前を向いて
翌朝。朝食を済ませたリーとアーキスは、部屋を引き払って宿を出てきた。
「じゃあ気をつけて」
「ああ。アーキスもな」
互いに顔を見合わせ、笑う。
百番案件を手伝ってもらえることになった六の月の半ば以降は一緒に行動することも増えた。
普通ではない状況に巻き込んでしまったけれど。やはり並び立つのはアーキスがいい。
もちろん口には出さないが。
「じゃ、またな」
「うん。またね」
軽くそう言うと、アーキスは手を振って東門へと歩き出す。
きっとまたすぐ会えるだろうから。
その背を見送ることはせずに、リーも組織本部へと向かった。
集合場所となっている本部裏。まずは遠くからでも目立つ赤毛の長身が目に入り、やっぱりなと独りごちる。
二の月に入る前には事務ばかりではなく旅に行きたいとぶつくさ言っていたフェイ。昨夜やけに落ち着いていたのは、今日こうしてウェルトナックのところに行けるとわかっていたからだろう。
知ってて黙ってたなと思いながら更に近付くと、フェイの奥側に金髪の頭がちらりと見えた。
「なっ……」
思わず立ち止まったリー。フェイの向こうからひょこりと顔を出したのは。
「本日同行しますラミエです。よろしくお願いします」
嬉しそうに微笑み告げるラミエ。
昨夜の歯切れの悪い返答の理由を知ると同時に、今から自分がどんな姿を曝す羽目になるかを理解したリーは、嬉しい反面逃げ出したくなりながら、ラミエに引きつった笑顔を返すしかなった。
「大丈夫……?」
うしろからの心配そうなラミエの声にも何ひとつ返すことができないまま、リーはいつものように硬直してフェイの背中を凝視していた。
フェイやトマルは高所が苦手な自分に気を遣ってくれているようで、マルクやネルに比べれば風圧は弱い。しかし一方で、龍の中では飛ぶことが上手いという風龍のふたりに比べると揺れが激しい。
尤も、高所だというだけでお手上げなので、どちらがマシだという問題ではないのだが。
(……情けねぇよな……)
既に両手で足りぬほど乗る機会があったというのに、未だ慣れることもできず。どうしようもないのでこのままでも仕方ないかと内心思っていた。
まさかラミエにこんな姿を見られることになるなんて、と独りごちてから、同行員になると言われていたのにその可能性を考えなかった己の短慮に嘆息する。
こんなことならせめて普通に座っていられるくらいまで慣れておけばよかった、と今更な後悔をしていると。
「リー」
丸めた背中に触れたのがラミエの手だと理解するよりも早く、するりと胸側に手が回された。
背中全面の温かさと肩にかかる重みに、うしろから抱きしめられるような体勢だと気付いて目を見開く。
先程までとは別の意味で硬直するリーに、そっと寄り添うラミエ。腕にはさほど力は入っておらず、どちらかというと背に寄りかかるような格好だ。
「私は敷地内を運んでもらうくらいで、あんまり長時間乗せてもらったことないんだ」
囁くような声は普段より近く。空白の間も息遣いが伝わってくる。
「不安だから。ちょっとこうさせてね」
それが建前であることも、ラミエの優しさであることもわかっていた。
声音に呆れは感じられない。ただただ自分を心配するそれが、素直に嬉しい。
返事をしようと口を開けても声は出せず。うつむく視界に映る細い手を握りたかったが、気休めでもとかけてくれているロープから手を放すことができないまま。
それでも背に感じる温もりと優しさに、リーは抱いていた自己嫌悪が塗り替えられていくように思えた。
青の五番近く、フェイは街道沿いの木々に隠れるように降り立った。視覚阻害魔法を解いたラミエに心配されながら、なんとか動ける程度に回復したリーは、苦笑しながらありがとうと呟く。
「……高いとこ、苦手でさ……。どうしても慣れなくって…」
「普通の高さじゃないから仕方ないよ」
穏やかに微笑んで当たり前のように受け入れてくれるラミエ。抱きしめたい衝動はフェイがいるから我慢して、リーはひとりで青の五番の宿場町に向かった。
ヤトの働く食堂の店名はジャイルから聞いている。ウロウロと探し、街道が交わる中央広場から少し西に外れたところに目的の店を見つけるが、扉にはまだ準備中との札と鍵が掛かっていた。
建物に沿って歩くと裏口があったので、少し強めに扉を叩く。バタバタと足音が聞こえ、細く扉が開いた。
「はい、どちらさ―――」
顔を出したヤトの言葉が途切れ、驚きの表情がすぐさま喜ぶそれに変わる。
「リー!」
「久し振り」
話しに来た、と言うと嬉しそうに入ってくれと勧められた。
すぐ行かなければならないからと言うリーに、立ち話できる内容じゃないと押し切り、開店前の店内へと案内したヤト。ジグとリゼリアにも紹介し、向かい合って座る。
「姉さんもリーなら大丈夫だと思うけど…」
サーシャもかなり落ち着きを取り戻し、今は以前のように裏方作業をしている。自分が一緒であれば自宅にも帰れるようにはなったが、まだ昼間に出歩くことはできずにいた。
「遠慮しとく。無理させることじゃねぇだろ」
「まぁそうだけど」
「試したくなったらいつでも来るからさ」
そう笑ってから、報告は来てるんだな、と確認された。
「……死んだって」
頷くリーに、テレスの死を知った時のサーシャの様子を思い出す。
もう心配ないと言う自分には大丈夫だと笑みを見せていたが、だからといってすぐに割り切れるものでもないのだろう。
それでも少しずつ、サーシャも前を向いて進んでいる。
ジグやリゼリアはもちろん、この町の保安員たちも何かと気遣ってくれている。
そして町の外にも、また。
「……ありがとう」
自分たちを心配して動いてくれる人たちがいるのだと改めて気付かされた。
「なんだよ急に」
「リーとアーキス、それにアリアとライルも行ってくれたって、ソリッドが話しに来てくれて……」
「ソリッドが?」
「ジャイルさんが来させてくれたって」
まだ見習いのソリッドが報告に来たのは、内容があのふたりに関わるというのも理由だろうが、サーシャに対する計らいでもあるのだろう。
久し振りに顔を合わせるソリッドに、出会った頃から引きずっていた翳りはなく。訓練は大変だと言いながらも、表情は明るく希望に満ちていた。
保安員の訓練所でも事前に心配していたほど冷ややかな目で見られなかったという。自分に心配をかけないようにそう言っただけなのかもしれないが、あの様子なら気にせずやっていけるだろうと思えた。
ヤトの口から出た名に、リーは黒髪の青年を思い出す。
「ソリッド、元気にしてたか?」
「はい。それでふたりは……大丈夫だったかなって……」
何よりもふたりのことを心配するヤトの様子になんだか嬉しくなりながら、心配ないと告げておく。
「俺らよりしっかりしてるよ」
一瞬きょとんと見返してから、ヤトがふはっと吹き出した。
「確かに。前からそうだった」
「ふたりも来たがるだろうから。そのうち連れてくるよ」
暗に示したユーディラルの成長に気付いてくれたのだろうか、ヤトの顔に安堵が浮かぶ。
「ソリッドも会いたがってて」
「まぁまだ当分は難しいかもしれねぇけど」
今回渡された請負人組織と保安協同団の印入りの許可証は、暫くそのまま所持しているようにと言われた。どうせすぐ巻き込まれるのにまた手続きをするのは面倒だからと、マルクからはどこまで本気かわからない理由を告げられたが。
なのできっと。
「そのうち一緒に動くこともあるだろうしな」
ノッツの話からすると、団の中で龍の存在を知る者はそう多くもないのだろう。ジャイルの片割れであるならなおのこと、ソリッドは団にとって得難い人材となりそうだ。
描かれたこの先に、更に表情を崩して頷くヤト。
まだ当分先だろう、いつかの話ではあるが。
目に浮かぶその光景に、リーも辞色を和らげた。
次話最終となります。





