絆すもの
グレイルから柵内ですべきことは一段落ついていると聞いたアーキスは、残っていた子どもを先に避難場所へと連れていくことにした。
小屋に戻り、扉を叩いてから中に入る。白銀の髪の少年は見つけた時と全く同じ格好のまま座っていた。
「待たせてごめんね。外にほかの子がいるから、そこに行こう」
立てるかと聞いて手を出すと、少年はアーキスとその手を見比べてからふるふると首を振った。
「だめ」
緑がかった青色の瞳でまっすぐに見返し、少年がぽつりと零す。
「向こうに行ったらだめだって」
寂しそうに呟く少年に、アーキスは手を引っ込めて前に膝をついた。
しょんぼりとするどこか儚げな様子に大丈夫かと口にしかけ、一度その言葉を呑み込む。
己の中の揺れがなんなのか、それを確認してから改めて少年を見た。
「向こうって?」
「ほかの子どものところ…」
尋ねる言葉を変えたアーキスに、少年は案の定の返答をする。
「行くと困るからって」
「どうして困るか聞いてる?」
もう一度首を振る少年。
「ややこしいから。それだけ」
少年がほかの子どもたちから離されていた理由はおそらく。
(ハーフエルフ、なんだろうな…)
この子にそのつもりはなかったのだろうが、耐性があると言われた自分でさえ一瞬呑まれかけた。きっと絆す力が強いのだろう。
どうするべきなのか、自分には判断ができないが。
「じゃあとりあえず、大人のところに行ってみようか」
エルフのクフトやヴィズならと思いそう言うと、少年はさっと顔色を変えた。
「行かない。ここにいる」
怯えるようにうつむいて膝を抱えてしまった少年。その反応から、彼が大人からどういう扱いを受けていたのかが窺い知れた。
何かを教え込むにしても、世話をするにしても、相手を選ぶだろう少年―――きっと持て余されてきたのだろう。
絆されたからではなく。ただ己の心に従い、アーキスは少年に手を伸ばした。
「大丈夫」
触れた瞬間びくりと身を竦める少年を、アーキスはぎゅっと抱きしめる。
「君がほかの子と一緒にいるためにどうすればいいか、その人たちなら教えてくれるだろうから」
「……でも…、ひとりでいないと迷惑だって……」
希望を持つどころか現状に疑問すら抱いている様子のない少年。理不尽な扱いを当然と受け入れるその姿に、そうではないのだと伝えたかった。
「そんなことない。君はこんなところにひとりでいなくていいんだよ」
一言一言を言い聞かせるように、ゆっくりと告げる。
「どうしたいのか、自分で選んでいいんだよ」
こわばっていた身体から次第に力が抜けていくのと同時に、小さな手が服の裾を掴んだ。
「……本当に…?」
「うん。本当に」
即座に頷くアーキス。
「俺も一緒に行くから。まずここから出よう」
無理やり連れ出すのではなく、彼自身の意思で踏み出してほしい。
その思いは届いたのだろうか、アーキスの服の裾を掴んだまま、少年はわかったと呟いた。
北側の柵の外も、東側同様に見る限り木々が続いているようだった。しかしただでさえ背の高い木に覆われている上にもう日も沈んだとなると、見えるものは手前の木と奥に続く影しかない。
下がっているように言われたリーはうしろからクフトとティナの様子を見ながら、エルフの絆について考えていた。
柵の内側へ戻ると、中央部を含めて施設内の小屋はすべて確認が済んでいた。
グレイルたちに到着と破られた柵の報告をしたクフトは、非戦闘員らしい男たちを集めた小屋からひとりずつ別の場所に連れていき、ヴォーディス内に同様の施設はあるか、そしてアドが来ていたかどうかと優しく聞いていく。
初めは怯えて警戒していた男たちが次第に懐柔されていく様子に、リーはクフトがエルフの絆す性質を利用しているのだと気付いた。
以前ヴィズから聞いた、請負人組織にエルフがいることがあまり知られていない理由。それはまさに目の前で行われたことそのものだった。
組織のエルフたちは絆す力を悪用したりはしないとわかっている。しかしそれは自分がエルフたち本人を知るからだ。
あの時ヴィズに言われたことがよくわかった。この様子をエルフたちを知らぬものが見れば邪推されかねない。
そして、人からはエルフと同じように見られているハーフエルフ。組織が表立ってハーフエルフを受け入れていると示さないのは、こういった事情もあるのかもしれない。
今回ここで捕らえた中にもハーフエルフがいるという。
もし公表できたなら、こういったことに手を染めるものも減るのだろうか―――。
「ではティナ、この方向に全力でお願いします」
聞こえたクフトの声に、リーははっと顔を上げる。
頷いたティナがスッと右手を振り上げた。背後からは顔が見えないのでその唇が言葉を刻んでいるかはわからないが、覚えある動作にまさかと思った瞬間。
ティナがその手を振り下ろした。
かなり―――本当にかなり既視感のある光景を眺めながら、リーはその場に突っ立っていた。
キィンと甲高い音の直後に響く轟音、舞う砂塵と吹き飛ぶ木の破片。そして目の前、どこまでも続く暗闇のトンネルが、闇の果てへと誘うように黒々とその口を開けていた。
「次は左側に」
頷いたティナが、今度は北西方向に魔法を放つ。二度目の衝撃音の中、以前と違い砂礫や木片が降り掛かってこないのはクフトが魔法で払い飛ばしてくれているからだと気付いた。
夜の森に響く音がやむ。
「これで捜しやすくなりましたかね」
再び静けさを取り戻した森を前に、普段通りの調子でクフトが呟いた。
聞き出したところヴォーディス内にはほかに施設はないらしいが、アドはここに来ていたそうだ。
ちらりとティナを見て、その前に広がる暗闇に目を向ける。
ここから馬で暫く走ることができるくらいの距離は道ができている、ということは。
ここから逃げたかもしれないアド。
もし、この近辺に隠れていたとしたら―――。
浮かんだ疑問はとても口には出せなかった。
ティナはあくまで同行員。請負人ではないのだから、背負う必要はない。
クフトは馬を取りに戻って、そのまま探索に出るという。自分も行くと言う前に断られたのは、アドが魔法を使える可能性が高いからだろう。先程ヴィズに一度戻るように言っていたので、ふたりで手分けして捜すつもりのようだ。
以前のように昏倒まではしないものの、少し疲れた様子のティナも、先程の場所で少し休むよう言われていた。
戻る理由のないリーは、このまま柵内に残り何か手伝うことにする。
歩き出すクフト。しかし隣のティナはそれに続かずじっとリーを見ていた。
「……黄色いの?」
向けられる金色の瞳がいつもより和らいで見えて、リーは思わず声をかけた。
「大丈夫」
どうかしたのかと問う前に、ティナがその唇に僅かに笑みを乗せる。
「私は私にできることをしただけ」
続けられた言葉に息を呑み、それからゆっくり吐き逃して。
安堵と自嘲は押し殺し、リーは無言で頷いた。
リーはティナのことを「黄色いの」、エリアのことを「赤いの」と呼びます。
理由は自己紹介時にクソ長いエルフの名をフルネームで呼ぶよう言われたのに反発して、です。





