40.【虚実の楽園】
フワフワと彼女の聖域を見回るようにして飛び回る精霊の先で、彼女は顔を両手で覆って呟いた。
「…………ごめん、動揺してた」
「だろうな」
しばらくの沈黙を経て、彼女はようやく口を開いた。彼はそれまでただ黙って待っていた。
「とりあえず……まず、最初に。どうしてあんなに饒舌になっていたの?」
「……【剣聖】との会話の時、か?」
「うん、そう。……正直、あの世界での態度自体、珍しかった。あんなやり方、普段はしないから」
嘆息はせず。
彼は、彼女の問いに答えた。
「印象付けるためだ」
「……?」
「……思考誘導。それが狙いだった。どんな人間だろうと、饒舌になる瞬間がある」
カチャリ、と彼はカップを手に取る。
その中でいつの間にか揺れていた紅茶、そして映る自身の顔を見つめて彼は言った。
「勝利を確信した時、だ」
あの瞬間。
【剣聖】の視点で見れば、彼はまさしく勝利を確信し、饒舌に語り出したように見えていただろう。
勝利を確信した人間は、より饒舌に、より大胆になる。
そう。
残る秘密を、全て喋ってしまうほどに。
勝利の確信による高揚感は、危機感を鈍らせる。
物語で勝者が饒舌に語り出す場面。あれは、勝利を確信した人間の行動そのもの。自身の勝利が決まった、その上で相手は逆転の手段を持っていない。
そうなると、人は全てを話したくなる。
自分は全て予想していた、全てが自分の狙い通りだったと。
勝利の確信による圧倒的な余裕と、相手を追い詰めているという確かな実感、自信。
無論、全員がそうとは限らないが。
だが、それが人間だ。
故に彼は意図的に饒舌に喋り、そして本当に隠している秘密だけは一片たりとも口に出さなかった。
その結果が、霊刀と結界の初見殺しの一撃へと繋がった。
「言動も態度も、俺が勝利を確信しているように見せつけるためだ。それ以外の意図はない」
言い切った彼に。
彼女は、問いかけた。
「本当に?」
「……」
「……ごめん」
「……いや、正しい指摘だ」
彼は、呟くように言った。
事実、彼には意図的な態度で接する必要があった。
だが、それでも。
【剣聖】の言葉を強引に遮った時。
【剣聖】を言葉で捩じ伏せようとした時。
確かに、感情が出かけていたのは間違っていない。
しかしそれでも彼は役目を全うした。
「そもそもの問題、俺が苛立ちを覚えていたことに間違いはない」
特に、英雄たちに対して。
その心に燻る嫌悪感を吐き出すように、彼は言った。
「あの世界は虚飾と嘘と誇張の産物だ」
彼の言葉を、彼女は否定しない。
彼女とて知っていた。あの世界の歪さを。
「あの世界で真に英雄と呼べるのは、【剣聖】だけだった」
【天魔】の、都市の完全掌握。
彼、彼女の知った事では無いが、その情報は意図的にあの世界で流布されていた。
【剣聖】と並び立つ実力者。英雄と呼ぶに値する能力。才能だけを見れば、十分だった。
例え嘘や誇張であろうとも、事実治安維持に貢献した。
しかしながら、虚飾の存在が実在する本物の怪物に適う道理は無い。
確かに才能があっただろう。確かに英雄と呼ばれる人間になり得ただろう。
だが虚飾の世界で成長を止めた【天魔】に、英雄と呼ばれる資格はない。
【天魔】ですら彼と彼女にとってはその程度の存在。
【剣聖】を除いた他三人の英雄は、会話にすら出そうともしない。
「そうね。精霊の悲鳴を無視した挙句、徹底的に逃がさないようにしていたからね。……だから私も気付くのが少し遅れた」
「都市の連中も、何故気付かなかった?いいや、気づく気が無かっただけか。【天魔】が都市を完全掌握している、そんなわけがない」
彼の言葉は事実、その通りだった。
ジルク、【護心】の語った【天魔】の能力。都市の完全掌握は、あくまでも誇張表現。監視カメラのようにその場に意識を向けなければ魔術は効果を成さない。
だが、その誇張こそがあの世界で【天魔】の英雄という立場を作り出していた。
五人は英雄と呼ばれた。
だが、真にその資格があったのは一人。
資格を得る可能性があったのも、一人。
他三人はそう呼ばれる資格を持っていなかった。
「【剣聖】の理想論をどう思った?」
「……不可能だと」
「ああ、そうだ。【剣聖】の願う全ての人間の幸福が叶えられる世界。……心底、吐き気がしたよ。二度目の人生を与える、ではない。くれてやる、という押し付けられた願い。それを、幸福を与えるという言葉で飾った。あの世界は【剣聖】という暴力装置が頂点にいる事で善人は気軽に悪人を律する事の出来る表面上の理想を叶えさせられていただけの話。にも関わらず本人にその自覚は無い。あの世界は役割を与えられた人間と、抑えつけられた奴隷達を使った人形遊びでしかなかった。言い直した方がいいか。【剣聖】は実力だけにおいては英雄と呼ぶに値した。だが、それ以外は全てが偽物だ」
偽物の英雄。
嘘に騙され、愚物と成り果てた人々。
虚像によって、制御された世界。
虚飾によって、作り出された偶像。
正義を纏った暴力によって成される理想郷。
言うなれば、そう。
「【虚実の楽園】……それが、あの世界にとって相応しい呼び名だろう」
薄く目を細め。静かに机を見つめて彼はそう言った。
「……喋りすぎたな。聞きたいことは、他には無いか?」
「……うん」
「言っておくが」
彼は、彼女を見た。
「皆殺しにしなければ、奴らは更なる罪を犯していた」
「……」
「その為に一人ずつ殺して回って怒りを煽った。……そもそも、アイツがいなければ全員斬り殺してそれで終いだった」
どちらにせよ精霊の所在を確認する必要があった。
彼は、そう続けた。
「だが、例えば奴らが大人しく精霊を返還したとしよう。そこで【天魔】を【世界の柱】とし、世界を安定化させる。だが、その選択肢を奴らは選ばない。
【天魔】を【世界の柱】とはしない。ならば、どうするか。
別の世界から、精霊の代わりとなる存在を強奪する。
生きる為、という大義名分を掲げて、な」
もしくは、と彼は続けた。
「俺を瀕死寸前まで追い込み、精霊が死んだ後の代わりとする。……方法自体は、いくらでもあるからな」
「……そうだね」
「皆殺しにしたのは俺だ。気に病む必要は無い」
「……でも」
「自分の役割は分かっているだろう。俺が、貴方の出来ない事を遂行する。貴方は世界の均衡を保つ役目だ。……俺がいなくなった時、俺の手に負えない時、それが貴方の出番、役割だ」
彼の言葉で、沈黙が場を支配する。
二人は声を出さず、精霊は静かに飛び回る。
しかし彼女は口を開いた。
「……お願いがあるの」
「……」
彼女は、厳かに言った。
「名前で呼んでくれない?」
「今の流れで何故そうなる?」
あまりにも空気の読めない発言に、彼は思わず素の感情でツッコミを入れた。
「いや、だって、いきなり『貴方』……なんて呼び方するから……」
「ならどう呼べと?」
「名前で」
「……恐れ多い」
「名前で呼んで」
「……」
「……名前で、呼んで」
彼は、口を開き、閉じ、繰り返す。声に出せない妙な葛藤を押し込み、彼は声を出した。
「……サナレイア様」
「様はいらない」
「サナレ……」
「サナでいいよ?」
「……………………サナ」
たかが呼び名。
それでも、二人の関係は明確に変化した。
彼は目を伏せ、彼女は笑う。
しかしながら、彼女の微笑みはすぐに影を宿したものへと変化した。
「……もう、元通りにはならないね」
その呟きに、彼は無言のまま押し黙るだけだった。
ーーー
ーー
ー
精霊と触れ合うようにして遊び出した彼女を前に、彼は呟くように声をかけた。
「…………そうだ、一つだけ」
「何?」
「……あの女が、今回の件に絡んでいた」
静かに、サナは動きを止めた。
彼の言うあの女、その正体をお互いに知っているからだ。
「…………そう」
「近いうちに、仕掛けてくるだろうな。…………死ぬなら、その時か」
「それは駄目」
彼の言葉に、サナは即座に声を上げた。
「……絶対に、駄目。許さない」
「…………分かった」
豹変。
まさにそう言い表すのに相応しい変化だった。
彼が『死ぬ』と言ったその瞬間、穏やかな表情から一転、虚無のような無表情ながら、その瞳に尋常では無いほどの執着心を露わにしてサナは彼を見ていた。
「しばらくの間はここで待機する」
「うん、そうして。……すぐに何処かに行かないでね」
「…………」
「返事は?」
「………………分かった」
彼は、静かに。
はっきりとため息を吐いた。
しかしながらその口の端は、僅かに、確かに上がっていた。
(俺に、死は許されない、か……)
喜びとも悲しみとも分からない、その感情は。
静かに彼の心で燻り続けていた。




