2-1 トルマ島
M145年8月15日、コール・ノーケンは目的地トルマ島(南白石島)についた。
コールを乗せた船は港に向けて島を半周している。島はその石灰岩の白い輝きと一面に広がる浅いエメラルドグリーンの海で包まれ、その体にねっとりした湿った空気と真上からの爽やかな日差しがここが南の島であることを教えてくれた。
「フォー!!」
みんなが舞い上がる。
だが、水夫たちはその美しい景色に感動したわけではない。
「女だ!ついたらソッコー行ってくる!」
「いや違う!酒だ!」
「いつもメシの時に飲んでるだろ」
「あんな生臭いの飲んでられん」
「二人とも違うぞ、一番は肉だ!」
「おお、そんなのもあったな!忘れちまっていたよ」
「思い出すだけでヨダレが出るぜ」
彼らは舞い上がっていたが、それはやっと船旅に休息を与えてくれる海のオアシスにたどり着いたことに喜んでいたからだ。
だがそこに親方が来た。
「おい貴様ら!仕事をすっ飛ばして行くとは何事だ?」
その声はコール達全員に向けられる。
「浮かれるのはいいが仕事は残っている。黙って抜け出すようなマヌケがいたら給料は出さねえぞ!だが、終わったら好きにしていい」
「「「うおー!!!」」」
眼の前のことをお預けにされるのは辛いが、それでもこの船旅からの解放が近いという事実により、全員はヒョロヒョロの体からは想像できないような返事を出した。
そんな中コールは女とか酒とかの話に興味はなかった。…肉には興味があったが、コールはそれよりこの眼の前に広がる今まで見たことないこの景色に圧倒されていた。この島は小さいかもしれないが、その景色と匂い、空気がコールの魂を揺さぶるのだ。
「すげえ」
コールは船のへりに持たれながら、そんな言葉しか出せなかった。
「なにが面白いんだよ?貴様」
後ろから声を掛けた水夫がいる。コールが首だけを動かして視界の端で彼を捉えた。
「シュウか、お前もいい景色だとは思わないのか?」
「思わないさ、こんなのを見て腹が満たされるわけでもない。それよりも酒だ、この船の酒はケチってるせいで異様に水が多いし、臭い。ここらへんのサトウキビでつくったラム酒をがぶ飲みしたいね」
シュウはコップを持つ真似をする。
シュウはコールが海に投げ出された日以降、その後なにかと理由をつけて絡んで来るようになった。酒を奪われたり、理由なく殴られたりしたが。喧嘩まではしていない。
なぜならば…
ぐぅ~~
「腹空いてやがんの」
ぐぅ~~
「お前もだ、」
このガリガリの体で、喧嘩なんてしたくなかったしする気も起きなかったからだ。
─────
港は入江にあり、波が穏やか、荷物を載せた小舟の綱を3人で引っ張る。小舟を使う分、陸で運ぶより遥かに簡単に運搬ができる。コール達はそれを共和国の共用倉庫に収めた。
ちなみにだが鉄鉱石はここで使われる訳では無い、ここからは島々の船がここに来て倉庫から買う。なぜこの島で取引を行う必要があるのだろうか?もし直接行くなら移動中に季節風の向きが変わってしまうからだ。
あの船は今度は逆からの風に乗って大陸に戻るのだからコールはここで下船する。
コールは大陸から逃れるためにここに来た。
「坊主、ここの島までの契約だったのか?」
親方は船で見たときよりもだいぶ整えられた髪の毛をボリボリと掻く。フケが雪みたいだ。
「はい、お世話になりました。」
「まあいい、商人は契約だけは守るからな。」
親方はニヤニヤする。……契約書に時間外労働については書いてなかったかな?
「俺達は風の関係でここに数カ月留まるつもりだ、その間にまた大陸に戻りたいなんて駆け込んで来たら喜んでのせてやろう。もっともその時は今回みたいにタダで乗せない、金を取ってやる」
「どうも、ではさようなら」
コールは一人で大笑いしている親方に背を向けて歩き出した。
親方は思った、たぶん明日にでも帰って来るだろう。その時は大いに笑ってやる。
─────
「はあ、しかしどうしようか」
コールは港の喧騒を抜けて市場に繰り出した。ここの市場は路上販売が多いようで、人々が互いに取引を行いあっている。並ぶものはどれも見たことないものばかりで、南国さを感じるカラフルさは自分の好奇心と食欲をそそる。しかし…
「銅貨がこれっぽちか」
コールは今日何も食べることができずに一日を終えるかもしれない。確かに大陸から逃げるためには仕方なかったと思うが、あの船旅でコールは体重、体力、もしかしたら生きる気力まで失った。
「いや、何でもいいから食おう」
コールは今の自分を満たすためにそのなけなしの銅貨を使う決心をした。
左手に乗った全財産を見る。コールはそれを握りしめて、オレンジの果物を売る店にヨロヨロした小走りで向かった。
この店の店主は中年の男だった。背丈は小さく、短い髪の毛とひげを生やしており、所々に白髪が混じっている。浅黒い肌、少し太って見えるがしっかりとした筋肉がある。彼はこの露店の日陰の中で椅子に座り、売り文句を言っていた。
男がコールに気づく。
「どうだ、買うかい?」
「一つ頼む」
コールは銅貨でその片手に乗るくらいのオレンジの果実を一つ買った。
その場で食べようとした。でも食べ方がわからない、オレンジは何かでコーティングされている。
「お前大陸から来たんだろ?」
店主がふいに言った。
「そうだ」
「じゃあそれの食い方を知らんのか?」
「いいや、知ってるさ」
コールは少し目を横に向けながら嘘を言う。
コールはそのコーティングがついたまま果実をかじる。
「ん?!」
「ほら見やがれ」
コーティングは蝋にみたいで、苦くてそのまま吐き出しそうになる。でも確かに中身の液は甘酸っぱい、だがそれもコーティングが取れたところからほとんど漏れ出してしまった。
「なんだぁこれ?!」
「ミネルの実だ、ホントだったら上から穴を開けて飲むものだが…くくっ、話を聞かなかったお前の神からのバツだな」
ミネルの実の忌々しい液体はコールの服をベトベトのオレンジ色にした。気持ち悪そうだ…
「ああもう!後できっちり弁償させるからな!」
「残念だが俺は注意をしようとしたんだ、むしろ嘘を言ったお前の方を神は直々に裁くだろうさ、しかもミネルの実はこの島では神からの贈り物だぞ、ああ、きっと神は起こるだろうなぁ」
男は上の虚空を見てその様子を思い浮かべているようだ。…コールを無視して。
「おい!無視すんな!」
だがさっきの話に引っかかる事がある。
「神が裁きをするのか?直接?」
男はさっきのコールの声で妄想から帰ってきたらしく、その想像に苦そうな顔をしている。
男はコールの話を聞いていなかった。
「ああ、えっと、何だっけ?」
男の様子に苛ついたコールがさっきよりも大きな声で言う。
「神が実際に裁きをするのか?!!」
「そう大声を出すな、ああそうだとも、”ナワラ神”直々にお前を裁くだろう」
「はあ?神って概念だろう?」
「いやいや、神は”いる”じゃないか」
コールは本当に何がなんだかわからなかった。コールの顔は絵の具パレットで、赤と朱と紅を混ぜたような。すべての近い感情なのに、全員違う方向を向いた、どこか複雑で奇妙な顔だった。
そんな表情がおかしかったのか、男はさっきの難しそうな顔から想像できないほどの大笑いを見せる。
「あーはは!!そうか!お前は大陸から来たんだったな。
お前さん、ここではあんたの常識が通用しない、特に神に関してな」




