零れる気持ち
リーの予想通り、朝一番に受付に行くとすぐに組織長室へと通された。
「フェイは明日付けで正式に事務員となる。明後日からの仕事に同行させるから、準備しておいてくれ」
マルクの言葉を脳内で反芻してから、リーは出かかった言葉を呑み込む。
(仕事の話なんて聞いてねぇって…)
龍であるマルク相手ではボヤく気持ちは見透かされてしまったのか、今から話すと睨まれた。
「まずはウェルトナックたちにアリュートの件での礼を言いに行け」
思わぬ仕事内容に驚くリーを満足そうに眺めながら、当たり前だろう、とマルクが続ける。
「本来ならこちらで解決すべきことに手を貸してもらったのだからな。組織として、きちんと筋は通しておく」
アリュート川流域にあるレジア村の護り龍たちからの依頼は、川の水質汚染の原因究明。一刻を争う護り龍たちの様子に、ウェルトナックの子どもたちに協力を願った。
アリュート山からの汚染の浄化に尽力してくれた子龍たち。あの日別れたきりなので、会いに行けることは正直嬉しい。
「次に、滞在中にフェイには別依頼がある。とはいっても正式なものではないからな、ちゃんとやり遂げたかどうかだけ確認してきてくれ」
(俺じゃなくてフェイ?)
説明はされるとわかってはいるが、まずそこに引っかかってしまい今ひとつ内容が頭に入ってこない。
もしかしてからかわれているのだろうかと思いながら、リーはできるだけ顔には出さずに先を待っていたのだが。
「明後日、もうひとり同行員を連れてメルシナへ向かってくれ。お前だけ降ろしてフェイには引き返させ、夜にまた単独で向かわせる」
続けるマルクに、リーは慌てて口を挟んだ。
「あのっ、マルクさん、フェイへの依頼って―――」
「内容はフェイから聞け」
ばさりと切って、そのあと、と継ぐマルク。
「フェイへの依頼の完了を確認したら、その時点で通常業務に戻ってくれ。報告はまたここへ来た際でいい」
以上だ、と言い切られ。
最早何も聞き返せず。せめてと思い、動きはわかりましたと告げる。
(何がなんだか…)
先日ジャイルに直接説明をされたことといい、どうにもこの副長は手間を省きたがるというのか。
尤も、だからこそひとりで事務方を纏めていけるのかもしれないが。
本当に必要な情報ならちゃんと教えてくれるだろうと思い直して、リーはもう一度マルクを見た。
ウェルトナックへの謝礼とフェイの見守りなら、わざわざ請負人の自分を使わずとも、ともにアリュートの件に関わったトマルに頼めば事足りる。
つまりはその役目を自分に回してくれたのだということに気付いて内心感謝をしていると、不機嫌そうに眉を顰めたマルクから、早く出ろとせっつかれた。
午後からのイアンとの訓練で、明日が最後になることを報告したリー。急な終了を詫びると、請負人の仕事なんてそんなもんだと笑われる。あと二回のうちに少しでも成長を見せたいと気合が入るが、やはりまだ敵わなかった。
夕食時、フェイには食事後宿の部屋で詳細を聞く約束を取り付け、あとは、とリーは集う面々を見やる。
リリックとコルンもいるのでまたからかわれるかもしれないが、別に避けて話す内容でもないかと思い直した。
「なぁ。お前ら合の月に村に帰ったりしないんだよな?」
唐突すぎるかと思いながらもそう切り出すと、エリアがきょとんとこちらを見てくる。
「何のこと〜?」
「合の月は皆故郷に帰ったりするんだけど、エルフはしないって聞いたから」
ティナと顔を見合わせ、エリアは首を傾げた。
「しないよねぇ」
「しない」
「皆村にいるもんね」
基本集落に引きこもったままのエルフ。外から戻るものもいないのだろう。
「事務員も合の月は休めるってラミエに聞いたんだけどさ…」
「来る人も少ないからね」
「やることがないわけじゃないんだけどね」
そう話すリリックとコルン。ふたりはと聞くと、仕事してるよと返された。
「それで?」
ぽそりとティナが逸れた話題を引き戻す。
「何?」
「…バドック、来るか?」
双子に―――珍しくティナからも―――驚いたような視線を向けられ、リーは何かおかしな聞き方をしただろうかと慌てながら。
「俺も帰るつもりなんだけど。姉貴たちもまた来いって言ってたし、よかったら…」
取り繕うようにそう続けると、じっと見ていたエリアが小さく口を開いた。
「いいの…?」
喜ぶようでも、戸惑うようでもなく。目の前に差し出されたものにただ指先を触れるだけのような、そんな軽さの呟き。
「ラミエも行きたいって言ってくれてるから、それなら一緒にどうかって……」
「うん。行く」
気付かず続けたリーに、エリアはいつもの声音で頷いた。
「お給料少しもらったから。リーにも木の実のパイ買ってあげるね」
「へっ??」
瞠目して間抜けた声をあげたリー。
あの常識なしがこんなことを言うようになったのかと、請負人職員の教育のすごさに感動すら覚えながら。
「いいよ。自分で食えって」
なんとなくその気持ちがくすぐったくて、素直に受け取れなかった。
いつもはフェイが一緒なので食堂を出たところで別れるが、今日はフェイも宿へと話しに来るからと、リーも一緒に本部の敷地に入るまで送ってくれた。
コルンたちと四人で宿舎に戻り、また明日、と互いの部屋に戻る。
部屋に戻って息をついて。エリアは零れそうだった気持ちをようやく解放した。
理由はどうあれ、また一緒にバドックへ行けることが嬉しくて。
それをリーの口から言ってもらえたことが幸せで。
「エリア」
気遣う視線を向けるティナに、大丈夫だからと笑みを見せる。
初めて自分で稼いだお金で、リーに贈り物をする理由もできた。
残るものは渡せないから。
せめて、思い出の品を―――。
部屋で依頼の話を聞いたあと、宿舎へと帰るフェイを見送ったリー。
仕事を終えたラミエを迎え、ふたりで歩きながら明後日の出立を伝えた。
「わかった。今日中に父さんを説得するよ」
「フェイは来ねぇから、あいつらだけだけどな」
フェイにもどうかと尋ねたのだが、合の月の慣習を聞いたフェイは少し考える様子を見せ、やめておくと首を振った。
それならカナートのところに行くと言って笑うフェイは、どことなく嬉しそうで。
フェイにとっての故郷は棲処のあるドマーノ山ではなくウェルトナックがいるメルシナ村のあの池なのだと示すような返答を思い出し、リーは表情を和ませる。
自分を迎え受け入れてくれる場所と相手がいることが、どんなに心強いことなのか。自分も家を出てから気付いたそれを、おそらくフェイも感じているのだろう。
「リー?」
かけられた声に我に返り、なんでもないと首を振るリー。
とにかくこれで合の月に向けての下準備は整った。あとはセインから許可をもらえることを祈るだけだ。
「…行けるといいな」
呟くと、ラミエが握る手を緩めた。
「頑張るよ。…だけど」
直後、少し冷えた指先が指の間に滑り込み、そのままぎゅっと握り込まれる。
「ふたりきりじゃなくなっちゃったのは、ちょっと残念かな…」
絡められた指にも、囁くいつもより甘い声にも、飛び上がりそうになるくらい驚いてから。なぜだか辺りを見回して、リーもそっとラミエの手を握った。
バクバクと跳ねまくる鼓動を他人事のように感じながら、何か返すべきか、何を返せばいいのか悩むリー。
普段よりも甘えるようなラミエの様子はおそらく、セインからの許可がもらえるかどうかへの不安と、自分の急な出立への寂しさからで。後者に関しては間違いなく、これから何度も何度も味わわせてしまうとわかっている。
暫く無言で歩いていたが、意を決し、リーは足を止めた。
「リー?」
立ち止まり、覗き込む青い瞳。
自分がいないから寂しそうな顔をするのではなく。
自分がいなくても楽しそうに笑っていてほしいから。
心から安心させることは、まだできないかもしれないが。
「ラミエ」
空いている手をラミエの背に回し、引き寄せて抱きしめる。
「リ、リー??」
「合の月までに帰ってくるから」
今はただ、自分にできる約束を。
耳元での優しい声音に、強張っていたラミエの身体からも力が抜けた。リーの背に手をやり、更に身を寄せる。
「…うん。待ってる」
嬉しそうなその声にほっとしながら、リーはもう少しだけ腕に力を込めた。