凍てつく地
木々を薙ぎ倒して地に落ちた銀色の龍が、ふるりと身震いをして身を伏せた。
「皆さん、怪我はないですね?」
視覚阻害を解いたクフトが一行を見回しかけて、はっと銀の背を見る。
「降りてください!」
乗っていた幅の広い背が細長く変わっていくのに気付いての声に、一同は素早く従った。人を乗せるためにトカゲ型を取っていたフィエルカームの姿が、風龍本来のヘビ型へと戻っていく。
飛び降りるなり周囲の枝をかき集めたヴィズは、フィエルカームの傍に山積みにして数言呟いた。ボッと焚き火にしては大きな炎が立ち昇り、銀の鱗を赤く染めていく。
「ちょっとだけ煙は我慢してよね」
もうひと集め加えてから、更に魔法で火力を足す。水分が多くて燃えにくい生木でも、火力さえあれば薪にはできた。
「マルクさん! これでは温められないので人の姿になってください!」
頭に近付いて声をかけるクフトに応えるように、フィエルカームが僅かに身動ぎする。
「……まだ………」
「わかりました。できるようになったらお願いします」
「クフトさん!」
子どもたちを連れて退避していたソジェッツが慌てた様子でやってきた。互いの状況を伝え合い、どちらも落ち着くまでもう少し待つよう指示を出す。
「驚かせてしまってすみません。子どもたちも怖がっているでしょうから、落ち着いた頃に迎えをやりますので」
頷き戻るソジェッツと入れ替わりに、施設の方向から走り寄る音が近付いてきていた。
「……阻害を…」
「駄目です。無茶をしたのですから、ちゃんと怒られてください」
フィエルカームの要請を即座に断るクフト。恨みがましそうにちらりとクフトを見やってから、フィエルカームは人へと姿を変えた。
柵を出る手前でレジストと鉢合わせたリーとアーキスは、増援がこの場に到着したことを聞いた。
手短に北側の柵のことも伝えると、とりあえずは一緒に来いと言われる。
グレイルたちに東側を見終わったことと柵のことを知らせるからと、アーキスは施設内に残り、リーがレジストについていくことになった。
主体を前にしても自然体に見えていたレジストが、今は見るからに動揺している。
レジストの顔に浮かぶ焦燥に、ここまで来られないはずのマルクがどうして来ているのかとは問えなかった。
「マルク!!」
柵の外に出て暫く、先を行くレジストが声をあげて足を早めた。
レジストが駆け込んだのは施設から僅かに離れただけの位置。そこかしこに散乱する枝葉に上を見上げると、辺りの木々は幹が途中で折れ、既に暮れた空が見える。
気付いていたのだろう、驚いた様子もなくこちらを見るクフトとヴィズ。そのふたりの横を通り過ぎ、レジストは焚き火の奥で折れた木にもたれて座り込む銀髪銀目の青年の前に立った。
年は二十代半ばくらいだろうか、青年は気怠げにレジストを見上げる。
「こっのバカがっっ!! あとで覚えてやがれっ」
「……うるさい。今はそんな場合ではないだろう」
覚えある声に、リーはその青年が誰なのかを知った。
見てはいけないものを見てしまったような気がして、リーはそろりとクフトたちへと視線を移す。クフトは曖昧に微笑み、ヴィズは肩をすくめるだけだった。
マルクを怒鳴りつけたあとに手持ちと着ている防寒具を投げつけて、とりあえず気は済んだのか、クフトたちのところへと戻ってきたレジスト。悪かったと頭を下げてから、中の状況を話す。
「よっぽどのことがなければもう制圧できてる頃だろうが。気になることがひとつある」
視線を向けられ、リーは北側で見た柵の状態を告げた。
「誰かが……アドが逃げたかもしれないってことだよね」
ヴィズの言葉に頷くと、まぁ、とレジストが軽く零す。
「時間も経ってるだろうから、逃げていたとしても見つけるのは難しいかもしれないし、こちらにも危険はある」
「わかりました。ならもう多少荒らしても構いませんよね?」
いつも通りの様子で何やら物騒にしか聞こえないことを言うクフト。驚くリーとは対照的に、レジストは平然と頷いた。
「ああ。捕まえた奴に奥に施設がないかだけ確認を取ってくれ」
「わかりました。ではこちらの指揮権はお返ししますので、あとはよろしくお願いします。リー、案内してください」
表情は変わらない。口調も変わらない。しかしどこか薄ら寒いものを感じるのは気のせいなのだろうか。
「わ、わかりました」
「お願いします。ああ、ちょうど帰ってきましたね」
逸らされたクフトの視線を追うように横を見ると、見慣れた赤い頭と黄色い頭が黒髪の青年と一緒に近付いてきていた。
「久し振り〜」
木の枝を抱えたエリアが場違いに呑気な声をかける。
「お前らなんで……?」
呆然と呟くリーに、エリアはにっと笑って胸を張った。
「お仕事、また一緒だね」
エリア同様枝を抱えたティナは、リーの声には応えずその枝を焚き火のそばに置いた。そのうしろ、ふた抱えほどの枝を運ぶノッツが笑みを見せる。
「ノッツさんまで……」
「周辺は異常なしです。僕も微力ながら手伝いに」
前半はクフトに、後半はリーに向けて返すノッツ。
「ありがとうございます。指揮権は組織長に返しましたので、あとはそちらの指示でお願いします」
「わかりました」
リーに向けて軽く頭を下げて、ノッツは薪を置いて火にくべ始めた。
「エリアは馬の場所を聞いて連れてきてください。ティナは私と一緒に」
「はーい!」
「了解しました」
どうなっているのかはわかっても、どうしてこうなったのかはわからぬまま。行きますよと促され我に返ったリーは、慌てて予備の防寒具をヴィズに渡し、施設に向かうクフトに続いた。
エリアに洞窟からの出口付近に繋いだままの馬を位置を教え、ヴィズとノッツには先に中を手伝うように指示を出して。
ひとりその場に残ったレジストは、リーが残した防寒具を手に青年姿のマルクの前に座り込んだ。
「……こんなところで油を売ってる場合か」
ぼそりと呟くマルクだが、まだその声に力はなく。不貞腐れた顔で見返したレジストは、防寒具をマルクに被せてそのまま息を吐く。
「皆俺よりしっかりしてるから平気だ」
「それでも。お前は長だろう…」
「お前の片割れでもあるんだ」
マルクから伝わる感情がぼんやりとしているのは、制御しているのではなく、寒さで意識が朦朧としているから。
人の姿を取るのが精一杯で、いつもの外見に変えることすらできない状態。早く室内に連れていってやりたくても、重さを変えてもらわなければ運べない。
「無茶しやがって……」
この場所は龍が活動できる気温ではないという。上空ならば尚の事だろう。こうして火を熾して防寒具を被せたところで、既に冷え切った体にどれだけの効果があるのかわからない。
隠すつもりのない心配に、マルクが仕方なさそうに笑った。
「……俺が耐えれば、一日が半時間で済むからな」
「だからって!!」
「…もう少し温まれば動けるようになる。その間に片付けてこい」
最近では珍しくなった、言い聞かせるような物言いに感じた懐かしさと。
「……寒さには強い方なんだ。お前だって知ってるだろう……?」
つけ足された言葉が合わさり、脳裏に浮かんだ出逢いの地。ここの寒さは今年始めに訪れたそことは比べものにならないというのに。
「……行ってくる」
それでも虚勢を張ってくるのは、この期に及んで自分の方が心配されているから。
見守られるだけだった少年の頃とは違い、今の自分にはできることがあるのだと。改めて示してやらねばならなかった。
「ちょっと待ってろ」
「…ああ。頼んだ」
立ち上がったレジストを銀の瞳を細めて見上げ、穏やかにマルクが返した。





