Edy 得体のしれぬ来訪者
ここ、ライル辺境伯領は、国の端の端にあるってこともあって、対話できる客がほぼ来ない。やって来るものといえば、好き勝手言うばかりの王家の伝令か、領民を脅かす野生生物くらいだ。気まぐれに送られる前者と違い、後者は季節性があってまだマシだと思ってたんだけどな……。今年はドラゴンが活発に動いたせいで、住処を追われたトロールやらサラマンダーやらが追加でしょっちゅう街外れまで侵入してくる。お陰で被害が例年の2割増しだ、頭が痛いぜ。幸いなことにドラゴン自体の襲来はないが、だからってこの状態を放置するわけにもいかないし、早急にどこかに行ってほしいところだ。そのために、親父……つまりライル辺境伯は、調査隊を率いてライル連峰に行っちまった。おまけに、オレも領主代行に仕立て上げられちまったし…全く、迷惑な話だ。そうでもなきゃ、突然の来客に頭を悩ますのは親父の役目で、オレは小間使いよろしくこき使われてりゃよかったのに。
そういうわけで、どうやらオレがこいつに対応しなきゃならないようだ。オレが畑に肥料を撒いていた時――領主代理が農夫の真似事すんなって?文句ならオレを雑用扱いしたフィルに言え――、奴は突然現れた。不思議なことに、歩いてくる様子を見た覚えがないのに、気がついた時にはそいつがほんの数十歩の距離にいた。嘘だろ、起伏もない畑のド真ん中だぜ?迷彩系の魔法でも使ったとか…なんのために? 訝しむオレに、そいつは腰まである長い銀髪を閃かせて言った。
「君たち、ドラゴンに悩まされてるんだって? 喜べ少年、私がそいつを倒してあげよう」
ふむ。言葉は通じても、話が通じるかは微妙なラインだな。オレは警戒しつつ、そいつを検分する。身長は俺と同程度、筋肉とは縁のなさそうなヒョロい体型だ。顔立ちや声、体格からは性別がはっきりしないが、少なくとも服装は男装。しっかりした紺地の上下は軍服っぽいが、金糸の刺繍が入った豪奢な作り。どちらかといえば礼装って感じだな。前後に分かれた腰鎧も、肌触りの良さそうな柔らかいなめし革で、防御力は期待できそうにない。肩章は見ないデザインで、この国のどこの領地のものでも、もちろん王家のものでもない。おおかた、どこかの貴族が道楽で軍人ごっこをしてるってとこだろう。
無言でジロジロ見られたそいつは、気分を害されたようだった。
「何、別に報酬をよこせとかいう気はないんだけど? ちょっと暇潰しに助けてやろうってのに、随分失礼な」
苛立たしげにその指がリズムを刻むたび、腰鎧のサイドから垂れる鎖がチャラチャラ鳴りる。3重の鎖にはそれぞれ石がついてるが…ひゅう、まさかこれ宝石か?どんな金持ちだよ。
「ドラゴンを倒すって? どこの田舎から来たんだこの世間知らずは」
「武器も持たずにどうする気だ?」
「おい、迂闊に絡みに行くなって」
面白がって絡みに行く農夫を制しつつ、オレはそいつの前に進み出る。
「悪いな。来る客が揃ってろくでもないやつばかりでさ、余所者への対応が雑になりがちなんだ。おまけにうちの連中ときたら、望んでもないのに野生生物に鍛え抜かれちまった奴ばかり。素朴なナリでも、血の気が多いし腕も立つんだ」
友好的な笑みを浮かべつつ、後手に隠し持った鍬を握りしめる。生憎愛剣は修理中だ。まあ、相手も武器は持ってなさそうだし、なんとかなるだろ。
「お貴族様にゃ不愉快だろうが、あんまりでかい顔しない方が身のためだぜ?何たって領主が生体調査のために山で野営するような土地柄だ。そんなピカピカの上等な服を着た人間が来るような場所じゃない。護衛もなしじゃ危ないし、川向こうまで誰かに送らせるから……」
ここで気づいた。護衛も武器もなしで、こいつはどうやって領地に来た?
「ああそう、仕方ないな。せっかく穏便に話す気でいたのに」
不愉快そうに顔を顰めたそいつは、大袈裟に一つため息をついた。次の瞬間、素早くオレの後ろに回り込む。喉元に突きつけられようとするナイフを、オレは咄嗟に鍬で叩き落とした。相手の武器はこれでなくなったかと思いきや、今度はスラリとしたサーベルがオレを狙う。刀身だけでも1キュビッドはある白銀の凶器は、とてもじゃないが細身の軍服もどきに忍ばせられるサイズじゃない。あんなのどこに隠し持ってたんだ?
「物騒なもん出すなよ、なっ!」
鍬の柄で刃先を払い、そのままバックステップで距離を取る。農夫連中も険しい表情でそれぞれの農具を構えている。ひぃふぅみぃ……あれ、一人減ったか? どうやら人を呼びに行った優秀な奴がいるようだ。他の連中も、軽い突きを繰り出してはすぐに引いて、相手の牽制に専念している。ふむ、武器がカッコつかないが、なかなか息のあったコンビネーションだ。
物騒な客人はかなり苛立った様子で、不規則な攻撃を避けたり払ったりしている。軽快な動きを見る限り、戦闘経験のないボンボンでもなさそうだ。今のところ攻撃らしき攻撃は最初だけだが、余裕がないという感じでもない。さっきの動きも脅しのための寸止め
のようだったから、おそらく人質をとって要求を飲ませるのが目的だろう。犠牲が少ないほうが後から追手を出されにくいから、あちらとしてもなるべく被害を抑えたいってとこか。
「ええい、もう、鬱陶しい!」
冷静にオレに観察されている状況が気に食わなかったんだろう、しびれを切らしてヤツが動いた。何が起きたかわからないうちに、カラカラと音をたてて農具の先がまとめて地面に転がる。
「なっ!」
手元を見て愕然とした農夫達は、そのまま吹っ飛んで地面に張り付く。まずいぞ、何をされたかさっぱりだ。ただ、わかるのは……。
周囲に意識を割いていたオレとは違い、一人立つオレを睨みつけていたそいつは、側面からの飛翔物に気づけなかった。
「さて少年、大人しく案内を……べっ!?」
しし、助っ人のご登場だ。顔面に食らったそれには麻酔作用があって、匂いを嗅ぐと一時的に体が動かせなくなる。ご愁傷様だな。
「ナイスタイミン…は?」
礼を述べようと振り向いたオレは、想定外の2投目をくらい、同じく地面に倒れ込んだ。