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第5章 竜の台座 ③

「くそっ、早くデゼルターに追いつかないと!」

 シーヴェンの声には明らかな焦りが含まれていた。

 デゼルターの乗る一人用飛行艇よりもシーヴェンのほうが速かった。デゼルターとの距離を詰めるにつれて、竜の台座がどんどん近くなってくる。雲の上に影を落としているそれは、とてつもなく大きかった。カノリデーなどとは比べ物にならない。巨大都市だ。近づけば近づくほど、その大きさに圧倒される。荘厳でありながら凄然。一目見て、比肩するもののない異質なものだと分かった。はっきりと分かったのだ。あれは何かとんでもないものだと。

 あと少しで追いつく、というそのときだった。シーヴェンが突然、進行方向を変えた。

「わっ」「きゃあっ」予期せぬ動きにサンカリは舌を噛みそうになった。

 普段の空の散歩ではシーヴェンが絶対にしないような危険な飛び方だった。彼は何かを避けたのだ。だから、無茶な飛び方になった。

「何なの、これ……」

 ティテは雲海を覗き込んで愕然としていた。

「遅かった……」

 シーヴェンは無念そうに呟いた。

 雲が膨らんでいる。絶え間なく形を変え、大きくなったり先端を伸ばしたりした。まるで獣が威嚇するように。シーヴェンはこれを避けたのだ。雲は縒って、固まり、ある姿を形づくっていく。そして──、

「竜になった……」

 白銀の姿。剥き出しの牙。巨大な角。血走った眼。鋭い爪。長い尾。広げた翼。シーヴェンよりも小柄だが、紛れもない。竜がいた。


 シアアアアアアアア


 シーヴェンのそれよりもずっと高い、まるで超音波のような甲走った雄叫びを上げて、白銀の竜は襲いかかってきた。

「くっ」

 シーヴェンが呻いた。白銀の竜はその牙で、その爪で、その尾で躊躇いなく次々と攻撃を繰り出してきた。

「なんで竜がシーヴェンを攻撃するの!?」

「竜の台座の自己防衛機能だ! 認証された虹の石を持つ者以外を排除しようとしているんだ!」

 ティテの絶叫に近い質問に、サンカリが同じく怒鳴って答えた。

 サンカリはセバーの言葉を思い出した。竜が飛ぶとき、人は空を飛ぶべからず。あのとき、セバーはこうも言っていた。


 ──雲が竜の形に見えるときは天気が荒れる兆候だから空を飛ぶなっていう、ただのジンクスみたいなもんだったんだがな。


 違う。言葉どおりの意味だったのだ。きっと過去の人たちは知っていたのだ。竜が雲から生まれることを。竜の台座が封印されて雲から竜が生まれることがなくなっても、その言葉と知識は人々の恐れとともに残り続けていたのだ。

「うわっ」

 白銀の竜の爪がサンカリの頭上をかすめた。

「伏せてて!」

 シーヴェンが声を張り上げた。サンカリは言われたとおりに頭を低くして、ティテの上にのしかかった。

 一度は縮まったデゼルターの飛行艇との距離がまた開いていく。シーヴェンは再び追撃するが、そのすぐあとを白銀の竜が追い縋った。

 一台の機械と黄金の竜と白銀の竜の命懸けの追跡劇が始まった。

 白銀の竜の攻撃は強く、早く、迷いがない。二匹の竜はぐるぐると回りながら攻防を繰り広げた。激しさは増すばかりで、シーヴェンの翼の結界の中にいる二人にすら強烈な荷重が襲いかかった。

「わあっ」

 ぐらり、と体が揺れた。白銀の竜の猛攻に負けて、シーヴェンの体が大きく傾いだ。平衡感覚がおかしくなり、シーヴェンの背中の毛を掴んでいた手が離れてしまい、上体が持ち上がった。

 目の前に白銀の竜の顔があった。竜が口を開けた。まるで鋸の刃のような、おびただしい数の小さな牙がサンカリの視界に飛び込んできた。近づいてくる。竜の、まさしく獣そのものの獰猛たる視線に射竦められる。

「サンカリ!」

 シーヴェンの切羽詰まった声が聞こえた。

 それからのことは、実際には一瞬の出来事だったのだろうが、サンカリの目にはまるでスローモーションのように映った。

 サンカリと白銀の竜の間にシーヴェンの頭が割り込んだ。

 白銀の竜は歯牙の狙いをシーヴェンに切り替えた。

 無数の鋸の刃の歯がシーヴェンの豊かな毛に覆われた首に沈み込んだ。

「うぐっ」

 シーヴェンの低い声。喉の奥から漏れ出た空気によって自然と絞り出されたような呻き。彼の表情が大きく歪んだ。

 シーヴェンは首を大きく動かして白銀の竜を振り払い、蹴飛ばした。体格に差のある白銀の竜はあっさりと吹っ飛ばされたが、すぐに体勢を立て直し、再びシーヴェンに追い縋り始めた。

 サンカリの目の前を光が通り過ぎた。温かで穏やかな、金色の光の粒。一つや二つではない。風に舞う塵芥のようにいくつもの光の粒がサンカリの顔に降りかかり儚く消えていく。それはシーヴェンから漏れていた。彼の首筋に小さいが深い穴がいくつも開いていて、光の粒はそこから噴き出していた。

「シーヴェン、駄目!」

 ティテが手を伸ばし、噴出する光の粒を手のひらで塞ごうとした。しかし、光の粒は彼女の指の隙間から際限なく漏れていき、ティテの小さな手では到底塞ぎきれなかった。

(なんだこれ。何が起きているんだ)

 とても大変なことが、とても嫌なことが、起きている気がする。それはなんとなく分かった。だが同時に、その事実を直視してはいけない、と自分の中の何かがそう警告を発していた。そうしなければ、もっと嫌な事態と向き合わなければならなくなる。そんな予感がした。

 シーヴェンの飛行速度が目に見えて遅くなった。白銀の竜が彼の足首に噛みついていた。

「シーヴェン!」

 シーヴェンは懸命に翼を動かして前へ進もうとしていた。サンカリの呼び声に反応する余裕すらない。それなのに、デゼルターとの距離はどんどん広がる一方だった。

 とうとう小型飛行艇は竜の台座の頭頂部の向こう側へと姿を消してしまった。

「サンカリ!」

 シーヴェンが叫んだ。すると、サンカリとティテは重力から解放された。

 二人は緑色の光に覆われていた。虹の石の発するものに似た、優しく包み込むような緑色の光。見覚えがあった。ティテが空から降ってきたときに包まれていた光だ。トゥスクがティテを逃がすために不思議な力で生み出した光。つまり──。

「シーヴェン、何するつもり!?」

 サンカリたちを包んだ光の球とシーヴェンは同じ速度で竜の台座へ進んだ。しかし、高度はシーヴェンのそれだけが見る見るうちに落ちていった。

「こんなところまで連れてきてしまって、本当にごめん! でも、お願いだ!」

 シーヴェンに組みついていた竜が彼から離れ、サンカリたちに歯牙を向けようとした。シーヴェンはそれを許さず、光の粒が噴出し続ける体を伸ばして逆に竜に組みついた。

「あとは頼む!」

 その言葉を彼から聞かされるのは二度目だ。一度目は、彼は突然サンカリの前からいなくなった。そして、今度も。

「デゼルターを止めて! 竜の台座を──」

 シーヴェンの声は途中で聞こえなくなった。遠ざかっていく彼の声は空に吸い込まれてしまった。

「シーヴェン! 嫌だよ! 駄目だ!」

 サンカリの声もシーヴェンには届かなかった。

 黄金の竜と白銀の竜はもつれ合ったまま竜の台座に向かって進み続け、そのまま逆円錐形の壁に激突した。銀の竜は銀色の光の粒となって霧散し、そしてまた、金の竜はサンカリたちの目の前で黄金の光となって消えた。

「ああ!」

 ティテが、自分が傷つけられたかのような悲痛な叫び声を上げた。

「シーヴェン!」

 サンカリは叫んだ。その叫びは彼には届かなかった。

 最後に見えたのは、シーヴェンだった光が空に溶けて消える光景だった。

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