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第2章 竜が飛ぶとき、人は空を飛ぶべからず ④

「気がついたときにはサンカリの家のベッドの上だったわ」

 ティテは記憶の一つ一つを噛みしめるように言って締めくくった。

「きっとトゥスクが助けてくれたの、自分を犠牲にして。だから私は、トゥスクを探さなければならないの」

 サンカリはティテにかけるべき言葉を見つけられなかった。彼女の視線は眼前のアフォン川へ注がれていたが、その目はきっと川の流れを見ているのではなかった。

「手がかりはあるの?」

「……これだけ」

 ティテは首元から細い絹紐を引っ張り出した。紐の先端にくくられた虹の石を手のひらに載せた。竜の牙の形をした石は、サンカリの石と同じように、太陽の光を受けて鮮やかな緑色に輝いている。

「……」

 ティテは虹の石を握りしめ、下唇を噛んで眉間に皺を寄せた。沈痛な表情だった。虹の石は竜守が手にすれば緑色に輝く。それは竜と竜守の絆の証だ。竜とともに生きよ。竜守のたった一つの役目であるその言葉を象徴する証だ。虹の石が緑色に輝く限り、竜守は竜とともにあらなければならない。にもかかわらず今、竜守は竜とともにいない。

「ちょっと様子を見てくるよ。船の出発までまだ時間があるし、あいつらが近くまで来てるといけない」

 サンカリは沈滞しかけた空気を振り払うように努めて明るく言うと、ティテの返事を待たずにその場を離れた。人の間をすり抜け、適当に路地を何本か曲がってみては黒服の男たちがいないか目を配る。それを何度か繰り返した。

 ティテを安心させるために行動しているように振る舞っているつもりだったが、本当は自分が不安に囚われてしまうことを恐れただけなのかもしれない。私はトゥスクを探さなければならない、というティテの言葉に含まれているものが、決意だけではないということに気づいてしまったからだ。

 彼女は自分自身に必死に言い聞かせているのだ。虹の石が輝く限り、トゥスクは必ず自分の助けを待っているはずだと。

 サンカリもティテと同じだった。サンカリも信じたかったのだ。「あとを頼む」と言い残して去ったシーヴェンとの絆も、虹の石が輝き続ける限り、決して失われてはいないのだと。

 ティテの力になろう。サンカリは竜守として決めたことを貫き通そうと心を新たにした。その決意がシーヴェンにつながると信じて。

「そこの少年」

 サンカリの背中に声がかけられた。少し低めの落ち着きのある女声。振り返ると、見たことのない長身の女性が立っていた。

「僕ですか?」

「ああ、ちょっと尋ねても良いか?」

 そう言いながら近づいてくる女性の歩き方は優雅でありながらどこか厳格で隙がなく、声も柔らかな雰囲気の中に有無を言わさぬ迫力を含んでいた。

「人を探しているんだが」

 サンカリのすぐそばまで来た女性は彼の視線の高さに合うように腰を屈めた。女性の動きに合わせて揺れるつややかな緑の黒髪が白い詰襟に映える。細身だが決して華奢ではない体を包む白い服の右側の襟元には黄金の剣の徽章が、左の詰襟には三本の直線に二つの星の徽章が留められていた。

「君と同い年ぐらいの金髪の女の子を見なかったか? この辺りで金髪は珍しいから、目立つと思うんだが」

 サンカリは首を横に振った。

「ごめんなさい。見たことないです」

「そうか。呼び止めて悪かったね、ありがとう」

 女性は腰を伸ばし、軽く手を振って微笑みかけると、すぐに踵を返して離れていった。

 サンカリは女性とは正反対の方向へ歩き出した。途中で立ち止まり、振り返った。女性が角を曲がり、その姿が見えなくなったのを確認するとやにわに駆け出した。人混みを掻き分けて港まで一目散に駆け戻り、壁に寄りかかって手持無沙汰にしていたティテの姿を認めると、その手を掴んだ。

「ティテ! 急いでここを離れよう!」

 必死の形相で駆け寄ってきたサンカリに彼女は戸惑い驚き、まだ中身が少しだけ残っていたフィッシュフライサンドの包み紙を落としてしまった。

「何があったの?」

「黒服の軍以外にもティテのことを追ってる奴らがいる」

「ええ? 誰なの、そいつら?」

「分からない。白い軍服を着た女の人にティテのことを聞かれたんだ。とにかく逃げよう」

 二人はすぐに駅へと入ろうとしたが、玄関アーチをくぐったところで立ち止まった。

「サンカリ、見て」

 ティテが駅舎の入口を指差す。

「あいつらだ」

 黒服の男たちがいた。

 何人かの男たちが改札ゲートの両側に立ち、通行人たちに目を光らせている。別の何人かはゲート横に設置された切符売り場で駅の職員と何事か話している。どうやらアフォン川から船で直接、駅へ乗りつけたようだった。

「あの男」

 ティテが黒服の集団の中の一人の男を指差した。痩躯の男が駅の職員と話す黒服たちの背後で後ろ手に腕を組み、会話の様子を泰然と眺めていた。

「私とトゥスクのところへ来た男よ」

 その男の着ている黒服だけが肩や袖口の意匠の細部が少し異なっていた。痩躯の男の立ち居振る舞いや、他の黒服たちの様子からすると、その男が黒服たちのリーダー格であるようだった。

「どうする?」

「仕方ない、船はあきらめよう。行こう、ティテ」

「うん」

 駅とは反対の方角へ歩き出した。なるべく人目につかないよう狭い路地を選んで進んでいく。

 ティテの手を引きながら、サンカリは今後のことに頭を巡らせた。カノリデーの港が使えないとなると、隣町まで陸路で行き、そこから船に乗るのが最善だ。問題は隣町までの移動手段だ。歩いて行ったら軽く二時間はかかってしまう。かといって、定期バスは本数が少ないので、結局は徒歩とそれほど所要時間が変わらない。いずれにしてもアフォン川沿いの街道を進むことになるので、黒服たちに見つかるリスクが高い。

「うっ」

 前方に人影が現れて、サンカリは立ち止まった。路地の出入口を塞ぐように黒服の男が二人、立っていた。サンカリたちはすぐさま踵を返した。しかし。

「待って、サンカリ!」

 先に気づいたティテがサンカリの袖を引っ張った。反対側──たった今、サンカリたちが通り抜けた路地の入口にも黒い影が三人。挟み撃ちにされていた。

「くそ」

 いつの間にかあとをつけられていたのかもしれない。

 黒服たちは狭路に体を滑り込ませ、じわじわと距離を詰めてくる。

「どうしよう、サンカリ」

 ティテがサンカリの服の袖をぎゅっと掴んだ。

「……くっ」

 逃げ場はなかった。サンカリとティテはお互いを庇いあうように肩を抱いて体を寄せ合った。それしか出来なかった。

 もう駄目か。サンカリがあきらめかけた、そのとき、白い影が躍った。

 一つ。二つ。三つ。白い影たちはサンカリたちと黒服たちの間に忽然と飛び降り現れ、間髪を容れず黒服たちに挑みかかった。サンカリたちの前方と後方で白と黒のシルエットが入り乱れる。その中にサンカリの見覚えのある顔があった。

「あの人は……!」

 サンカリにティテのことを尋ねてきた白服の女軍人だった。

「逃げろ!」

 女性はしなやかな動きで黒服を圧倒しながら叫んだ。

「とにかく走れ!」

 サンカリは女性に言われるままティテの手を引き駆け出した。黒服と白服の間に割って入り、身を屈め、肩をぶつけ、頭を揺さぶられながら、無理矢理にも活路をこじ開け、路地を通り抜けた。

「少年! 竜守の少女は任せたぞ!」

 サンカリの背後から女性の大声が響いた。

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