った。木々の隙間から見えるシーヴェンのあとを懸命に追いかけた。しかし、シーヴェンの姿はどんどん遠ざかっていった。
息が上がり、手足が重くなっていった。周囲の音が遠ざかり、自分の荒い息遣いだけが耳に入ってくる。
「うっ」
木の枝が頬に引っかかった。サンカリは焼けつくような痛みを感じて立ち止まった。少し切ったらしく、頬を押さえた手に血がついた。
サンカリは呆然と立ち尽くした。シーヴェンの姿はどこにも見えなくなっていた。
何が起きたのか理解できなかった。シーヴェンが勝手に洞窟を飛び出すことなど、一度もなかった。飛び立つ直前に見せた表情──あんなに険しく恐ろしい表情も、今まで見たことがなかった。
「シーヴェン……」
友の名を呟いた。
そのときだった。サンカリはシャツの胸元から光が漏れていることに気づいた。穏やかで柔らかく温かみを感じる緑色の光。サンカリは首にかけた革紐を引っ張り出した。
虹の石だ。竜の翼の形の石が淡い緑の光を発していた。
サンカリは再び走り出した。
目指す先は虹の石が導いてくれた。石を手にしていると、自分がどちらへ行けば良いのかが分かった。
走っているうちに、サンカリの視界が異変を捉えた。
曇天の空に一つの光があった。最初は豆粒のように小さかった光はたちまち大きくなった。近づいている。いや──。
(落ちてくる)
光は雲間を縫って降ってきているのだった。
サンカリは光に見惚れた。その光は彼のよく知るものと似ていた。光は緑色だった。サンカリが今、手に握っている虹の石が発する光と驚くほど酷似していた。
光は前方の森の中へ落ちていった。サンカリは光の落下地点を目指して進んだ。シーヴェンはそこにいる。サンカリにはそんな予感があった。
予感は的中した。
シーヴェンは森の中に座していた。狭い空間に無理矢理着陸したために、周囲の木々が根元からなぎ倒されていた。
シーヴェンの体の中心には緑色の光があった。彼は両手両足を曲げて、首と尻尾で光をくるむような格好で草原に腰を下ろしていた。
「シーヴェン」
サンカリが話しかけると、シーヴェンは閉じていた瞼を片方だけ開け、宝石のような美しくも鋭い瞳でサンカリを見つめた。
「一体どうしたの? 急に飛び出すから心配したよ」
息を整えながらサンカリはシーヴェンへ近づいた。友の瞳を見つめれば見つめるほど、サンカリの中で不安が膨らんでいく。呼吸が落ち着いても、心臓の鼓動は早鐘のように震え続けていた。
「僕は行かなければならない」
シーヴェンがのそりと立ち上がった。彼の体に遮られていた緑の光が周囲に溢れ、辺りを照らし出す。
「役目を果たすときが来たんだ」
「行くって、どこへ? 役目って何?」
シーヴェンはサンカリの質問に答えず、ただ瞳孔を細めるばかりだった。それはシーヴェンの笑顔だった。笑顔のはずだった。だが、緑色の光に照らされた友の笑顔はサンカリが今まで見たこともないほど悲愴的だった。サンカリは言いようのない不安に駆られた。
サンカリは駆け寄ろうとするが、途中で歩を止めざるを得なくなる。シーヴェンが羽ばたき、風圧で進むことが出来なくなったからだ。
「あとは頼む、サンカリ!」
シーヴェンは驚くべき速さで飛び立ち、サンカリの声などまるで聞こえないかのように迷いなく曇天の中へと消えていった。あとに残されたのは、手折られた木々と、呆然と立ち尽くすサンカリと、緑色の光。
やがて我に返ったサンカリが再び駆け出そうとした、そのとき、
「うわ!」
胸元の虹の石が光を爆発させた。強烈な光にサンカリは顔を背けた。目を閉じていても瞼の向こう側から光が突き刺さる。目が慣れてきたサンカリがうっすらと瞳を開けると、草原の中の緑色の光が虹の石に呼応するように強い光を放っていた。
薄暗い森が鮮やかに輝く緑の光で満たされる。それもやがて終息を迎え、サンカリの虹の石も、地面の緑の光も、落ち着きを取り戻していった。
何かいる。サンカリは気づいた。光の奥に何かいる。力なく伸びる脚、投げ出された腕、ぐったりと横たわる体。──人だ。緑の光の中心に人がいた。緑の光はその人の胸元から発せられていた。サンカリと同じように。
間もなく光は消え、辺りは再び闇に包まれた。
人影が完全に露わになった。目は閉じられているものの、表情は安らかで、胸元が規則正しく上下している。飾り気のないシャツにパンツルック、健康そうな色をした頬は、活動的な印象を与えた。長い睫毛や艶のある唇も目立ったが、もっとも目を引いたのは、なんといっても金色の髪だった。アフォンヒルグルではまず見ない色だ。美しく輝くような黄金色のロングヘアーが、乱雑に草原に散らばっていた。
「女の子……?」
サンカリは眉根を寄せ、呟いた。




