助言
請負人組織の敷地内の鍛錬場。抜き身の剣を手に、リーはイアンと向き合っていた。
息を吸い込み、踏み込む。こちらの剣を軌道に乗せる前に、イアンが剣先を弾いて軌道をずらす。ぶれたそれを押さえ込むが、剣の根元を狙ったそれも結局は半ばの位置になった。そのままぶつけて強引に押し切ろうとするが、即座に退かれる。
初めこそここで体勢を崩していたが、手合わせを願い出てから十日も過ぎれば、イアンの動きも少しは読めてきた。更に二歩踏み込み追い縋ると、イアンは合わせた剣を上下のどちらかにいなす。それに先んじて動けば不意をつくことができるかもしれない。
くっと上向きの力を感じ、リーはずらされる前に自ら剣を引き上げ、的を失ったイアンの剣の下を狙い振ろうとするが。
キィン、と甲高い金属音。
上がるはずのイアンの剣は、変わらぬ位置でリーの剣身を受け止めていた。
「ま、狙いはよかったけどな」
飄々と笑い、イアンがリーの剣を弾き返す。
届かなかったかと息をつき、リーは剣を引いた。
ミゼット経由の指名を快く受けてくれたイアンから、リーは一日に二時間ほど訓練を受けていた。
力押しのリーとは違い、技量に加え相手の意表を突くことにも長けるイアン。しかしそれをリーに教えることはしなかった。
「自分なりに使うならいい。だが、俺のマネはすんな」
最初にそう言い切られ、あとは延々と手合わせの日々。
命懸けの局面は、付け焼き刃でどうこうできるものではない。あくまでリーの戦い方で自分から一本取ってみろ、と言われている。
正直まだ勝てる気はしないが、新しい剣の間合いには随分と慣れた。
フェイももうすぐ職員としての資格が取れるらしく、それを見届けたらまた旅回る生活に戻るつもりだった。
一本取れないままなのは悔しいが、イアンにはいつでも呼べと言ってもらえている。なので遠慮なく、ここへ来るたびにつきあってもらおうと思っている。
訓練後は資料棟に向かうリー。広い三階建ての建物には、今まで組織が知り得たことや、その年に起きた出来事や事件など、集められた様々な情報が管理されている。
入退場記録だけで閲覧できるのは一階部分のみだが、それでもかなりの資料があった。
ラックの話していた魔物に該当しそうなものがいないかと資料を探しているのだが、まだそれらしいものは見つかっていない。
寒いところに生息し時期により棲処を変える魔物。ある意味幅広い条件であるのに、該当するものが見つからない。
保安の管轄ではないとはいえ、長くを生きる龍であるジャイルでも思い当たらぬ魔物。むしろ当然の結果なのかもしれない。
気温から推測される場所なら、一番街道の北側とヴォーディス。どちらも個人での調査は禁止されていた。
何かわかれば教えるとマルクは言ってくれているが、今のところ音沙汰はない。
自分は請負人であるのだから積極的に関わらなくていいとわかっているのだが、実際に誘拐された子どもたちに会い、その子どもたちが辿るかもしれなかったニックとラックの境遇を知っている今となっては、自分にもできることがあるのなら協力は惜しまないつもりだった。
夕食はいつも通り、食堂に皆が集まっていた。
「そうだ、リー。副長が明日面会に来いと言っていたぞ」
「明日かよ」
いつもながらこちらの都合はお構いなしだなと苦笑する。
尤も、自分がここのところずっとイアンに訓練相手になってもらっていることは、調べればすぐにわかること。明日の予定も組んであるので、おそらく午前中の空き時間に行けばいいのだろうし、だからこそのフェイへの伝言なのだろう。
「フェイはもうすぐよね」
「ああ。おそらく数日中には」
コルンとフェイの会話にそうなのかぁと呟いてから、エリアははむっとパンにかじりつく。
「ほひはらひーはもーふふひっひゃうほ?」
「わかんねぇから。っとにお前ホントに懲りねぇな」
なぜかわざわざ食べてから何やら言ってくるエリアを半眼で睨み、リーは溜息をつく。
「で? なんだって?」
飲み込んだのを見計らって声をかけると、エリアが少し笑みを見せた。
「リー、もうすぐ行っちゃうのかなって」
「そのつもりだけど」
言ってあっただろ、と返され、エリアはこくんと頷く。
「あたしたちのことは待ってくれないんだよね」
「お前ら新年からだろ。待てるかっての」
まだ七の月もまだ十日ばかり過ぎたところ。依頼も受けずに滞在するには長すぎる。
「そもそもなんで俺が待たなきゃなんねぇんだよ」
「そっか…」
「それにどうせ、合の月までに一回戻ってくるから」
「見に来てくれるの?」
問う声音に変化はない。しかしまっすぐ自分を見つめる赤い瞳に、リーは思わず息を呑む。
ラミエへの感情が変わったからか、同じエルフのエリアとティナが整った顔立ちだということに目が行くようになってしまったようで。こうして見つめられるとどこか恥ずかしい。
「…ち、違うけど。本当に取れたかどうかは確認してやるから」
「違うの?」
ぱちりと瞬きをしてから、そっか、とエリアがもう一度呟いた。
「でもいいや。その時にね」
「取れてなかったら笑ってやるからな」
少しどもってしまったことをごまかすように強めに言うと、エリアは取れるもん、と返してまたパンを口に放り込む。
「はひはほ」
「食う前に言えって」
絶対にわざとだろ、と。
どこか嬉しそうに見返してくるエリアに、リーは何度言ったかわからない言葉を投げた。
夜もまたいつものように、ラミエを送るために食堂前へとやってきたリー。いつもの場所にいる先客の姿に、一瞬足を止めそうになった。
夜闇の中の僅かな灯りにも輝くような金の髪。足音に気付きこちらを見て、その青い瞳を細める。
「こんばんは。いつもありがとう」
ラミエによく似た、耳心地のいい澄んだ声。
こちらを見据えて妖艶に微笑むのは、ラミエの姉のカレナ。
「…こんばんは」
何を言いに来たのかは考えるまでもない。
一緒に待たせてねと言われ、肩身は狭いが隣に立った。
「ラミエが来る前にちょっと頼んでおきたかったのよ」
並んでラミエを待ちながら、カレナがそう切り出した。
「頼みって…」
「合の月、あなたの故郷に行くんでしょ?」
やっぱりそれか、と内心呟いて。
「セイン先生に許可をもらえたら…」
「出るわけないじゃない」
きっぱり言い切られ、リーは苦笑する。
ラミエは自分が説得するからと言っていたが、普通に考えて、仕事でもないのに年頃の娘を恋仲の男とふたりで旅をさせるわけがない。
「やっぱり無理ですよね」
自分の故郷に行きたいと―――家族に会いたいと言ってくれたラミエ。兄姉たちに会わせるのは少し照れくさいが、そう願ってくれたことが嬉しくて。
だからできればと、思ってはいるのだが。
考え込むように視線を落としたリーに、そうね、とカレナ。
「ふたりじゃ無理。だったら、ふたりじゃなければいいんでしょ」
リーが一瞬固まり、そろりとカレナを見る。
まさかとでも言いたげなその顔に、失礼ね、とカレナが笑った。
「私じゃなくて。エリアとティナ、それにフェイさんも。行ったことがあるんでしょう?」
瞠目するリーに笑みを深めて。
「巻き込んじゃえばいいのよ」
「あれ? お姉ちゃん、来てたんだ」
食堂から出てきたラミエが、並ぶリーとカレナに駆け寄る。
「またリーのこと困らせてない?」
「助言しに来てあげたのに」
ひどいのね、と笑うカレナ。ラミエから困惑の視線を向けられ、リーは頷いた。
ふたりから話を聞くラミエがきらきらと瞳を輝かせる。
「許してもらえるかな」
「さぁ。それはラミエ次第じゃない?」
嬉しそうな妹の様子を見るカレナもまた、柔らかく表情を崩しており。
仲のいい姉妹だな、と微笑ましく眺めていると、カレナに気取られ少し睨まれた。
「じゃあ、あとお願いね」
「お姉ちゃん?」
「邪魔するほど野暮じゃないわよ。先帰ってるから」
ひらひらと手を振って歩き出したカレナを見送ってから、ふたりも帰路に就く。
本部の敷地内は宿場町とは違い、夜に行き交う人影はほとんどなく。静かなその中を、ふたりの声が響く。
「あいつらには俺から言えばいいよな?」
「そうだね、お願い」
シエラにも手紙を書いておかないとあとで絶対にボヤかれるだろうなと考えていると、繋いでいる手をぎゅっと握られた。
隣を見ても、ラミエは前を向いたまま。
「許してもらえるといいね」
願うように紡がれた言葉に、リーも前を向く。
「そうだな」
自身もその手に力を込めて。
「俺も、紹介できたら嬉しい」
自然に溢れたその言葉。口に出してしまってから、なんだか妙に恥ずかしくて。
「そのっ…あんまり深い意味は―――」
言いながら隣を見ると、目の前には泣き出しそうなくらいの幸せを滲ませるラミエの顔。
続く言葉は塞がれ途切れた。