第14話 谷底で出会った魔物
森を抜けると、足元の傾斜が、まるでなにかを拒むかのようにじわじわと急になっていった。
湿り気を含んだ落ち葉が地面に厚く積もり、その下にはぬかるんだ土や滑りやすい岩肌が隠れていく。
油断すればすぐに足を取られてしまいそう。
リュミは息を整えながら、木の根や岩に両手を添え、慎重に、慎重に一歩ずつ下っていく。
やがて、長い坂をようやく下りきると、そこに広がっていたのは、世界から切り離されたかのような静寂の谷底だった。
時が止まったかのような空間。空気はどこか張り詰めていて、冷たさとともに、凜とした厳かな気配が漂っている。
見上げれば、頭上には無数の木々の枝葉が幾重にも折り重なり、その隙間から細く空が覗いている。
さっきまで聞こえていた鳥のさえずりも、風が枝葉を揺らすさざめきも、ここには届いてこない。ただ、ぽた……ぽた……と、水滴が岩肌から落ちるかすかな音だけが、谷底の静けさを際立たせていた。
足元には、濃く深い緑色をたたえた苔が一面に広がっている。
そのやわらかな感触を足裏に感じるたび、わずかに湿り気を含んだ土の香りがふわりと立ちのぼり、鼻をくすぐった。
「わぁ……すごい……!」
巨岩に囲まれた空間を見上げながら、リュミは目を輝かせて感嘆の声を漏らした。
岩肌の隙間には、小さな青い草がいくつも根を張り、しっかりと生えている。それはまるで、この厳しい環境の中でひっそりと命を育んでいるようだった。
「これかな? エルドさんが言ってた、めずらしい薬草……」
リュミはその草を傷つけないように気をつけながら、両手でそっと包むように摘み取り、丁寧に小さなカゴに収めていく。
ひとつひとつ確かめながら、手際良く作業を進めていく彼女の背後で、パッロは静かに座り込み、その様子を見守る。
「よく見つけたな、リュミ。すごいよ」
「えへへ! もう一回やるから、見ててね!」
「ああ、見ているからやってごらん」
そう言われて、リュミの顔に自信に満ちた笑みが浮かぶ。
褒められたことがうれしくて、認めてもらえたことがうれしくて、もっと頑張りたいという気持ちが胸の中で膨らんでいく。
薬草を摘み終えたリュミは、ふと足元に転がっていたひとつの石に目を留めた。
それは、どこにでもありそうな、丸くて小さな、白みがかった石ころ。けれど、なぜか目が離せない。呼ばれたかのように、リュミはそっとその石を拾い上げた。
「ねぇ、パッロ。石にも《ふわふわ》できるかなぁ?」
「石に?」
パッロは眉をひそめてしばらく考え込んだあと、静かに首を横に振った。
「……たぶん難しいな。石は心を持たないから」
「そっかぁ。でも、やってみたい!」
リュミは胸の前で石をぎゅっと抱え込み、真剣な顔で目をつむった。呼吸を整え、指先に意識を集中させる。
そして、スキル《ふわふわ》を発動しようとしたけれど――。
「……あれぇ? なんにもならない……」
石はそのまま、冷たく無反応でリュミの手の中に留まっていた。
しょんぼりとうなだれるリュミの横で、パッロはやさしくと微笑み、そっと寄り添う。
「悪くない試みだったと思うぞ」
「ほんと? えへへ……」
リュミの頬がわずかに赤くなり、自然と笑顔が戻ってくる。
そのときだった。
谷の奥から、空気を引き裂くような激しい風が巻き起こる。
バサッバササッと、巨大な羽ばたきの音が谷全体に響き渡る。
「ひゃっ……!」
思わずリュミは身を竦め、パッロにしがみつく。
強くて大きな背中のぬくもりが、ほんの少しだけ心を落ち着けてくれる。
「大丈夫だ、リュミ。オレがついてる」
低く落ち着いた声が胸に響く。
「リュミには指一本触れさせない」
リュミがおそるおそる空を見上げると、そこには赤く巨大な鳥が、旋回しながら谷の上空を舞っていた。
その姿はまるで血を浴びたかのように赤く、翼は光を反射して、谷底に赤黒い影を落としている。
風がうなり、リュミの髪が宙に舞い上がる。衣の端がひるがえり、バサバサと騒がしく音を立てる。
赤い鳥は円を描きながら、鋭い視線を地上に送っていた。明らかに、なにかを狙っている。
「た、たべられちゃう……!」
リュミがかすれた声でつぶやくと、パッロは迷いなく前に出て、リュミをかばう。
「落ち着け。オレがついてる」
「うん……っ」
心臓が太鼓のようにドコドコと鳴っている。
怖い。それでも、パッロの背中が目の前にあることが、リュミの中にほんの小さな勇気の火が灯す。
赤い鳥は、旋回しながら、少しずつ高度を下げてきた。
翼を広げるたび、谷の壁に赤い光が広がっている。まるで、この空間全体を、その翼で塗り替えてしまうかのよう。
その目は鋭く光り、まるですべてを見透かすかのようだ。
風圧が顔に当たり、耳に羽ばたきの音が届く。
岩の影に映った巨大な影は、まるで炎がうねるように動く。
「リュミ、気をつけろ……!」
パッロの声が鋭く走る。
その目は、空の一点を射抜いている。
「あれは……禍翼の凶鳥だ」
「かよくのきょうちょう……」
その名前を耳にした瞬間、リュミの喉が小さく震えた。
禍翼の凶鳥――それは、見た者に厄災が訪れると語られてきた伝説の怪鳥。
その姿を、リュミは小さいころ、絵本の挿絵で見たことがある。
姿を見た者には、厄災が訪れると語り継がれている伝説の怪鳥。
ずっと前に絵本で見たその姿が、今、現実として目の前にいた。
最後まで読んでくれてありがとうございます!
実はこのお話、全部で42話でもう完結まで書き上がってます。
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