第15話 鳥魔物のリンコ
「リュミ、知ってる……その姿を見た人は不幸になるんでしょ?」
空を舞う、赤い影。
巨大な翼が夕暮れの空を裂くように旋回し、冷たい風が谷あいを撫でていく。
その恐ろしさを、誰もが語る。
その名を聞くだけで子どもは泣き、大人でさえ顔を強張らせる。
――禍翼の凶鳥。
だけど、どうしてだろう。
リュミの胸の奥では、その恐怖とは違う、なにかあたたかいものが芽生えていた。
怖くない、と言えば嘘になる。
でも、それ以上に感じるのは、不思議なほどの懐かしさ。
心のどこかで確信している。
本当は襲いたいんじゃない。リュミに近づきたいだけだと。
「ふわふわ、してほしいんだよ……きっと」
ぽつりとこぼれたリュミの声に、そばにいたパッロがはっと顔を上げ、鋭いまなざしでこちらを振り返る。
リュミの気持ちを見極めるように目を細め、小さくため息を吐く。
「……リュミは、そう思うのか」
リュミは、こくんと静かに頷いた。
小さな拳をぎゅっと握りしめて、まっすぐにパッロを見つめる。
(こわいよ……泣きたくなるくらいこわいけど、それでも……)
「やってみる」
その言葉に、パッロの目がわずかに揺れる。
「リュミ……」
「大丈夫。リュミ、できるよ」
その言葉に、パッロは一瞬だけ目を閉じた。
そして静かに、息を吐く。
パッロはしばらく言葉を返さず、じっとリュミの顔を見つめていた。
やがて、諦めたように目を伏せ、深く息を吐く。
「無茶をするなよ。……オレが、隣にいる」
短く静かな言葉が、リュミの胸に、深く、やさしく染みこんでいく。
怖さは消えない。
心臓はドキドキしていて、呼吸も浅くて速くて、胸が痛い。
けれど、パッロがそばにいてくれる。その事実が、リュミの背中を支える。
リュミは、小さく息を吸い込んだ。
(ありがとう、パッロ。リュミ、がんばるよ……)
心臓がドキドキしている。息も苦しいくらい速くて、胸を押さえたくなる。
でも、パッロの声に背中を支えられている気がした。
ひとりじゃない。隣にパッロがいてくれる。
だからリュミは、頑張ろうと思える。
空を見上げると、赤い影がひときわ大きく旋回していた。
谷の真上、空を切り裂くように、禍翼の凶鳥が羽ばたいている。
その風圧に髪が乱され、足元の草が波打つ。
けれどリュミは、一歩も引かなかった。
足をしっかりと地につけ、両手を胸の前に重ねる。
目を閉じたその内側で、胸の奥にあたたかい光が広がっていく。
(大丈夫。だって、パッロがいるもん)
心の中で、しっかりと誓う。誰よりも強く、誰よりもやさしく。
(こわくないよ。おともだちに、なろう)
「……《ふわふわ》」
リュミの小さな声が、谷全体に響く。
すうっと空気が澄んで、風が凪ぐ。
次の瞬間。
「ギャアアアァァッ!」
空が裂けたような咆哮。
赤い影が、巨大な翼を大きく広げて急降下してくる。
そのくちばしは鋭く、リュミをまっすぐに狙っている。
「リュミ!」
パッロが叫び、前に出ようとする。
でもリュミは、目を逸らさなかった。両足をしっかりと地面につけたまま、微動だにしない。
その瞬間、まばゆいほどの白い光が、リュミと禍翼の凶鳥の間にパッと広がる。
「ギャッ……!?」
巨大な体が光に包まれ、赤い羽がバサバサと宙に舞う。影はどんどん縮んでいって、禍々しい輪郭が、やわらかな光の中で徐々に溶けていく。
パチン、と小さな音がして。
気がつくと、リュミの足元に、ちょこんと丸い生き物が座り込んでいた。
「……あれ?」
あの禍々しい鳥は、どこにもなかった。
代わりにいたのは、アヒルくらいの大きさの、ふわふわした羽毛に包まれた鳥。赤い羽は太陽みたいに明るく輝き、顔にはチークをのせたような、愛らしい丸い模様がある。目はくりくりとしていて、どこか拗ねたような、でも寂しげな輝きを帯びている。
「かわ……いい」
リュミは思わず、両手でそっと鳥を抱き上げる。
鳥はバサッと羽を羽ばたかせて、リュミの顔をじろっと見上げた。ん丸な目に、まだちょっとツンとした鋭さが残っている。
「な、なに勝手にこんな姿にしてんのよ!」
女の子のような声。
ちょっと怒っているようで、でも泣きそうにも聞こえる。
パッロがゆっくり近づいてきて、ふっと笑う。
「……ふわふわ化、成功したな」
「成功……?」
リュミが首をかしげると、鳥がバサッと羽を広げて叫ぶ。
「わたしは《禍翼の凶鳥》よ⁉ 空を支配する恐怖の象徴よ⁉ ……だったのに……なんでこんな……アヒルみたいな姿に……!」
「アヒルじゃないもん! かわいいよ!」
「か、かわ……っ⁉ な、なに言ってんのよ! べ、べつにうれしくなんかないし!」
ツンツンした口調。でもその言葉のうしろには、照れ隠しのようなあたたかさがにじんでいる。
リュミはにこっと笑って、そっと問いかけた。
「名前つけていい? 真っ赤だから……えっと、リンコ!」
「リ、リンコ……?」
「うん。太陽みたいに赤いから!」
鳥は一瞬きょとんとして、少し考えるようにくちばしを動かすと、ぷいっと顔を背けた。
「……べ、べつに気に入ったわけじゃないけど……まあ、呼ぶならそれでいいわ」
リュミの胸の奥が、じんわりがあたたかくなる。
(……よかった。本当に、よかった)
やっぱりリンコは、怖い鳥なんかじゃなかったのだ。
本当はずっと、誰かと仲良くしたかった。それなのに、見た目が怖いからってみんなから忌み嫌われて、誰とも話せなくて――だから。
「よかった。これで、おともだちだね」
思わずぎゅっと抱きしめると、リンコが「ちょ、ちょっと苦しい!」と羽をばたつかせる。
パッロがふっと笑って、空を見上げた。
「……まったく。リュミには敵わないな。魔物をこんなふうに扱える人間、見たことがない」
「えへへ……」
リュミも笑って、リンコを抱えたまま、空を見上げる。
赤く染まった空。
太陽が、谷の向こうに沈みかけている。
リンコの羽と同じ色で、胸の奥まであたたかくなる。
「……かわいい」
リュミがぽつりとつぶやくと、腕の中のリンコがぴくんと震える。
「……ほんと、変なやつ」
リンコは小さくつぶやいて、それ以上はなにも言わなかった。
お読みいただきありがとうございました!
おかげさまで、少しずつ読んでくださる方が増えていて嬉しいです。
本作は全42話、すでに最後まで書き上がっております。
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