第1話 スキル鑑定
リュミ・フォルステアは、神殿にある祝福の間の真ん中に立っていた。
大理石の床には、繊細な紋様が金と青の糸で編まれたように広がっている。
その中心に、一歩も動けずに立つ尽くす少女の姿。
年端もいかない彼女にとって、この空間はあまりに広く、あまりに冷たかった。
全身を包む純白のドレスは、格式ある家の証。
細い腕や華奢な肩をやわらかく包み込み、そのひとつひとつの刺繍に至るまで、職人の技と愛情が詰め込まれている。
リュミの銀の髪は丁寧に梳かされ、滑らかに背中を流れ落ちている。
神殿の高窓から差し込む光が、まるで祝福するようにその髪を照らす。
誰が見ても、貴族の姫君にふさわしい姿。
けれど、その見た目とは裏腹に、リュミの小さな体は張り詰めた空気に押しつぶされそうになっている。
(どうしてこんなにさむいんだろう……)
気温はそれほど低くないはずなのに。
冷え切った視線、押し黙った空気、そして期待と不安が入り交じる空間の圧に、リュミの鼓動は小鳥のように速くなる。
目の前に立つ神官が、銀の杖の先を床に軽く突いた。
杖の先端に埋め込まれた青紫の宝石が、淡く明滅する。
その光が天井の模様に反射し、部屋全体が幻想的な雰囲気に包まれる。
「スキル鑑定の結果を申し上げます」
朗々とした声が、高い天井に反響する。
誰かの息を呑む音が聞こえた気がする。いや、たぶん気のせいじゃない。
「リュミ・フォルステア殿。あなたの固有スキルは《ふわふわ》でございます」
「……え?」
一瞬、言葉の意味が理解できなかった。
祝詞のように厳かに告げられたその言葉だけが、ぽつんと浮く。
《ふわふわ》
耳にしたことのないスキル。
意味も、効果も、想像すらつかない。
けれど、妙に響きだけはやさしくて、奇妙で、そして……子どもっぽい。
父の声が、奥の一段高い場所から落ちてきた。
重く、冷たく、期待が剥がれ落ちたような響き。
「ふわ、ふわ……?」
リュミの父の声が、奥の一段高い場所から静かに落ちてきた。
その響きには、重たく冷たい失望が宿っている。
希望が崩れ落ちる音がする。
(そんな……お菓子の名前みたいな……リュミ、聞き間違えた……?)
まるで悪い夢でも見ているかのような気分だ。
けれど夢ならば、誰かが手を取ってくれるはず。
それなのに、今この瞬間、誰もが遠ざかるような視線でリュミを見ていた。
「……ふわふわ、とは……?」
父が低い声で問う。
その声音は、リュミが震えるほど鋭い。
神官は無表情のまま、少しだけ眉を寄せて、言葉を選びながら続けた。
「《ふわふわ》は、精神影響系のスキルとして分類されますが、詳細は不明。対象、効果、範囲、発動条件……すべて未確定です。記録にも前例がなく、魔力量も最低値に近い数値でした。申し訳ありませんが……実用性は、極めて乏しいと考えられます」
神官の言葉が、祝福の間の空気を凍りつかせる。
その静寂の中に、誰かの舌打ちが聞こえたような気がした。
乏しい。
それはつまり、役に立たないということ。
「ふわふわって……え? リュミ、ふわふわでなにをするの?」
質問の答えは、誰にもわからない。
それでも、みんなの判断は早かった。
スキルがすべてというこの世界で、未知はすなわち、無価値を意味しているから。
「……まさか、スキルが《ふわふわ》とはな……」
父が額に手を当てた。
母の顔は、上品な笑みをたたえているようで、しかしその目はまったく笑っていない。
「混血とはいえ、最低限の実力はあると思っていたのですが……」
うしろの方で、誰かがそんなことを言った。
瞬間、空気がざわつく。
「《ふわふわ》だって……!」
「フォルステアの名が泣くわ」
「精神影響系? まさか、敵をくすぐるとか? あっはっは!」
笑い声が広がっていく。
貴族たちの嘲りは容赦なかった。美しい空間に、不釣り合いな醜さがこだまする。
リュミの頭の中が、真っ白になる。
言葉を探すけれど、声は出ない。唇は震えるだけで、音にはならない。
視線が痛い。
笑いと軽蔑と失望と、あらゆる感情がリュミの肌を突き刺す。
(どうしてこんなことに? リュミ、がんばったのに……)
リュミのなにが悪かったのだろう。
毎日魔法の勉強をして、礼儀作法も習って、スキル鑑定のこの日だって、何度も何度もイメージトレーニングをしてきた。
(それなのに、なんで……?)
「……無能か」
誰かのつぶやきが、部屋の空気を切り裂く。
その言葉は呪いだった。
誰も否定しない。誰も反論しない。
それがこの場の、答え。
──無能。
たったひとつの言葉で、すべてを塗りつぶされる。
《ふわふわ》というだけで、すべてを否定される。
戦えない。癒やせない。
そんなスキルは、貴族の家に必要だと。
この世界では、それが常識なのだ。
リュミは震えた。
寒いからじゃない。怖いから。悔しいから。
顔を上げることすらできなかった。
目が合えば、きっと泣いてしまう。
それだけは、絶対に──、
(泣いちゃだめ……ここで泣いたら、もっと、もっと……)
悔しい。
でも、なにより悔しいのは。
この場にいる誰ひとりとして、リュミに手を伸ばしてくれる人がいなかったこと。
父も。
母も。
兄も。
おともだちだったはずのあの子でさえも。
みんな、スキルでリュミを判断した。
まるで、それが彼女のすべてであるかのように。
スキルがすべてだと、誰かが言っていた。
それはつまり、《ふわふわ》はなにも持たない者の証。
(そんなの、おかしいよ……)
誰か、たったひとりでもいい。
リュミを否定しない存在がいたなら。笑わずにいてくれる誰かがいたなら。
この瞬間を、ほんの少しでも違うものにできたのかもしれない。
でも、そんな奇跡は起きなかった。
祝福の間の重たい扉が、静かに開く。
その音は、リュミにとっての終わりを告げる鐘だった。
帰り道、父は一言も喋らなかった。
母の手は、冷たくリュミの手を握りしめ、兄は最初から最後までリュミを見ようとしなかった。
屋敷に戻ると、使用人たちは視線を避け、まるでリュミが透明な存在であるかのように振る舞った。
スキル鑑定をしたあの瞬間から、リュミの世界は静かに壊れていた。
どうしたらよかったんだろう。
なにが正解だったのだろう。
いくら考えても、答えは見つからなかった。
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