Jury 思っていたより大物、かも
石組みの天井を見上げながら、私は混乱していた。そんなことってある? 絶対適当なことを抜かしてるだけだと思ってたのに。
時は少し遡る。そう、私とパトロンの暇つぶしのため、ドラゴンがいるらしき適当な田舎にワープしたちょっと後。周りを囲む農民達を即興の枷で吹っ飛ばし、残った少年を案内人にしようとしたあたりね。
ノーマークだった真横からとんできた何かは、右頬にぶつかると白い粉を撒き散らした。薬品チックな甘い匂いにまとわりつかれ、急に体の自由が効かなくなる。ふらついて地面に倒れ込むと、ドッドッという規則的な振動が地面を伝わってきた。
「お客人、どうかお許しを。両者ともに傷つけずに収めるには、これが一番手っ取り早いもので」
馬のいななく声とほぼ同時に、すぐ近くで振動が止まる。話しながら下馬した男は、たぶん40代くらい? まだクラクラして顔を上げられなかったから、この時点で見えたのは馬の蹄と男のブーツだけなんだけど、声的に。年季物のブーツは革製で、傷はあるけどきちんと手入れされてるみたい。そこそこの立場の人間っぽいね。
「申し訳ありませんが、下手に起こしても倒れるだけですので、そのままに寝ていていただきます。今日はこの後天候が崩れるようなので、ソリを手配済みです。着き次第、屋内にお運びしますから、どうかそれまでご容赦を」
穏やかな口調で語られるそんな話を、丸めた上着を頭の下に差し込まれながら聞く。さっき横でドサッと音がしたから、多分あの少年も近くに転がっているはず。武装解除としては、ちょっと行き過ぎた威力じゃない?
「先程のものは、サソイラーテルが噴射する麻痺毒を粉末にしたものでして。浴びた後は半日ほどまともに動けなくなる代物です。都市部では入手困難な毒も、この田舎ではいくらでも手に入ります。とはいえ、加工はそれなりに技術が要りますから、危険な生物の駆除か、要人警護時のおまもりくらいにしか使いませんがね」
なるほど、私は危険な駆除対象扱いか。脅威に見えるのは仕方ないけど、せめて危険人物とかにしてほしかった。いや、まあ、人じゃないんだけど。それがバレるようなきっかけは、今のところなかったはずでは?
「身を張って経験する気はなかったかと思いますが、これも貴重な経験でしょう。効果の程は身をもって味わわれた通りです。もしご所望でしたら、多少お譲りしますよ。もちろん、今回の件をそれで手打ちにしていただけるのであれば、ですが」
この状況で取引? 冗談なのか本気なのかよく分からない話は、男の口からつらつらと紡がれ続ける。それは、到着したソリに私と少年が乗せられる間も同じだった。
「この非礼は領主が直々に詫びて然るべきところですが、あいにく今は遠征中でして。領主代理はご覧の通り動けませんし、回復するまでしばし城内でお休みください」
地面から自力で離れられない少年を小突きながら、そんなことを口にする。え、領主代理?畑仕事してたこいつが?嘘でしょ。
ああ、駆除対象扱いに不満だったのがバレての口実かな。それなら麻痺毒も、要人警護目的で使われたことになる。一発目で不審者に命中させて、わざわざ2発目を、警護対象に向けて投げる? おかしくない? 「妙な奴に絡まれて面倒なことになったな」と、このときは思ってたんだけど。
ソリに揺られること30分、石の城壁で囲まれた城……というか要塞が見えてきたころ、その認識に変化があった。男と荷台の少年を確認するなり、門兵が跳ね橋を下ろすのを見ちゃったもんでさ。ソリは城内の荷降ろし場まで乗り入れると、五人位の兵士に囲まれて止まった。私に麻痺毒をかました男は、二言三言兵士たちに残してどこかへ消えた。残された兵士たちは、馬車を戻しに行く1名を除いて作業の分担を話し合うようだ。
「ひさびさに侵入した余所者なんてどんなやつかと思ったが、想像よりずっと小柄だな」
「驚いたな、エディよりひょろっこい。どうやってここまで辿り着いたんだ?」
筋骨隆々の兵士たちには、私が紙細工か何かに見えているらしい。そりゃちょっとばかりスレンダー寄りだけどさ?やれ迂闊に持ち上げたら折れそうだの、陶器の人形の方がまだ壊さずに持ち上げられそうだの、どうにも釈然としない。運搬役に任命されたのは唯一その場にいた女兵士で、それはもうおっかなびっくり私を運んだ。
「では、この部屋でお休みください。そばに何名か控えさせますので、動けるようになったらお声がけを」
品のいい長椅子の上に私を下ろした彼女は、安堵のため息をついてそう告げた。天井しか見えなかったけど、ここは奥まった地下の一室のようだった。
で、今。「そんなに貧弱に見える?」と、自分のビジュアルに一抹の不安に駆られつつ、ぼんやり天井を見上げている。もうちょい調整した方がいいのかな。でも今の姿気に入ってるし…。
ってのはまあ半分冗談。一番大きな論点は、当然ながらそこじゃない。本当に領主代理かはさておき、少年または麻痺毒男、あるいはその両方が顔パスで城に入れる身分なのは確定してしまった。今まで聞いた話を信じるなら、私は領主代理から情報をカツアゲしようとしたことになる。だって、だってさ。そんな身分の人間がその辺で畑を耕してるなんて、誰が予想できる? 無理じゃん。こんなことで暗殺者と勘違いされて処刑されるとか笑えない。自分が首を切られて死ぬタイプの存在なのかは正直未検証でわかんないけど、できれば一生知らないままに過ごしたい。
とはいえ、やんごとない身分の人間を人質にしようとした不審者としては、私への扱いは存外丁寧だ。不本意な割れ物扱いを抜きにしても、扱いに気を遣っている感じがある。何か情報を求めて、私はゆっくりとあたりを窺う。
部屋全体は窓のない石組で、出入り口は開きっぱなしの木の扉一つ。入り口に兵士が一人詰めているのは、どう考えても見張りだね。部屋の中にあるのは、私が寝かされているこの長椅子と小机だけ。装飾のついた小洒落た品だけど、さっき女兵士がぶつかっても微動だにしなかったから、どちらも床に固定されているはずだ。移動させたり、盾や鈍器として携帯したりはできないはず。うん、まあ、あれだな。端的にいって、バレないように気を使いつつお貴族様を収監するのにふさわしい部屋ってのがここと見た。
そういえばあの少年も、私に対して貴族がどうとか言っていた。多分この軍服モチーフの衣装のせいで勘違いしているんだろう。居候先の家主の趣味に当てられたこの格好が、こんな効果を発揮するとは。おかげで、少なくとも即処刑みたいなことにはならなそうだ。
他に確認しておくべきは、自分のコンディションかな。例の麻痺毒は喰らうと半日くらい動けないって話だったけど、人じゃないから毒の効き方が違うのかも。様子見で大人しくしてたけど、城内に入った時点で体の感覚は結構戻ってきてたんだよね。向こうは私が当面動けないと思っているからか、見張りは少ない。こっちの手の内も割れてないし、脱出しようと思えば割と簡単に逃げ出せそうだ。よし。